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大槻香奈にとって『ILLUSTRATION 2016』の本当の意味とは?――刊行記念インタビュー前編

 2015年11月5日に翔泳社が刊行した『ILLUSTRATION 2016』は、「いま」を代表するイラストレーターが共演する豪華画集です。今回はそのうちの1人、大槻香奈さんにインタビューをお願いしました。一時はイラストレーションの仕事をやめてしまった大槻さんにとって、イラストレーションはどんな意味を持つのでしょうか。インタビュー前編をお送りします。

 大槻香奈さんは2007年に美術作家としてデビューを飾り、これまで多くの個展を開催、展覧会にも参加されてきました。イラストレーションの仕事も多数こなしており、『ILLUSTRATION 2016』に掲載されるにふさわしい作家のうちのお一人です。

 本書刊行直前の11月3日(火)からは、The Artcomplex Center of Tokyoにて個展「わたしを忘れないで。」を開催されています(11月29日まで)。昨年の個展「生処に帰す」で描いた希望から一転、空虚をテーマとする本個展では、会場内に装画を制作した書籍も並べられるなど、美術作家としてだけでなくイラストレーターとしての大槻さんの輪郭も捉えることができるようになっています。

 今回、本書の刊行を記念し、大槻さんにインタビューをお願いしました。大槻さんが作品を描く意味、イラストレーションの仕事を再び始めた理由、お金を稼ぐことの必要性、そして「2016年以降のイラストレーション」への予言あるいは意志を垣間見ることのできた2時間を、皆さんにお届けします。

ILLUSTRATION 2016 特設サイト

イラストレーターとしての大槻香奈

――本書はイラストレーターと呼ばれる方の作品が掲載されていますが、美術作家として活動を始められた大槻さんにとって、本書に掲載されることにどういった感想を持たれていますか?

大槻:『ILLUSTRATION 2013』、『2014』、そして『2016』のシリーズ3冊とも連続で載せてもらえたことはとても嬉しいです。本書を読むときは後ろから読むことにしているんですが、それは前からだと五十音順なのですぐ自分のページが来てしまい、「もうそろそろかな」と心構えをしてしまうからです。後ろから読むと突然自分のページが目に入るので、客観的に見れて、自分自身がどういう感情を抱けるのか知ることができるんです。

ILLUSTRATION 2013 ILLUSTRATION 2014

 本書は最近評価が上がってきている作家さんの画集で、いま受け入れられている絵や新しく生まれたものの空気感がよく出ていると感じます。そんな中で自分のページを見つけると、「あっ、古い」と思ってしまうんです。一昔前というか、ちょうど10年前くらいのテイストだなぁと感じました。そういうイラストレーションを本書に載せてもらえたのは不思議な気もしつつ、嬉しくもあります。

――個人的には、大槻さんの絵は時代を感じさせないところがあると思います。あるいは、本書には現代的な画風のイラストレーションを描く方だけでなく、イラストレーションという仕事に真摯に向き合っている方も掲載されているのではないでしょうか。

大槻:それはとてもありがたいですし、やっぱり嬉しいですね。

イラストレーションに再び目覚めた

――大槻さんは2007年頃の活動開始当初にイラストレーションの仕事をされていましたが、あるときそういう仕事はもうしたくないとブログに書かれていました。近年また、イラストレーションの仕事を積極的にされるようになったのはどんなきっかけがあったのでしょうか。

大槻:当時は絵を描き始めた頃で、制服を着た少女というモチーフにこだわりがありました。でも、それをファッション的に見られて、「これだったらアイドルのCDジャケットができるかもしれない」というような感じで仕事の相談が来ていました。当時の私はそのことに違和感がありました。なぜかというと、ファッションにテーマを置いて絵を描いていたわけではなかったからです。ですが、当時はそれをうまく説明できませんでした。

 私の絵が仕事になるのは嬉しいんですが、イラストレーションとして出してしまったら、制服の少女を通して本当に自分が表現したかったことがかき消されてしまう、なかったことになってしまうのではという怖さがありました。いい話もあったのですが、できる気がしなくて断ったこともあります。私は絵画として、アートとして出すことで、自分が少女のモチーフで表現したかったことの本質を人に分かってほしかったんですよ。

 だから、イラストレーターとしての仕事は断って、展覧会をやろうと思いました。当然イラストレーションの仕事は来なくなるし、美術作家としては新人であまり注目されておらず、作品も売れないので貧乏のどん底に落ちていったんですよ(笑)。

 2007年にデビューしたときは、りそな銀行の宣伝ビジュアルに絵を使っていただいたり、海外にも行ったり、日本の初個展も大勢の方が見に来てくださったりして華々しかったんです。でも2008年にはまったく仕事がなくなり、個展を1回やっただけです。デビュー2年目にして地獄を見てしまって、お金を稼げないことの辛さを痛感しました。仕事があまりにもないので、家でちまちまドローイングを絵日記のように描いていました。今回の「わたしを忘れないで。」でもそれらの作品は展示しています。

 それで貧乏画家生活を何年か続けていました。neutronというギャラリーの所属作家になったことで見てくれる方が徐々に増えていきました。とはいえ、この先どうしようかと考えていたんです。お金もないし、絵もそんなに売れないし……。なにより辛かったのは、周りからは売れっ子作家だと言われていたことです。もしお金がなくて死にそうになっている私を売れっ子というなら、業界は絶望的ですよ(笑)。

 そんな状況からの転換点は3.11の東北大震災でした。震災のあと、いままでは自分のために絵を描いてきたと気づいたんです。絵を描くことは「人に届ける仕事」なのに、自分のことばかり考えて描いてきたのはよくなかったなと。誰に見てもらいたくて描いているのか、より多くの人に自分の絵を伝えるのはどうしたらいいのか、そんなことを考えるようになりました。そこで、自分のためではなく誰かのために描こうと、制作スタイルをがらっと変えました。

 すると気持ちも外に向き出して、絵でコミュニケーションを取ろうという姿勢に変わったんですね。そうしたら作品を評価されるようになって、少しずつ手に取っていただけるようになりました。それを何年か続けていたら、2013年に秋吉理香子さんの『暗黒女子』(2013年、双葉社)の装画の依頼が来たんです。かなり久しぶりなイラストレーションの仕事です。そこで自分の代表作であるポートレート少女を描いたのですが、『暗黒女子』がとても話題になったこともあり、装画のお仕事をいただく機会が増えました。

 あの頃は、イラストレーションは人のために描くものだから窮屈だと思っていました。でも何年か経ったことで、自然と、自分が描きたいものでなおかつ人に伝わるものが作れるようになっていたんですね。いろいろ自問自答して、遠回りして、ようやくいいバランスでできるようになったんだと思います。それで、イラストレーションの仕事が楽しくなってきました。

 美術作家としても知名度が上がってきたおかげで、本業は美術作家だという見方をしてくれる方が増えたのも大きな変化です。イラストレーションの仕事を依頼される方も、私の制作コンセプトを知ったうえで依頼してくれることが多くなりました。無茶なお願いをされることは減って、「小説はこういう物語だから、大槻さんの2012年の絵で装画を描いてください」というような具体的な依頼が増えたんです。とても描きやすいですし、いまはありがたい感じで仕事をさせてもらっています。

――自己表現する作品と、自己表現は横において誰かのニーズを満たす商品の狭間で迷われていたんですね。僕もいまはこうした書籍のインタビュー記事を中心に書いていますが、昔は小説を書いていたので、そのお気持ちは分かります。自分が書きたいことと誰かのために書くものが一致するととても楽しいですよね。

大槻:そうなんですよ。その楽しさを知ると、「私、もっと面白いことできるぜ」と調子に乗れるんです(笑)。なので、最近本当に楽しいですね。

中心がない日本で空虚と向き合う

――僕は大槻さんの以前のイラストレーションを知らなかったので、『暗黒女子』を拝見したとき、こういう仕事をされるのは意外に思いました。そのあとすぐ刊行された東浩紀さんの『クリュセの魚』(2013年、河出書房新社)も衝撃を受けました。2010年頃から大槻さんと東さんを別々に追いかけていたので、そのお二人が一つの仕事で交わるというのは一大事件だったんです(笑)。

暗黒女子 クリュセの魚
秋吉理香子/双葉社    東浩紀/NOVAコレクション

――東さんは思想家として株式会社ゲンロンを立ち上げられ、幅広く活動されていますが、その思想や考え方は、大槻さんと共通するところがあるのではと考えています。今回の個展のステイトメントを読むと東さんを思い出します。

『クリュセの魚』では物語の最後に「やりなおさない力」という言葉が出てきます。これは人間は弱い存在であるという東さんの前提があってこそ出てくるものだと思うんですが、大槻さんのステイトメントには「空虚と向き合う力」という言葉があり、そこからは「人間は弱いんだ」という想いが垣間見れる気がします。

今の日本に生きる人達はおおよそみな空虚を怖れ、空虚から目をそらし、希望的なものばかりに意味を見いだし、追い求め、それでも結果的に空っぽな事に気付き、絶望しているかのようにみえる。特に中心の無いこの世界では、空虚に対して希望を生産するというアンサーだけでは、この先を生きていく事が困難なのだ。今の私たちに不足しているのは希望ではなく、おそらく「空虚と向き合う力」なのだ。そして言い換えれば、それが「平和を生きる強さ」なのだと思う。

ステイトメント「中心を失った世界で」より

大槻:私も人間は強いとは思っていなくて、弱いという前提で作っているところはあります。そもそも個展のテーマである空虚に至ったのは、河合隼雄さんの『中空構造日本の深層』(1999年、中央公論社)を読んだことがきっかけで、それに日本の中心が空であるってことが書かれていたりします。ですが、いま言われて、東さんも同じことをおっしゃっていたなと思い出しました。

2015 年という今をどう語れば良いのか、正直に言うと困ってしまう。色々あったはずなのだけど、それらを口にしようとすると途端に何ともいえない疲労感をおぼえる。それはきっと、一見社会的にみえる問題の根底に、とある一個人の問題があらゆる形で潜んでいるのをどこかで感じ取っているからなのだと思う。今回の個展タイトルである「わたしを忘れないで。」という言葉はとても個人的な、ごく一部の人間にしか当てはまらない言葉だと思うかもしれない。しかしそれは最近の安保法案 に対するデモ行進からも、LINE のいじめ問題からも、いくつかの放火事件からも、また日常的な人とのかかわり合いの中で生じる違和感からも、声にならない声として伝わってくるものがあった。それは「日本には強固な中心など存在しない」という事を物語っているように思えた。

日本の中心とは一体何だろうか。連想するのは天皇であったり、また抽象的に言えば父性や母性的な何かだったりするのだが、それがいま絶対的中心として機能している訳ではない。最近では日本の中心にあるのが必ずしも人ではないイメージがある。たとえば震災直後は、その事自体が国の中心として機能した側面があると思っていて、一瞬ではあるけれど日本がひとつになったかのように見える時があった。しかし時が経てば、人々の関心の向きによって、その中心はまた別のものに移動してしまうのだ。

強固な中心を持たないこの世界では、人は簡単にバラバラになり、気がつくと「ひとり」になってしまいがちだ。人は自分の存在を忘れられたくない為により強いアイデンティティを求めるようになる。それは特にSNS を見ていて感じる事でもある。誰かに忘れられたくないという気持ち自体は、生物的にとても自然な事だと思う。しかし本来小さな個人的感情でしかないものが大きな問題として頻繁に顔を覗かせるようになった今、中心を失った世界が内側から徐々に崩壊していく危機感をおぼえ るのだ。震災から4年経ち、多くの人が普通の日常をおくるようになった今、じわじわと膨らむ現代の「空虚」さを簡単に見過ごしてはならない気がした。

ステイトメント「中心を失った世界で」より

何もない漠然とした「いま」を形にして残していく

――では、空虚というテーマは具体的にどうやって見出したのでしょうか。大槻さん自身はなぜ空虚が存在してしまうのかとお考えですか?

大槻:空虚は、やはり生きている実感がないからこそ感じてしまうものだと思っています。おじいさんおばあさんから戦時中の話を聞くと、めちゃくちゃ活き活きしているんです。不謹慎を承知で言えば、たいへんだったとはいえ、生きる意味があったんだなと感じるんですよ。ですが、いまの平和な時代には生きる強い意味を得にくくなっています。だから、平和と空虚は親しい関係にあると思います。

 平和な世界を生きるのに向いている人とそうじゃない人がいますよね。向いていない人は、よく分からないけれどわざわざ何か問題を探してきて過剰な反応をするイメージがあって。デモ行進だったりとか……見ていると何とも言えない違和感があります。まあ向いてない私が言うのも何なのですが(笑)。

 身近な話をすると、知り合いとの会話中、何もないのにその人が突然泣き崩れちゃって、びっくりしながらなだめる……みたいなことがときどきありました。唖然としたんですが、気持ちは何となく分かったんです。自分の中心には何もなくて、その何もなさをどうすることもできなくて、自分たちは幸せに生きているはずなのに満たされないものがあって、それが何かの拍子に弾けちゃう。そういうのを感じることが多かったんですよね。そういう違和感を引きずっていて……不幸な世界に生きているわけでもないのに、なんでこんなに絶望しているんだろうと。

 平和な時代を生きることがどういうことか分かっていないのかなと感じることもあります。平和はいろんな緊張感があって保たれているはずなんです。いまの時代って気を抜くと偶然的に平和になっている状態にも見えがちです。でも偶然的に平和であることはある意味不幸な状態だと思うんです。それは逆に言えば、偶然的に平和でなくなるときもある、ということなので。なので、平和というのはある程度の緊張感の中で意図的に保たれていてほしいんですね。

 東さんの話に戻りますが、ゲンロン界隈の方は言葉を紡ぐことによって、平和の形を保とうとしているように私には見えています。ゲンロンカフェのイベントを見始めた当初は、交わされている話が自分の人生とどう関係しているのか分からなかったんですよ。難しくて遠い話だと思っていました。ですが、だんだん、ゲンロンカフェで話されている方々は空虚ないまに意味を作り続けていて、私はそこに強度のある平和の一側面を見ているような気がしてきたんですよね。

 だから、私も毎年個展を開催していますが、そのときそのときでテーマは変化するけれども、何もない漠然とした「いま」を形にして残していくのが一番の仕事だと思っています。

――仕事も何もしなくていい状態はとても平和だと思うんですが、いままで毎日仕事してきた人が仕事を辞めた途端、空虚さを感じることがありますよね。僕も2015年の1月、2月がそんな感じで、だから翔泳社に履歴書を送ったんです。仕事がなくなると緊張感もなくなって、やりたかった趣味もできなくなるんですよ。

大槻:生きている実感が大事ですよね。それは昨年の個展「生処に帰す」のテーマでした。今回は空虚がテーマですが、震災後の「乳白の街」から「みんなからのなか」でやり直せることの象徴である蛹が生まれて、希望を見出した「生処に帰す」があり、そこから「わたしを忘れないで。」の空虚が生まれました。上に乗っかっていく形で作品を紡いでいけているので、これを続けていくことに使命感があります。人がそれを私にどこまで求めているのは分かりませんが、私自身は続けていきたいですね。

――希望が空虚より先というのが面白いですね。

大槻:「生処に帰す」のあと、でもやっぱり生きている実感をいまの日本で得るのは難しい、ということで空虚に至ったんです。ですが、作品を遡っても空虚がベースになっていることが多いですね。それは今回、自分の無意識を発見したということかもしれません。

 かつてイラストレーションをやりたくなかったのは、絵が商品として消費されて空虚になっていくのを恐れていたからだと思います。でも、展示をすることで絵を描くことの意味をたくさん見つけたから、いまようやくイラストレーションができるようになってきました。

『ILLUSTRATION 2016』の本当の意味

――イラストレーションだと人からテーマやコンセプトを与えられますから、そこで深く考えなくてもできちゃうんですよね。

大槻:そうなんです。しかもこちらの描きたいことが描けるわけでもないので、そこに自分自身を入れられないと思っていました。いまは、これは本質的に裏方であるイラストレーターとしては微妙かもしれませんが、自分の作家性が強くなったので克服できたんだと思います。依頼してくれる方は話題性などを期待されていて、それはありがたいんですが、イラストレーションはなるべく低姿勢というか、おとなしく描こうと心がけていることが多いかもしれませんね。

――大槻さんの絵はとても印象的なので、そこに期待を寄せる気持ちはよく分かります。

大槻:最近は小説の著者の方やCDの制作者、ミュージシャンの方から直接ご指名をいただくことが増えてきました。もしかしたら自分と同じくらい目立ってしまうかもしれない人を作品に参加させるのは、人によっては嫌だと思うじゃないですか。それを気にしているんですが、本書にも掲載されている藤岡みなみ&ザ・モローンズの『S.N.S』(2015年、Chuo Line Record)というCDのジャケットを描いたとき、みなみさんがWebニュースのコメントで自分の作品以上に私のことを話してくれていたんです。「おお、これは……」と(笑)。

 そういったこともあって、イラストレーターという職業の捉え方が最近ちょっと変わってきた気がします。『ILLUSTRATION 2016』を見ていても、皆さん個性がとても強いですよね。どちらかというと、コラボレーションじゃないかと感じました。「ILLUSTRATION」と書かれてはいますが、『ARTIST 2016』というのが本当で、それはイラストレーターと企業がコラボするというニュアンスです。

 イラストレーターは裏方だという頭があったけど、あまりそう思わなくてもいいのかなとも感じてきています。もしかしたら、そのほうが可能性が広がるかもしれません。だから、イラストレーターがミュージシャンに「こういう絵を描いたのでこういった音楽をつけてほしい」と逆に依頼する形で作品ができれば、これからもっと面白くなる気がしています。そういう活動もしてみたいと、ちょっと思いましたね。

――それは面白いですね。

大槻:そうですね……あっ、それをします! これから(笑)。オリジナルで描いた絵が、ある特定の音楽家のメロディーを連想させることがときどきあって、いろいろ妄想することがあるんです。

――ニコニコ動画はそういうコラボレーションで作品が作られることが多いのではないでしょうか。アップロードされている楽曲などを勝手に解釈して絵をつけました、動画にしました、アンサーソングを作りました、というスタイルです。今後、大槻さんのそういう作品も見られるのなら嬉しいですね。

大槻:やっていきたいですね。謙虚なふりをしてきましたが(笑)、もっといろいろやったほうが面白いのかなと喋っていて思いました。

――それこそイラストレーションの「いま」あるいは「未来」を示した『ILLUSTRATION 2016』ですね。いままではイラストレーターは企業やアーティストから依頼を受けていましたが、今後はイラストレーターの側から働きかけるべしと。その視点で本書を読んでみるのは、もしかしたら新しい発見に繋がるかもしれません。

大槻香奈は生きるために絵を描く――『ILLUSTRATION 2016』刊行記念インタビュー後編

ILLUSTRATION 2016

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ILLUSTRATION 2016
編集:SE編集部
発売日:2015年11月5日(木)
定価:2,800円(税別)

本書について

ボーカロイドやpixiv、Tumblrやニコニコ動画といったネットカルチャー、そしてアニメや漫画、ラノベや書籍、ゲームやストリートカルチャー、現代アートなど、今、世界中が注目する、日本独自の多彩なイラストシーンを横断した、実力派人気作家150名による豪華競演です。

 

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この記事の著者

渡部 拓也(ワタナベ タクヤ)

 翔泳社マーケティング課。MarkeZine、CodeZine、EnterpriseZine、Biz/Zine、ほかにて翔泳社の本の紹介記事や著者インタビュー、たまにそれ以外も執筆しています。

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

【AD】本記事の内容は記事掲載開始時点のものです 企画・制作 株式会社翔泳社

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MarkeZine(マーケジン)
2017/01/13 13:21 https://markezine.jp/article/detail/23416

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