「栓抜き営業」から「1人広告運用担当」へ。TKPで積んだ原体験
野崎: 学生時代は建築を学ばれていたのですよね。
柏﨑: はい、学部では建築、大学院では都市計画を学びました。建築後の建物の利活用に惹かれ、特に遊休不動産の活用に強い関心を抱くようになりました。TKPを選んだのは、「不動産もマーケティングもやらせてあげるよ」と言われたから。裁量を持ってチャレンジできる環境に飛び込みました。
野崎: で、配属は名古屋拠点の立ち上げだったと。
柏﨑: はい、20人ほどの人数で貸会議室の営業と、ホテル内の宴会場運営をやっていました。ホテル併設の和食屋やカレー屋も運営していて、メニュー表を自分で作ったり、屋外看板を制作したり、クーポンを作ってホテルの前で道行く人に配っていたりしていました。来店してもらったらクーポンを回収して、どのエリアで回収率が高かったか集計し、またそのエリアに配りに行くというような小さなPDCAを回していました。
野崎:宴会場での配膳もやっていたとか。
柏﨑:ええ、ホテルのスタッフと一緒にトレイを持ってビールを届け、栓抜きで瓶を開けたり。納会や採用カンファレンスなどの運営サポートもやっていました。宴会運営後、ポケットに栓抜きを忍ばせたまま訪問営業をしていたこともあったので、当時「自分は何屋なのだろう」と思いましたね(笑)。
野崎:いわゆる“マーケティングっぽい仕事”から始まったわけではないのに、行動→反応→改善の回転が速い。キャリア支援の現場でも、後から伸びる人は例外なく、原体験を“学びの型”に変えている印象があります。やりたいこととのズレは感じませんでしたか?
柏﨑:ズレは感じていなかったと言ったら嘘になると思いますが、自分の良い経験になると思って働いていました。自分で考えたことをすぐ実行できて、お客さんの反応を最も近くで体験できましたし、PDCAが速い環境で、非常に貴重な時間でした。
野崎:その後1年で、東京に異動されたのですよね。
柏﨑:「マーケティングをやりたい」と言い続けていたら、社長から「うちのマーケ課題をプレゼンしてみろ」と呼ばれたのです。名古屋での経験を本社でのマーケティングに活かすことでもっとリード獲得に貢献できると伝えたら、その場で「今すぐ机を動かせ」と言われて、その日のうちにマーケ部門へ異動しました。異動してすぐ、リスティング広告を運用していた方が辞めたので、それを引き継ぐ形になりました。
野崎:1,000人規模の会社で、1人で広告運用担当に。広告運用の経験はなかったですよね。
柏﨑:当時は運用型広告が発展し始めた頃で、1円単位でターゲットキーワードの入札を動かす時代でした。まだノウハウも世の中に広がっていなかったので、書籍で学び、自腹で広告運用セミナーにも通いました。結果的には、CPAを維持しながらある地域の反響数を1.3〜1.5倍に増やせました。
理解が深まる中で、「検索キーワードには、ユーザーのインサイトがある」と気づいて衝撃を受けました。デジタルマーケティングにハマったのはこの時期でしたね。
野崎:なぜTKPを出ることに?
柏﨑:1人でやっている以上、成長に限界がある。もっと専門的に学びたいと思って転職を決意しました。
電通デジタルでの10年、仮説思考力を叩き込まれた修行時代
野崎:当時はサイバーエージェント、アイレップ、セプテーニ、オプトの4強時代でしたが、選んだのは、創業期のネクステッジ電通。現在の電通デジタルの前身となる会社ですね。
柏﨑:はい。立ち上げ期で、私は52番目の社員でした。

野崎:なぜ、あえてアーリーフェーズの会社を選んだのでしょうか?
柏﨑:小規模からスタートすれば裁量が持てる可能性が高いですし、電通グループのリソースが使えることにワクワクしました。また、1社目の経験が自信になっていました。まずは経験してみて、痛い目を見たらまた修正すればいい。小規模だとそういうリカバリーも効きやすいですし、自由度も高いですから。
野崎:名古屋で強制的に鍛えられた経験があるからこそ、怖くなかったわけですね。実際に入ってみてどうでしたか?
柏﨑:予算が大きいクライアントであればあるほどプレッシャーも大きいですし、クライアントからも、電通グループの営業からも、色々な方向から指摘される。その中でどう立ち回って成果を出すかは、非常にタフな仕事でしたね。
野崎:そんな中で、どんな能力が鍛えられたのですか?
柏﨑:一番は「仮説思考力」ですね。当時のトレーナーである上長から叩き込まれました。「仮説は1つだけではなく、絶対に複数ある。まず3~4つ考えて、そこから優先順位を決める」と。これを繰り返すことが、今の思考の軸になっています。そして、外部要因も内部要因も、自分でちゃんと足を稼いで情報を取りに行く。「ちゃんとクライアントにヒアリングしたのか?」と常に問われていました。
野崎:その「仮説を複数持つ」力って、採用側の目線で言うと、単なる運用スキル以上に“上流に行ける人”の条件でもありますよね。私も日々のキャリア面談で、マーケターの転職成功を分ける要素として、仮説の持ち方と検証の設計が最も差が出ると感じています。また、支援会社という観点で学んで良かったことは何ですか?
柏﨑:様々な事業のマーケティング事例を学べることですね。課題と施策の双方をインプットできる機会は、事業会社と比べて多いです。
野崎:特筆すべきご自身の実績としては、どのようなものがありますか?
柏﨑:グループマネージャーに昇格してから、推定ROASを使った広告運用で成果を出しました。詳しくは言えないのですが、クライアントの広告経由の売上を数年で約1.5倍ほどに伸ばし、その事例がGoogleのブログ記事「Think with Google」に取り上げていただいたこともありました。もちろん私だけの力ではなく、チーム全員の力ですが、目先のCPAだけでなく広告経由の利益をクライアントと一緒に追えた経験は刺激的でしたね。
野崎:結果的に10年近く在籍されて、組織も50人から3,000人規模に成長した。後半は現場を離れてマネジメント中心になりませんでしたか?
柏﨑:いえ、プレイングマネージャーであり続けました。競合コンペに参加したり、自分でPythonやSQLを勉強して業務に活かしたり。広告運用者でありながら開発企画ができるチームを立ち上げたこともあります。
「現場が必要とするツールは何か」「その開発がクライアントの貢献につながるのか」。そうした開発プロジェクトには、運用の現場から開発工程までを横断的に理解して参加しなければなりません。そうでないと、ツールを組織に定着させるのは難しいですし、クライアントへの説明も説得力を欠いてしまいますから。
それでも支援会社のマネジメント職だと、どうしても視野が「組織をどう回すか」に偏ってしまう。プレーヤーの視点で「どうしたら事業をグロースできるか」、マーケターとして考え続けたい気持ちがどうしてもあったのです。
野崎:マーケティングをやり続けたかった人でも、昇進ルートに乗りすぎると戻れなくなるという話は、よくあることだと思います。その気持ちが、次の転職につながっていくわけですね。
柏﨑:はい。自分の中でも悩んでいた点でした。それでも「本当にやりたかったことは何か?」と考えたときに、違うな、マーケターとしてキャリアを見直したいなと。
事業会社への転身「今、人生で一番仕事が楽しい」
野崎:支援会社の限界を感じた部分もありましたか?
柏﨑:ありました。支援会社ではROASを最適化するための情報が限られます。たとえば、ROASが目標未達だった原因は広告運用ではなく「事業会社のエース営業の体調が悪かった」だけかもしれない。「インセンティブ制度が変わった」のかもしれないし、「コールセンターのシステムが変わった」のかもしれない。
野崎:管理画面だけ見ていてもわからないと。
柏﨑:そうですね。仮説を立て切るには、事業内のリソースやマーケ以外の部署の状態を自分の足で確認しに行かなきゃいけない。それをやるには、事業会社しかないと思っていました。
野崎:そんな中でツクルバを選んだ理由は?
柏﨑:いくつかあります。面接の中で、カウカモ事業の課題や展望についてディスカッションしたら話が盛り上がって、一緒に働かせていただくイメージが湧きました。また、想定ROASで成果を出してきたスキルを活かせますし、何より自分の興味のある領域で事業成長に貢献できる可能性が高いと思いました。よく転職はギャンブルと言いますけれども、私は投資だと思っています。自分の時間をここに費やそうと決めて飛び込みました。
野崎:ステキな「投資」になっていますね。キャリア支援の現場でも、良い意思決定をする人ほど、感情だけでなく、投資対効果(得られる裁量・学習機会・成果責任の範囲)で整理している印象があります。ツクルバに“投資する価値”を、もう少し具体的に言語化するとどこにありましたか?
柏﨑:マーケティング戦略をゼロベースで考えることができる裁量があり、開発チームやプロダクトマネージャーと密に連携しながらすぐ実行できる環境があることですね。また、新しい価値観を発信して社会にインパクトを与えるほどの成果を残す、それを弊社のメイン事業であるカウカモであればできると感じました。迷いはなかったです。
野崎:実際に入社して1年、電通デジタルでの10年はどう活きていますか?
柏﨑:電通デジタルでは「伸び代のあるところはどこか」と当たりをつける仮説思考だけでなく、チームを動かすマネジメントスキルも鍛えられたと思います。そういったポータブルスキルが事業会社でのマーケティング推進に活きていると思います。実際に、カウカモのMQLを前年比で127%増加させる実績も残せました。
野崎:事業会社に戻ってみて、どんな違いを感じましたか?
柏﨑:支援会社のほうがマーケティングの視野は広いですが、事業の視野は事業会社のほうが広い。自分の脳の使い方をアップデートしなきゃいけないなと。
今、人生で一番仕事が楽しいかもしれないです。20代前半の課題に向き合い試行錯誤していたときの「うまくできない感」が戻ってきた感覚で、今までの経験を活用しながらそれを乗り越えようとしています。
また、現在マーケティング領域以外の部署と連携することが多いのですが、同じビジョンを共有する人たちと共通の事業課題に向き合い解決していくことが、マーケターとして一番幸せなのだろうなと改めて感じています。
