シンガポールは世界最高の「実証都市」
その中でもシンガポールは非常に特殊な存在である。
人口約600万人という小国でありながら、一人当たりGDPは世界最高水準であり、多民族・多文化国家という特徴を持つ。そのため、企業にとっては「多様な顧客が存在するテストマーケット」として最適な環境が整っている。
さらに政府主導でデジタル化が進み、行政サービス、金融、納税、医療、交通、小売までがデジタルIDやキャッシュレス決済を中心に連携している。今回訪問したFairPriceでは、この思想が店舗にも反映されていた。
実験中のAIスマートカートをはじめ、会員アプリ、店舗とECの在庫統合、デジタルクーポン、セルフレジなどは個別の施策ではない。カート利用にはアプリ会員IDのQRを読み込ませることが必須である。筆者は会員登録ができていないため、同社IRやニュース記事から読み取ると、その後は商品コードをスキャンしながらカートに投入するが、重量センサーとのダブルチェックが行われているようだ。
売場で顧客がどこにいるかのロケーション管理がされており、近くの売場のおすすめや、探している商品売場までのナビゲーションも可能。Gemini Enterprise Agent Platformが組み込まれており、「このメニューが作りたい」という入力に対して必要な材料を売場で案内したり、会員IDに紐づく過去の店舗・ECでの購入履歴からのリコメンデーションも実施されるという。
このように1つのデータ基盤でつながり、Store of Tomorrow戦略として顧客体験を向上させるために設計されている。ちなみに在庫に関してはVision AIが導入され、店舗内CCTVをAI解析して棚欠品を検知し、スタッフへ通知している。
ドラッグストアのGuardianやWatsonsでは、健康・美容というカテゴリーを軸に、会員データを活用したパーソナライズが進んでいた。
Guardianでは「yuu Rewards Club」、Watsonsでは「WatsonsClub」にて、購買履歴や会員属性をもとに、アプリで個別クーポンやおすすめ商品を配信するとともに、ECと店舗で共通の会員ID・ポイントを利用できるOnline+Offline基盤を構築し、Click & Collectや店舗受け取りなどシームレスな購買体験を提供している。

コスメ専門店のSephoraではデジタルを活用した接客とブランド体験が融合。Beauty Pass会員の購買履歴や肌悩み・好みをもとに商品レコメンドやサンプル提案を行い、店舗ではデジタルツールを活用したビューティーアドバイザーのカウンセリングとECを連携させることで、一人ひとりに合わせた美容体験を提供している。
シンガポール発のブランド、LOVE BONITOではECと店舗が一体となったコミュニティ型ブランド構築が進められている。店舗を販売の場だけでなくイベントやスタイリング相談の場として活用し、EC・店舗共通の「LBCommunity」で購買履歴や会員情報を一元管理しながら、ポイント・特典・コミュニティイベントを通じて継続的な顧客との関係作りを進めている。筆者も会員だが、レジで会員証の提示を必ず求められ、店舗来店ログを確実におさえられている。
(クリックすると拡大します)
これらの企業に共通していたのは、「店舗を販売の場」として考えていないことである。店舗は、ブランドと顧客が継続的につながるための重要な接点となっていた。
海外企業は「顧客」中心の経営をしている
今回の講演で最も印象に残ったのは、DFI Retail GroupやWoolworths、LVMHなど、業態が異なる企業が共通した考え方を持っていたことである。それは、「商品を中心に考えない」ということだ。
DFIでは、EC、ロイヤルティ、リテールメディアをすべてデータ基盤で統合し、「顧客とのデジタルな関係」を経営の中心に据えていた。公開資料で少し掘り下げると、DFIが提供する「yuu Rewards」はFC展開の7-Eleven、Giant、Guardian、Toast Boxなどで使える共通会員プラットフォームだ。
そのIDにEC購入履歴、yuu提示時の店舗購買履歴が紐づけられ1st Partyデータを取得し、DFIが持つDFIQメディア(DFIQ Media)からリテールメディアとしての広告配信が店舗やデジタル上に行われる。DFI Retail Groupの年次報告書「Annual Report 2025」によれば、DFIQ Mediaはグループ全体(香港・シンガポールなど12市場)で1万面以上の店内デジタルサイネージを展開し、月間700万を超えるアクティブユーザーから得られるデータを活用しているという。
さらに分析を深めることで、プロモーションだけではなく、品揃えや粗利益改善まで行っている。
Woolworthsでは、ロイヤルティプログラム「Everyday Rewards」によって1st Partyデータを取得、マーケットプレイスによって自社では品揃えできない非食品などの品揃えを増やすことで、顧客の来店・購入頻度を高めて接触頻度を強化。自社リテールメディア「Cartology(カートロジー)」を連携させ、プロモーションを行っている。
経営の権限を「現場」に委ねる思想
LVMHでは、Dior、Louis Vuitton、Fendi、Loeweなど各ブランドにCEO、CFO、HR、ITを置き、LVMH全体の本社効率よりブランドごとの責任を優先していると説明。各ブランド(メゾン)の世界観は統一しながらも、各地域に商品構成や店舗運営の権限を委ねることで、現地の顧客ニーズに応えていた。
Sephoraが世界各地で成功している理由も、「本部がすべて決める」のではなく、地域ごとのマーチャンダイジングを尊重していることにある。実際に「すべてのマーチャント(商品担当者)を現地に置いた。それが成功の大きな理由だった」と話していた。つまりヨーロッパ、アメリカ、APACそれぞれで現地の商品担当(Merchandising Team)がアソートメントを決めている。
たとえば、フランスのシャンゼリゼ店では「TikTokなどのトレンドを毎日追う」「3〜4日ごとに表示商品を変更」「数分で人気ブランドを把握、売場を組み替える」と話していた。つまり「本社承認を待たず、現場が売場編集をしている」ということだ。
共通していたのは、「顧客を理解するためにデータを使い、その理解を基にサービスを改善し続ける」という姿勢である。「商品軸」ではなく「顧客軸」で経営が進んでいるのである。
