島袋氏「デジマに携わるようになり、外の世界をより強く意識」
檜垣:クリーク・アンド・リバー社の檜垣です。私は現在、Web業界のマーケターやクリエイターの転職支援に携わっています。今日はデジタルマーケターとして様々な企業で働いた経験をもつ島袋さんとキャリアについてお話しできればと思い、ヤプリのオフィスにお邪魔しました。まずは、改めて島袋さんのご経歴について教えていただけますか。
島袋:私は2004年にパルコに新卒入社し、当初はパルコにご出店いただいているテナント管理や新規出店交渉の業務を担当していました。
デジタルマーケティングの世界に入ったのは2013年。デジタル部署が立ち上がるタイミングで異動し、WebやSNSを活用した顧客コミュニケーション、O2Oマーケティング、オムニチャネル推進などを経験しました。2015年からは宣伝セクションに異動し、それまで行ってきたデジタルマーケティングに加え、全社の宣伝費の予実管理にも携わりました。
その1年後に、デジタルではない部門への異動が決まったのですが、当時の自分としてはもっとデジタルマーケティングを極めたいという思いが強かった。そこで2016年3月にパルコを退職し、デジタルマーケティングの専門部署のあるキリンへと転職したのです。
檜垣:パルコで12年間働かれてきて、急展開だったのですね。それまでの間、転職を考えたことはあったのでしょうか。
島袋:いえ、実は転職を考えたことは一度もなかったのです。元々アクティブな人間ではなくて、どちらかというと保守的な性格であることも影響しているのですが(笑)。
デジタルマーケティングに携わるようになってからは、変化の激しい領域だけに、積極的に情報収集しなければいけないと感じるようになりました。外部のセミナーに参加したり同業者とのつながりを広げたりしているうちに、自分の会社だけでなく、外の世界も意識するようになったのだと思います。
檜垣:なるほど。会社の内外で情報を得た上での判断だったのですね。
島袋:はい。転職エージェントへの登録もしました。キャリアの棚卸しも、それまでしっかり行っていたわけではなかったので、30代の半ばにして初めて本格的にやってみたという感じでしたね。
私からも質問していいですか? 当時「転職をするなら35歳が限界」という話をちらほらと耳にしていましたが、実際のところはどうなのでしょう。
檜垣:2000年代の前半には確かにそのような傾向がありました。しかし近年は人材の移動が増え、雇用形態が柔軟になってきていることもあり、年齢が大きな要素ではなくなってきています。
現在、クリーク・アンド・リバー社では、デジタルマーケターのキャリア相談を積極的に受け付けています! 詳細はこちら