10年ごとに大きな転換期を迎えた広告業界
有園:「ChatGPT」をはじめとした生成AIが盛り上がる中、マーケティング業界、そして広告代理店の業務も大きく変わっています。その中でADKグループはどんな取り組みをしているのか、お聞きしたいと思います。大山さんは業界の変化をどう見てきましたか。
大山:私が経験してきた40年間の広告業界の潮流を振り返ると、概ね10年ごとに大きな変化がありました。私が電通に入社した1984年当時はテレビが全盛期を迎えていて、日本の主力産業の自動車メーカーや家電メーカーも好景気。広告として売れるものがたくさんありました。
1990年代に入ると、「ニューメディア」と呼ばれたケーブルテレビ(CATV)や衛星放送が登場しました。また、雑誌が全盛で、さまざまなカテゴリーのものが発刊されました。マス広告としてもピークと言える時期で、テレビはもちろん、雑誌、ラジオ、新聞も好調でした。
2000年代にはインターネットに関わるサービスが出始めました。その中でも、2003年ごろに日本に入ってきた検索連動型広告は、私たちにとって大きな衝撃でした。社内外への説明が非常に難しかったですね。
有園:当時、私も広告代理店に説明して回りましたよ。検索によって広告が出るけれども、出るときも出ないときもあり、順位も変動するといった手法はあまり理解してもらえず、「こんなのは広告じゃない」と言われたこともありました。
大山:当初は業界として、会社としてGoogle・Metaなど日本の”上陸”してくるメディアやテクノロジーなどに対する抵抗感も大きかったですが、2010年ごろになると、スマートフォンが登場してアプリも増え、「この流れに乗るしかない」と切り替わっていきました。そして2020年代はAIの時代。技術革新は加速度的に進むため、ますます変化が激しくなっています。
いま目指すのは「百貨店の外商」
有園:大山さんは2004年ぐらいからデジタルビジネスに関わり、そういった変化を目の当たりにしてきたのですね。広告代理店の業務も大きく変わりましたか。
大山:デジタルによる変化は大きかったです。昔の広告ビジネスは、「大量仕入れ・大量販売」のスーパーマーケットのようなモデルだったと思います。マス広告はそのやり方が最も有利で、テレビなら24時間365日、全国の枠を最も多く売るのが収益や効率を最大化する方法でした。そのため、提案や営業活動にはヒューマンリソースが必要でしたが、デジタルの登場によってヒューマンリソースが仮になくても営業できるようになりました。
そこからコンビニエンスストアモデルに変化しました。大量の広告商品を品ぞろえするだけではなく、クライアントにとって利便性の高いソリューションを提供しようというモデルです。メディア広告にとどまらずデジタルソリューションを提供して欲しいというニーズも増えました。
そして今、目指しているのは百貨店の外商のようなモデルです。クライアントが必要としているソリューション群(メディアも含む)を仕組み化して、提案し運用していく。さらに、その起点はクライアント自身が抱える「課題の発見」です。すでに顕在化している課題に対して商品を提案するだけでなく、クライアントが認識していない課題も発見して解決する能力がないといけません。コンサルティング会社はビジネス全体の課題発見や業務改善は上手ですが、我々はマーケティングと広告、ソリューションに関するコンサルテーションとその実行に価値を見出す必要があります。