奥谷孝司氏
第二新卒として入社、気付けば得意分野を活かせる部門へ
青葉――奥谷さんは、アメリカの大学を卒業されているんですね。そもそも、なぜアメリカに?
奥谷:高校時代に留学した経験があり、その流れから日本の大学に進学してもぱっとしなそうという印象を持っていました。短期集中型で取り組む受験勉強も苦手で(笑)。だから、入るのは簡単だけど4年間みっちり勉強しなくてはいけないアメリカの大学に行くことにしました。
でも、帰国したら就職氷河期になっていて。人の紹介で大阪の人材派遣会社に勤めた後に、良品計画には第二新卒で入社しました。最初は皆が店舗勤務なので、僕も銀座一丁目のお店に丸3年勤めました。これは一店舗の勤務としては長い方なんですが、ただ、その後は予期せぬ展開が多かったですね。まず、本社への異動辞令があったと思ったら、すぐにヨーロッパで商品開発の勉強をしてくるようにと言われまして、取引先の商社のドイツ支社に出向することになりました。
青葉――海外関係の仕事をしたいなど、希望を出されていたんですか?
奥谷:いいえ、特には。それに、自分が商品開発に携わるという発想もなかったので、驚きました。これがちょうど2000年、28歳のときのことでした。でも行ってみたら、とても刺激的でしたね。2年後に帰国したときには、日本にもプロダクトデザインの重要性が認識され始めていて、当社でも世界各国のデザイナーを起用した「WORLD MUJI」のシリーズを展開することになり、それに携わりました。無印良品とは何か、それをデザインに落とし込むとどうなるのかと、優秀なデザイナーたちとたくさん意見を交わせたのはいい経験になりましたね。結果的に、当時はまだ珍しかったインハウスデザインを取り入れることにもつながりました。
青葉――その後はまた、かなりいろいろな部署を経験されていますね。
奥谷:そうなんです。生活雑貨、衣服など、ものづくりの部署を10年経験して、2010年の2月にWEB事業部に来ることになりました。そこに至るまでに経験として大きかったのは、大学院でMBAを取得したことですね。当社は比較的プロダクトアウト型ですが、やはり小売業にはマーケティングの概念が欠けているとずっと思っていました。
それに、“デザインの時代”といっても生活空間に寄り添うデザインを追求した結果、良くも悪くもデザインが収束してきていました。当社が扱っているものは、他のどの店にもないイノベーティブなものというわけではないので、そうなると一層、デザインや機能を含めた無印良品ならではの良さを伝えるマーケティングをしていく必要があります。それで、ちょうどノー残業デーが導入されて夜が空いたこともあり、自分のためにも勉強しようと思ったんです。大学院には2008年から2010年まで通い、自分でもびっくりですが主席で卒業することができました。