推し活の社会浸透がもたらした4つの変化と悩み
多様な「好き」を持つことや、それを表明することが一般的になった生活者。30代の推し活・オタ活当事者である筆者も、こうした社会の空気感の劇的な変化を肌で感じてきた1人です。しかし、生活者は今も「好き」にまつわる活動を楽しむ一方で、SNSの利用が浸透し「推し活」への社会からの注目が高まるにつれ、気持ちの変化や新たな悩みも生まれ始めていることがわかってきました。
<変化①「好き」と消費が強く結びつく状況への疑問>
推し活当事者の多くは、SNSで自分の好きなジャンルに関する情報を収集しています。そのため、アルゴリズムの影響で自分と同じジャンルが好きな人の投稿が目に入ることも多くなります。偏愛会議のメンバーからは「グッズを積む(たくさん買う)・ライブに全通する(すべて行く)ほうが偉い」という風潮や、「いくら使ったか」が同じ界隈の人からの評価につながっていることへの居心地悪さに言及する声が複数あがりました(図表5)。
誰がどれだけ課金しているかがSNSで可視化されやすい時代ゆえに、比較や競争が起きやすく、「好き」と消費が強く結びついてしまう状況が生まれているのです。
<変化②利益重視の企業への反発>
変化①で触れた「『好き』と消費が強く結びついてしまう」状況の背景に利益重視の販売を行う企業の影響があると感じ、不安や不満を抱えている人も少なくありません(図表6)。
インタビューや定量調査でも「中身が選べないのに種類が多く、欲しいものが揃わないランダム商品」や「人気が出ることが明白なのに、生産数が少ないコラボ商品」「利益目的の転売屋の買い占めを防げない売り方」といった企業の売り方・スタンスに対する反感が多数あがりました。また、推し活をする人々は基本的に「推しを支えたい」気持ちが強いのですが、その気持ちを逆手にとって消費を煽るような施策が「推しを人質に取られている」と炎上するケースも増えています。
推し活が大衆化したことで、推し活層がマーケティング文脈で注目されていることに生活者自身も気付いていることを企業も認識し、推し活層の思いをリスペクトする態度が求められるようになっていると言えるでしょう。
<変化③「他者に振り回されず、マイペースに推したい」欲求の高まり>
変化①・②のような状況も受けてか、「他者に振り回されず、マイペースに推したい」という意識もあらわれ始めています。
アイドルなどの「人」を推している生活者からは、「推しには推しらしくいてほしい」「幸せでいてくれたらそれでいい」といった推しを思いやる言葉が多く聞かれました(図表7)。さらに、今回インタビューした20代のアイドル推しの女性は、「(推しが)自分で信じる道を歩んで、その先に私が推さない未来もあるのであれば、それでいい」とも話します。推しに無理はしてほしくないし、自分自身も無理のない範囲で楽しみたいという気持ちがうかがえる発言です。
また、「ファン同士のつながり(界隈)とあえて距離を置く」動きもあらわれ始めています。特に推し活の経験が長い人を中心に、「一人で」または「(学生時代など、推し活を通してできたのではない)友達や家族と」推し活をしているという声が多く挙がりました(図表8)。
推しへの熱量・ライフスタイル・金銭的状況など、推し活をとりまく状況は人によって異なります。その違いが原因でトラブルが起きることも少なくないため、推し活層は推し活でできた仲間や界隈に対して非常に気を遣っています。偏愛会議の外部研究員には「好きの『温度差』を気にしなくていいので、推しへの想いはAIに話すほうがいい」という人もいました。SNSを通じて人とつながりやすくなった結果として生まれた気疲れも、マイペースな推し活を望む要因となっているといえそうです。
<変化④「強い『好き』がない」ことへの気まずさ>
変化①~③とは少し角度の違う話になりますが、様々な方へのインタビューをとおして、「自分にはそれほど強い『好き』がない」と感じている人のなかには、そのことに気まずさのようなものを感じている人がいることも見えてきました。
以前大学生に対して行ったインタビューでは、「『自分は●●オタクだ』というと、相手の方が自分より詳しかった時に気まずい。『自分は●●界隈だ』という言い方だと、軽いタグ付けみたいなものなので、そういう事故を防げて便利」という発言がありました。本来自身がどう名乗るかは主観的に決めてよいことのはずですが、非常に慎重に検討している様子がうかがえます。
また、推しのいない大学生からも「周囲では推し活をしている友人がほとんどなので、強く好きなものがないということを周りに言いづらい」という声があがりました。熱量の高い人の「推し活」「オタ活」が広く知られ一般化したことで、「好きではあるが、そこまでの熱量ではない」人や「推しのいない人」が自身をどう説明すればよいか悩む機会が生まれているのです。
企業にはこうした層が気まずさを感じずに、自分のペースで参加できるような受け皿を用意していくことも求められているのではないでしょうか。
