「売上の1%を寄付」社内は猛反発も、意外な“突破口”とは
──どれだけ高潔なメッセージを外へ発信したとしても、社内のメンバーが協力してくれなければブランドは存続できないかと思います。社内ではどのような反応が起きたのでしょうか。
廣岡:それはもう、とんでもない反発の嵐でしたね(笑)。
POPで商品をアピールしない決断をした際は、営業現場から「台所洗剤売り場に動物のPOPなんて付けてどうするんだ」と冷ややかな目を向けられました。「1%を寄付する」と発表した際には、「それで本当に売上が上がると思っているのか!」と詰められ、財務部からは「損失が一体いくら出るかわかってやっているのか!」と本気で怒鳴られました。
当時の日本には、今のように「社会貢献をビジネスに組み込む」といった概念はほとんど浸透していませんでしたから、彼らの怒りや不安は当然のものです。バイヤーさんからも「エコなんて言っても、モノは売れないよ」「1%寄付するくらいなら、その分をうちへのリベートに回してくれ」と散々言われました。
──当時の営業や財務からは激しい反発があったのですね。そこから、社内ではどのように理解が広がっていったのでしょうか。
廣岡:最初に社員へ伝えたのは、「ヤシノミ洗剤はサラヤという会社名よりも知られている、我々の顔(看板)。その看板商品が今、傷ついている。これをマイナスのまま放置しておいていいわけがない。なんとしてでも、この危機をチャンスへ、プラスへと転じなければならないんだ」という危機感の共有でした。
でも、最大の突破口になったのは、じわじわと前年超えで上がり始めた「売上の数字」と、外部からの「客観的な評価」でした。
当時、新設され始めていた数々の環境アワードへ積極的にエントリーして、賞を受賞していきました。それが記事になると、取引先から「賞を取ったんだね、すごいね」と話題にされるようになります。そうなると、営業担当も自社の活動について説明ができなければ困るため、自発的に活動の意義を調べ、理解せざるを得なくなりました。
つまり、「自分たちがやっていることは社会的に高い評価を受け、売上にもつながっている」という事実を取引先や世間から教わったことで、現場の社員も意義を理解し、自分の言葉で説明し始めるようになったのです。
ユーザーを「仲間」に変えるボルネオ調査隊
──一般消費者をボルネオへ連れて行くキャンペーンも行っていましたね。こちらの狙いもうかがえますか。
廣岡:1%ドネーションを開始する際に販売促進と認知拡大のキャンペーンを展開できないかと考えました。代理店に相談したところ「エコグッズやハイブリッド車が当たるキャンペーン」を提案されました。しかし、我々が欲しいのは一過性のインパクトではなく、一生の味方になってくれる「ブランドロイヤリティの高いファン」です。特賞の車に莫大なお金をかけるくらいなら、同じ費用をすべて使って「お客様自身にボルネオ現地を見てもらい、生々しいレポーターになってもらうツアー」をやろう、と自分たちで企画を立ち上げました。
これが一般の方から参加者を募り、毎年8名をボルネオへ派遣した「ボルネオ調査隊」です。現地への渡航注意情報が出るまでの9年間実施し続けました。
──現地に実際に行かれた参加者のみなさんは、どのような反応をされるのでしょうか。
廣岡:私たちは、参加者の方をヘリコプターに乗せて、ボルネオの上空から現状を見てもらいました。
地上を走るバスや車の窓から見ていたときは、ただ緑豊かなヤシの木が広がっている美しい景色に見えるのですが、上空から一望すると景色は一変します。地平線の彼方まで、どこまで走っても不自然なまでに一色に敷き詰められたアブラヤシの畑(パーム農園)が広がっており、本来の熱帯雨林がほとんど消え失せている。
その恐ろしい光景と環境破壊の凄まじさを目の当たりにして、ヘリコプターから降りてきた途端に、涙を流す方も何人もいらっしゃいました。この「百聞は一見に如かず」の強烈な体験を経た方々は、単なる消費者ではなく、現地を見たレポーターとしてボルネオの現状やサラヤの活動の意義を自発的に周囲へ伝えてくれる理解者(仲間)へと変わっていきました。
──そこまで本気で活動を続けていると、世間からの見られ方も変わっていきそうですね。
廣岡:最初は当然、「偽善じゃないか」と批判されることもありました。しかし私たちは、「偽善と言われても、何もしないよりは、絶対にやったほうが良い」と信じていました。
そして「少しだけやって途中で辞めるから偽善になる。ボルネオの問題が解決するまで、ヤシノミ洗剤というブランドが消費者に求められ続ける限り、絶対に辞めずに継続しよう」と誓ったのです。もう20年、私たちは現地に行き続けています。継続という歴史だけは、誰にも「偽善」とは言わせないだけの説得力を持つのだと思います。
