日本でのApple、逆境を乗り越えた山元氏の改革とジョブズの一声
ここから話をアップル・ジャパンに戻そう。ジョブズ氏から2004年に日本法人を託された山元氏だったが、「最初の数年間は地獄のようだった」と振り返る。

山元氏が代表に就任した当初、まだ国内のApple Storeは銀座の1店舗のみ。売上の約8割を家電量販店に頼っていたが、店舗からの評価は厳しいものだった。
「『Appleは生意気』『利益が低くて儲からない』『音楽をデジタルで聴く人なんていない』……散々な言われようでしたね。iPodも音楽売り場ではなく、パソコン売り場の端に少し置かれているだけ。十分な在庫を確保することが難しく、すぐに競合他社の売り場に置き換わってしまうこともありました」(山元氏)
山元氏は家電量販店の社長にApple製品を扱うメリットをプレゼンしつつ、アメリカ本社のティム・クック氏をはじめとする経営陣と毎週のようにミーティング。社内外に奔走する日々が始まった。
さらに、アップル・ジャパンの社員には長年の不振から「負け癖」が染み付いていたことも問題だ。「製品が悪いから売れない」という空気を一掃するために、約3万人の応募者から厳選した100人を新規採用。外から新たな風を送り込むことで、組織改革を実施した。
それでも、就任から半年ほどは成果が表れずもどかしい時期があったという。アメリカに呼び出され解任を覚悟した山元氏に、ジョブズ氏が投げかけたのは意外な言葉だった。
「『What can I do for you? 賢治』と聞かれました。私は藁をもつかむ思いで『日本に来てくれ』と頼んだことを覚えています。スティーブが日本に来て舞台に立てば、日本のお客様も販売店も、『Appleは復活に本気だ』と認識すると考えました」(山元氏)
そして2005年8月、ジョブズ氏は東京国際フォーラムに登壇。日本語版iTunesやiPod nanoを発表すると、国内の売上は急上昇した。毎週、前週売上の3倍を更新していくほど、うなぎ上りの勢いになっていったという。
落ち込む日本経済復活のために退社を決意
現在では一般的となったApple製品売り場のイメージ。大きなテーブルが特徴的な、整然としたミニマルデザインを思い浮かべる人も多いだろう。それを日本に持ち込んだのも山元氏だ。
「あるときティムから、『日本の売り場はいわゆる“Apple 製品売り場”の雰囲気とは違うね』と言われたことがあるんです。そのアドバイスをもとに、フランスやイタリアの家電量販店をいくつも視察しました。その結果、日本でもApple独自の売り場が誕生します。実は、みなさんが街で見かけている“Apple Store のテーブル”は1脚3,000万円もするんですよ。質にこだわるスティーブらしい方針に頭を悩ませることもありましたが、このイメージ戦略や世界観の統一によって、Appleはますますの復活と成長を遂げていきました」(山元氏)
山元氏がアップル・ジャパンの立て直しに掛けた時間は約5年半。売上が安定してきた2009年、ついに退任を決意する。理由は「元気のない日本そのものを再び活気づけたい」と考えたからだった。
「私が若いころ、日本は世界中から尊敬される国でした。しかし、昨今ではGDPは伸び悩み、給料は増えず、世界の企業TOP30にもほとんど入りませんそんな状況を見て、Appleを復活させたあとに残った人生は、日本経済の復活のために掛けたいと思ったのです」(山元氏)
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