「見えない(バレない)価格差」が収益源となっている実態
では、隣に見えない価格はどうか。たとえば食料品の即日配達アプリInstacartでは、同じ店の同じ商品を同時刻に注文しても人によって価格が違う。アルゴリズムの価格設定で最大23%の差が生じ、世帯によっては年1,200ドル(約18万円)の追加負担になると判明した(Consumer Report 2025)。同社は調査を受け即時中止を発表したが、その中止は「押せば戻せるスイッチだった」ということも示す。
配車サービスのUberやLyftも同様の価格変動がある。店内のESLが「隣人の値札が見える」可視的環境なら、配車アプリはその逆だ。隣の支払額が見えないため、自分の価格だけ上がっても気づかない。17州30ルートでほぼ同時刻の見積もり調査では最高価格帯と最低価格帯の価格「差」は42.4%(中央値)に開く(Consumer Reports 2026)。
筆者もUberでグループ移動の際、自分の提示額だけ高いと気づきつつ、急ぎのときは面倒なのでそのまま乗ってしまう。両アプリを比較する利用者は16.1%しかいないという「比較しない摩擦(比べないから、高値が通る)」の構造だ。
とはいえ、見えない価格そのものが悪いわけではない。OpenAIやAnthropicのAI利用料は、トークン単価が事業規模やコミット量で企業ごとに異なる。自動車ローンの与信金利が個人ごとに違うのと同じで、隣の買値は見えなくても「違って当然」だと皆が知っている。
問題は、この常態が食品・日用品の棚という「生活の一丁目一番地」に降りた瞬間、社会の受け止めが一変することだ。「交渉で決まるB2B価格」と「知らないうちに決まる生活必需品の価格」は、同じ個別価格でも意味が違う。米国の州法の多くが「日々の食料品」に対象を絞るのは偶然ではない。
法規制はまだの日本。境目を溶かすリテールメディアが次の焦点
イオンリテールは、日本IBMと開発した「AI価格」を2021年5月から導入した。惣菜・日配から始まり2024年には畜産・水産へ拡大。AIが販売データから適切な値引き率を提示し、ロス率は導入前後比で1割以上低減した(2024年5月発表時)。トライアルは「トライアルGO」で店内AIカメラ105台が売れ行きを画像解析し、AIが値下げの実行と幅を自動判断してESLを書き換える。同社が「世界初、店内カメラ連動のダイナミックプライシング技術」と呼ぶ仕組みだ(画像2:2023年6月発表時)。
日本での語られ方は「食品ロス削減」「DXによる効率化」「人手不足への対応」であり、この大義名分は本物だ。夕方の魚屋の店主が「安くしておくよ」と声をかけるとき、そこには顔があり、同じ棚の全員に同じ声で言う。日本のESLの運用は「全員に同じ棚価格」を保ち、米国の規制が問題にする「客ごとの価格」とは一線を画している。しかし、今はまだ「大丈夫なのかも」という“凪(なぎ)”の状態でさまよっているにすぎない。
問題は、この境目が別のDXで簡単に溶けてしまうことだ。それが日本の「リテールメディア」ブームである。店内サイネージ、スマホアプリ、ID-POSデータ、属性認識カメラ、セルフレジ、オンラインショッピングカートが統合されれば、「棚の価格は全員同じ。だがアプリクーポンや自動レジ決済で実質支払額は人ごとに違う」状態が自然に成立する。クーポンの出し分けは日常だが、いずれ「棚札の書き換えと何が違うのか」という問いが米国同様にやってくるだろう。
既にAmazonは2026年1月、「Amazon Go」と「Amazon Fresh」の全72店舗の閉鎖を決定した。手のひらの生体認証決済「Amazon One」も2026年6月にサービスを終了し(画像3)、Whole Foods全店から読み取り機を撤去、蓄積した生体データも削除すると発表した。法規制を先読みし、個人価格をいつでも実装できる器を、自らB2C売場から引き上げた様相だ。
