感覚を数値化。「売れる色」を導くAI術

プロジェクトを進めるにあたり、花王は「需要予測」と「需要計画」という2つの言葉の定義を明確に切り分ける作業から着手した。
松本氏は「売上を最大化したいマーケティング部門と、在庫リスクを最小化したいサプライチェーン部門の間で、いかに調整が行われているのか」という事業会社によくある組織課題に言及。これに対し花王側は、AIが客観的データに基づき算出するのはあくまで「需要予測」であり、その数値に対してプロモーション施策や供給制約を加味し、人間の知見を経て最終的に合意した値が「需要計画」だという見解を示す。数字を共通言語とすることで、部門間の対話による円滑な調整が可能になった格好だ。
さらに松本氏が、天候や外部変数などに左右されやすい予測モデルにおいて、精度を高め、保つための工夫について尋ねると、箕輪氏からAIに感覚を学習させる独自のアプローチが紹介された。それが、色を定量的に表現する「HSV色空間」の活用だ。
消費者が化粧品に対して抱く「使いやすそう」「奇抜だ」といった視覚的な感覚をAIで処理するため、一般的なRGBではなく、色相(色合い)、彩度(鮮やかさ)、明度(明るさ)という3つの属性で色を表現するのがHSV色空間だ。「肌馴染み」を色相の値として定義し、日本人の平均的な肌色からの距離という具体的な数値に置き換える。さらに、「鮮やかさ」や「深み」「透明感」といった化粧品業界特有の定性的な表現を彩度や明度のデータに変換し、ラメの大きさや輝きも画像解析によって数値化に成功した。
箕輪氏が例に挙げたのは、使いやすい茶色系のアイシャドウと、青やピンクが入った特徴的なアイシャドウの比較だ。多くの人が直感的に「茶色系のほうが売れそう」と感じる感覚を、いかにしてシステムに落とし込むかが精度の鍵を握る。前述したHSVの指標を用いた分析では、特徴量と呼ばれる変数の中から最も売上に寄与する要因をランキング形式で抽出。一番上位に「4色平均の色相余弦値(色相を数値化した指標)」が来るなど、感覚的に当たり前と思われる事象を、確固たる数学的モデルとして証明してみせた。過去の売上という結果だけでなく、商品の持つ物理的・視覚的な特徴そのものを変数として定量化することで、未知の新色であっても客観的な推計が可能になる。
廃棄38%減!AI予測とマーケターの共闘
AIを活用した需要予測モデルの導入は、定量・定性両面で確かな効果をもたらした。松本氏が「メーカーの皆様からすると、38%削減はものすごいインパクト」と言及したのが、化粧品事業における棚卸資産の削減という具体的な成果だ。在庫の過多は保管コストの増大や将来的な廃棄ロスの発生を招き、企業の利益率を大きく圧迫する。需要予測の精度向上によって最適な生産と供給のバランスが実現したことは、経営陣からも高く評価されているという。同社が経営の枠組みとしてROIC(投下資本利益率)の考え方を導入しており、在庫を増やして売上を伸ばす手法を許容しない方針があることも、全社的な合意形成を強力に後押しした。
成果が出る一方で、存在していたはずの現場の葛藤にも着目すべきだろう。松本氏は具体的なシチュエーションとして「マーケティング部門が絶対売れると自信を持つ新製品に対し、AIの予測値が低く出た場合、どのような着地に至るのか」と質問した。

AIの予測を絶対視すればマーケターの熱意や新たな市場開拓の機会を奪うことになりかねず、情熱だけを優先すれば再び過剰在庫のリスクを抱え込むというジレンマに直面する。
この問いに対し箕輪氏は、需要が低いと予測されたからといって即座に販売をやめるわけではなく、予測結果を前提とした対策を打つ考えを述べ、プロセスを説明した。
AIは過去データを学習するため、斬新な商品に対する推計はどうしても弱くなる。その性質を理解した上で、関係者間で具体的なプロモーション施策効果を協議して予測値に上乗せを行う。あるいは生産部門と緊密に連携し、初期ロットを抑えて市場の反応を見ながら追加生産する体制の構築にも踏み切った。松本氏が「予測モデルを結論にするのではなく、それをベースにどうしたらいいかを皆で考えていくのですね」とまとめたように、AIによる論理的な予測と人間の知見を融合させる「Human-in-the-Loop」の思想によって、組織的な課題を見事に解決へ導いている。
