情報環境やテクノロジーが発達し、営業組織の標準化が目指される時代。営業職の価値はどうなっていくのだろうか。営業出身社長へのインタビュー連載、今回登場いただくのは、斬新な仕掛けで人々の印象に強く残るアンビエント広告の手法を用い、数々の広告賞を受賞するメディアコンシェルジュの大谷昭徳社長だ。クリエイティブの世界でビジネスを動かす大谷さんに、営業職の意義や、仕事をするうえで大切にしているモットーを伺った。
被写体になる広告づくりを極めるために独立
――大谷さんは26歳のときにメディアコンシェルジュを起業されていますが、その前はどんなお仕事をされていたのでしょうか。
起業するのが当たり前だと思っていたので、会社というより社会に就職するような気持ちで広告会社に入社しました。最初は飛び込み営業から始めたのですが、売上のためとはいえ効果や良さが感じられない商材の広告を扱うときはしんどかったですね。みんな単純なセールスからいかに脱却するかを考えていました。幸い、その会社は社長の懐が深く、やりたいことがあればやらせてくれたし、自由に失敗させてくれたので、修行しやすい環境ではありました。
ターニングポイントは、前職で出会ったApple社の「Think different」というキャンペーンです。海外ではそのポスターが掲出される場所が画期的でした。たとえば、ピカソのポスターはルーブル美術館の横に、コッポラのポスターは映画の撮影スタジオの横に設置し、風景といっしょに写真を撮られて初めて完成する広告を作ったんです。そのキャンペーンを東京でも展開することになったのですが、ほとんどの広告会社が既存の広告媒体を提案していました。そこで僕が手を挙げて、その場所とのコンテクストを持つ屋外広告を新たに開発し提案したところ、これがうまくいきました。

海外では当たり前に実施されていることが、東京ではまだ実施されていないという残念な事実がたくさんありました。2003年にカンヌ広告賞金賞を受賞したアディダス空中サッカーの「ライブビルボード」と呼ばれる手法は、スタントマンをビルボード(看板)に吊り下げててサッカーをし、その様子をみんなが写真に撮るというもので、海外では早くからとり入れられていましたが、当時の東京では誰もやっていませんでした。Think differentの取り組みをきっかけに「会社でやっている場合ではない」と思い立ち、2001年7月にメディアコンシェルジュを立ち上げました。メディアコンシェルジュのテーマである「被写体になる広告を作ること」は、こうした海外の先進例にルーツがあります。

――被写体になる広告づくりを極めるために独立されたんですね。その狙い通り、メディアコンシェルジュはこれまで数々の大手企業と手を組み、ユニークなキャンペーンで話題をさらっていますが、独立後の道のりは最初から順風満帆だったのでしょうか。
クライアントが0社の状態からスタートして、飛び込み営業の末に掴んだ1発目の仕事がアディダスの広告でした。サッカー日韓W杯の時期に日本代表の新ユニフォームをお披露目するキャンペーンで、渋谷ハチ公前に掲出した中村俊輔選手の巨大なポスターが発表と同時に新ユニフォームを着るという一大イベントだったのですが、この仕事がなければ会社は倒産していたと思います。以降は新宿のゴジラにイソジンを持たせたり、クリスマスのイルミネーションを100人で見られる巨大こたつをつくったり、とにかく写真の撮りどころや撮りやすさを意識して広告を制作してきました。昔と違って今はSNSが発達しているので、拡散されれば世界中の人に見てもらえるのがありがたいですね。
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SalesZine編集部 渡辺佳奈(セールスジン編集部 ワタナベカナ)
1991年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部を2013年に卒業後、翔泳社に新卒として入社。約5年間、Webメディアの広告営業に従事したのち退職。故郷である神戸に戻り、コーヒーショップで働く傍らライターとして活動。2021年に翔泳社へ再入社し、SalesZine編集部に所属。
※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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