「なぜ売れた?」が本部に届かない。小売業界共通の課題
期間限定のコラボレーションTシャツが飛ぶように売れているアパレルの店頭を想像してほしい。そこでは、店舗スタッフが巧みにコーディネートを提案し、Tシャツに合わせるためのパンツも一緒に買ってもらうといった見事な接客が行われている。限定商品の魅力だけでなく、現場の接客力があったからこそ売上が上乗せされたという事実は、店舗運営における極めて価値の高い定性情報だ。
しかし、これが店長による週報の報告段階になると、様相が変わってしまう。忙しい店長が1週間を振り返って執筆する際、詳細な経緯を思い出す余裕がなく、「限定Tシャツの売上が好調だった。天気が良かったため客数が伸びたのではないか」といった、主観的で曖昧な理由に終始してしまうケースは少なくない。
このように、現場に溢れているはずの「なぜ売れたのか」という真因が本部に届かない背景には、店舗と本部の間の構造的なギャップがある。店舗視点に立てば、日々起きている顧客の反応を逐一メモする時間はなく、言語化が苦手なスタッフを支援する仕組みも存在しない。一方で本部視点に立てば、数百店舗から上がってくる報告の中から、施策のヒントになる重要な情報だけを素早く見つけ出し、他店舗へ横展開したいという切実なニーズがある。定量的な売上データだけでは見えない「現場の空気感」を、いかにして負荷なく吸い上げるかという点に、多くの小売事業者が頭を悩ませてきた。
この課題に対して、海外では既に先進的なアプローチが始まっている。コーチやケイト・スペードといった世界的ブランドを展開するタペストリー社では、1万8,000人の従業員から現場の声を収集するため、AWSの生成AIサービスを活用したフィードバック収集アプリを構築した。音声入力やAIによる情報抽出を組み合わせた結果、1年間で約3万件もの良質なフィードバックが集まり、マーチャンダイジングの劇的な改善につながったという。
AWSジャパンのソリューションアーキテクトである濱上和也氏は、セッションの冒頭で「効率よく現場の声を届けるにはどんな仕組みが必要かということをぜひ考えていただきたい」と問いかけ、定性データを意思決定に活かす重要性を強調した。
現場の負担を減らし、気づきを最大化するAIエージェント「SMART」とは
こうした店舗と本部の情報の粒度・鮮度のギャップを解消すべく、AWSのプロトタイピングエンジニアがユナイテッドアローズの店舗運営に関わる事業部門の声を元に開発し、オープンソースとしてGitHubに公開しているサンプルアセットが、AIエージェントを活用した「SMART(Store Manager Agent for Retail Tech)」だ。このシステムは、Amazon Bedrockなどの高度な生成AI基盤や音声認識サービスであるAmazon Transcribeを組み合わせ、現場の定性データを手軽に、かつ深くデータ化するコミュニケーション基盤として設計されている。
SMARTの大きな特徴は、店舗スタッフ向けに提供される「デイリーサーベイ」と「AIチャット」の機能。本部側は日報や週報のフォーマットをノーコードで簡単に定義でき、店舗スタッフはそれに沿ってスマートフォンなどから回答を入力する。この際、タイピングが苦手なスタッフであっても音声で簡単に入力できるよう配慮されている。さらに画期的なのは、スタッフが一度入力した内容に対して、AIエージェントが自律的に深掘りの質問を開始する点だ。
たとえば、スタッフが「午前中に若い男性客が多かった」と入力すると、AIは「その方々はどんなトップスを探していましたか?」と問いかける。それに対して「コラボTシャツが売れた」と答えると、さらに「彼らはどうしてそのTシャツのことを知ったのでしょうね?」と追及してくる。この対話プロセスにより、「SNSで見かけたと言っていた」「近隣のイベント帰りに立ち寄ってくれた」といった、従来の日報では削ぎ落とされていた貴重な背景情報が自然とログに残ることになるのだ。
濱上氏は、このシステムが目指す設計思想について、「主観的になりやすい日報や週報の業務から、AIが導いた客観的評価も抽出することができるため、店舗側も即座にフィードバックがもらえ、現場の次の日のアクションにも気づきとして活かせる」と説明する。主観的なメモをAIが介在して深掘りすることで、他部門や別のAIエージェントが再利用できる再現性の高いナレッジへと昇華させる点が、SMARTの真骨頂だ。
