はずれにくいピアスキャッチが誕生するまで
家に帰ってみたら、つけて出たはずのピアスが片方なくなっていた…。お気に入りのピアスを落としてなくしてしまった時の悲しさ、悔しさ。残念ながら、女性なら誰でも経験したことがあるといってもいいほど頻繁に起こること。実際、Chrysmelaという会社が実施した調査によると、ピアス利用者の86%が紛失を経験しているそう。そんな女性を悲しませる問題を解決するために、「はずれにくいピアスキャッチ」を開発したのがChrysmelaの代表である菊永英里さん。わたしも実際につけさせていただいているけれど、本当にはずれない。
先日、南青山にあるキッズルームつきのコワーキングスペース「Hatch(ハッチ)」で菊永さんにお話を伺ったの。今回は、彼女のライフストーリーと共に、ピアスキャッチの誕生についてお伝えします。
彼からもらったピアスをなくしてしまった!
菊永さんがピアスキャッチを開発する!と決めたのは、個人的な経験がきっかけ。24歳の頃、当時付き合っていた彼氏と大げんか。その原因が、彼からプレゼントされたピアスを紛失してしまったことだった。当然なくしたくてなくしたわけじゃない。「私のせいじゃない、留め具が悪い」と感じ、周囲の女友達に聞いてみたところ、ピアス紛失に悩む女性がやっぱり多かった。これが、はずれにくいピアスキャッチの着想。24歳の菊永さんは最初の図面を書き始めた。
はずれにくいピアスキャッチとは、どんな商品なのか。販売するのはピアスロックとクリスメラキャッチの2種類。様々なピアスに対応するために違う色味を用意。金属アレルギーの人に配慮して、施術や医療専用、歯の詰め物にも用いられる素材、サージカルステンレスを使っている。ピアスキャッチはとても精密なため、金や銀ではその精密さが実現できない。約5ミリの製品の中に収まる部品の数は9つ。それぞれが専門の工場で0.01ミリのズレも許されない精度で製造され、最後は人の手によって組み立てられる。
「自分のルールで働きたい」高校生のときに起業を決意
はずれにくいピアスキャッチを開発、販売するために起業したのは26歳の頃。今年でChrysmelaは6年目に入る。でも、そのだいぶ前、高校生の頃に彼女は起業することを既に決めていたんだそう。幼少時代をオーストラリアのシドニーで過ごし、中学3年生になって日本に帰国。塾に通っていたけれど、そもそも電車通勤(シドニーは車社会)、ましてやラッシュアワーなんて人生初めて。あまりの混雑に電車を3本見送って、結局塾に行けずに泣いて家に帰ったこともあった。
「15歳になって電車にも乗れないのではこのまま普通の人みたいに生きていけると思わない方がいいな。部屋も綺麗じゃないし、家事も好きじゃないから主婦になれる気もしない。結婚もできるかわからない、でも子どもは欲しい。」
高校生ながらに考えた。働きながら、自分の人生を選べる仕事の仕方って何だろう。そこでたどり着いたのが、社長になって自分の会社のルールを自分でつくればいいという結論。高校の同級生に社長になることを決めたと話すと、怪訝そうな顔で見られたと思い返す。
「何の社長になるの?と聞かれて、当時は社長になるってことを決めただけだったから答えられなくて。そうしたら、友人にこの子は大丈夫か?って顔で見られたことを覚えています(笑)こういう夢は、確定するまで人に言わない方がいいんだ、って思いましたね。」
アルバイトを禁止されていたため、学生の頃から、自分でお小遣い稼ぎする方法を考えては試行錯誤を繰り返していたそう。ビーズアクセサリーの内職から、しまいには自身でアクセサリーの注文を受けるようになったり。苦手な人前で話すことを克服するためにバンドのボーカルをしてみたり。イベントの舞台裏に興味を持ち、ライブイベントのコーディネーターをしたことも。バンドのための箱を押さえて、支出を上回るだけのチケットを販売する。何か新しいことにチャレンジするたびに、銀行員だった父親に事業計画書を提出するものの、ことごとくダメ出しされた。そんな学生時代に重ねたチャレンジから、仕事がわからないと起業もできないと考え、まず企業に就職して3年間経験を積むことにした。