あらためて「オムニチャネル」について考える
この連載のなかで何度か、「オムニチャネルはチャネル論ではなく、消費行動の変化に対応すること」といった主旨のことを述べてきました。最終回となる今回は、この「消費行動の変化」を読み解くため、目の前の事例や“答え”の探索から離れ、少し過去の歴史を振り返りながら、私なりに現代・近未来の消費者論をお話できればと思っています。
近代消費の母はエリザベス一世?
生活必需品以外を求める「近代的消費」は、一説では英国のエリザベス女王(1533~1603)が、貴族の勢力を弱めるために豪華な生活様式や宴を奨励したことに端を発すると言われています。貴族たちは贅を尽くした屋敷を設け、盛大な宴を連日開き、女王から評価を得ようとしました。また、遠く離れた文明・中国は憧れの対象となり、中国陶器で中国のお茶を嗜むことが貴族の象徴となりました。大航海時代を経てもたらされた遠い異文化への憧れは、近代消費文化の日の出をもたらしたのです。
それから200年ほど経つと、今度は産業革命によって生まれた産業資本家たちが、社会的ステータスを求めて大邸宅や高価な陶器や調度品といった「貴族たちの生活」を買い漁りました。やがて、産業革命の恩恵は庶民にまでおよびます。新大陸アメリカで1903年に設立された自動車会社フォードが発売した「T型フォード」は大衆でも買える車としてもてはやされ、大衆消費が一気に花開いたのでした。
富裕層から低所得者層へ、異文化や上流階級への憧れに基づいて行われる消費文化は「トリクルダウン(trickle-down)」と呼ばれ、近代消費の原点ともいうべき重要なキーワードです。日本でも文明開化以降の舶来品ブームや、第二次世界大戦後50年代のアメリカ文化ブームという形で初期の消費文化を形作る重要な要素となっています。
消費者は成熟していく
今では想像しづらいかもしれませんが、当時の消費者はまだ「モノを買うこと」に慣れておらず、見聞きした上流階級への憧れを胸に百貨店やメーカー系列店に出かけ、買い物の先生たる販売員の指南に基づき商品を選択していたと言われます。
70年代に入るとある程度消費者も慣れてきて、雑誌を教科書とした予習を通じ、自分なりの消費スタイルを模索し始めます。「車ならなんでもいい」ではなく、雑誌で学んだ「憧れの車種」に大枚をはたき、ファッション誌に載っていた“最先端”を買い求める。60年代に急成長した「なんでもある」総合量販店(GMS)が、「本当に欲しいものがある」専門店やコンビニに取って代わられたのも、このような時代背景があったからと言えるでしょう。
限られた情報のなかでより良いものを求めて知見を深めていく。消費の歴史のひとつの側面は「消費者が成熟していく歴史」として読み解くことができます。