暗黒の参照点を見つけ出せ
楠本:人は必ず何かを「参照点」としている、という特性を意識するということですね。そうすると、表現の仕方で「参照点」が変わり、その結果、人の行動が変わっていく、ということですね。
大竹:どのような事象にも、暗黙の参照点があると思っています。たとえば、八王子市では、大腸がん検診の検診率を上げるためにナッジを取り入れる際、「今回検診すれば、来年度も検査キットを送ります」「今回検査を受けないと、来年度検査キットは送りません」と2つのメッセージを候補として挙げていました。
論理的には同じ意味のメッセージなのですが、前者には送られてこないという暗黙の参照点、後者は送られてくるという暗黙の参照点が存在しています。そのため、後者のほうが権利を失いたくないと思い、検診率が上がるのです。このように、メッセージ1つで人の参照点というのは変化するのです。
また、私は新型コロナウイルスの専門家会議で「人との接触を減らす、10のポイント」の策定に関わっており、帰省を抑制するメッセージを考えていました。通常だと「帰省を控えてビデオ通話を使いましょう」などとなりがちですが、私は「ビデオ通話でオンライン帰省」という言葉を提案したのです。
前者のメッセージだと帰省を控えることが参照点になり損失を強調してしまいます。一方、後者の場合は帰省ができないことが参照点になるので、できないよりはビデオ通話をしたほうが得であると伝えることができるのです。
こういったことを、マーケティング業界だとコピーライターやマーケターの方が直感的に考えてきていましたが、行動経済学では理論をもとに決めているのです。
楠本:「暗黙の参照点」とは、非常におもしろいキーワードですね。まず、自社の商品やサービスを顧客に購入いただく際に、「暗黙の参照点」がどこにあるのかを意識する。そしてそれをどのように活かす、変えることで有利な状況につながるかを検討し、メッセージを作る。そのような思考プロセスが重要ということですね。
大竹:マーケターの中には、無意識に行動経済学を取り入れているケースがあると思います。たとえば、店頭に高級な商品を並べて高い値段を意識させ、店内に安い商品を多く置いてお得に見せるというのも、「このお店の商品は高い」という参照点を作る行動経済学的なアプローチの1つです。
行動経済学に欠かせないのは効果検証
楠本:ありがとうございます。今後企業がマーケティングやビジネスに行動経済学を取り入れていく動きは加速していくと予想される中で、実務家として気を付けておくべきことがあれば、最後に是非アドバイスをお願いします。
大竹:行動経済学で欠かせないのは効果検証のプロセスです。それが常にできるような体制を企業の中で構築していくことが求められます。特にマーケティングはネット広告をはじめ検証する技術が整いつつありますので、そのような技術をうまく取り入れていくべきではないでしょうか。
マーケティングでは、セグメント別にアプローチすることも当たり前となっておりますが、送ったメッセージの受け取り方は人によって様々です。そのため、できるだけ個別最適で相手の参照点を意識しながらメッセージを送り、効果検証していくことが重要だと思います。
また、メッセージに関してはEASTを用いてチェックするのはもちろん、シンプルにすることが重要です。たとえば、商品のベネフィットを複数メッセージに入れると、関係ないものが含まれていた段階で「私には関係ない」と認識してしまうケースがあります。そのため、セグメントごとに1つのメッセージを決め、検証してブラッシュアップしていくのが良いかと思います。
楠本:大竹教授、貴重なお話をありがとうございます。MarkeZineの読者の方にも、行動経済学の理論だけでなく実践につなげるためのヒントが届けられたのではないかと思います。