豊澤栄治氏の人気連載「実践!WebマーケターのためのR入門」を書籍化した『楽しいR』の発売を記念して、豊澤氏とアトラエの井端 康氏の対談をお届けします。(後編はこちら)
転職サイト「Green」のマーケッターとして
―まず、最初にお互いの自己紹介を簡単に。
井端 僕は今、入社3年目。最初はエンジニア見習いみたいなところからスタートして、開発の仕事を1年半くらいやった後で、主力事業である転職サイト「Green」のマーケティングに移りました。そこから、いわゆるウェブマーケティングといわれる領域に従事しています。ウェブ広告をたくさん使って、広告効果をどう評価するかということが、ずっと社内で議論の対象だったので、それを体系的な方法論でやるんだったらどういうアプローチがあるのか、ということに次第に興味を持ち始めました。そのころ、仕事を通じて豊澤さんとのやり取りが増えていき、お聞きする機会が増えていったんです。
―広告の運用に関しては、井端さんに一任されているのですか。
井端 そうです。ほっといてもデータとして数値は出るんですけど、それをどう評価するかというのが結構難しいところで。データって人によって見たいように見れてしまう。だから、ちゃんとした見方で評価できるようになりたい、というのが課題としてずっとありました。
―井端さんがRを使うようになったきっかけは。
井端 基本的にやろうと思えば全部Excelで間に合っちゃうんですよね。CSVで吐き出されるデータなので。ただ、僕の場合、Rの使い方がちょっと特殊です。最近は、モデル作ってこうしようというのがあるんですけど、以前は本当にExcelのマクロみたいな感覚で使っていました。僕、Excelのマクロが使えなくて、セルの処理を自動化したいけど、マクロでやるのは嫌だから、代わりにRでできるなと。最初はそんな使い方をしてたんです。
―Rのそっけないインターフェースに抵抗感はありませんでしたか?
井端 もともと開発でRのようなターミナル、コマンドプロンプトの画面を使うことがあったので。そうやって使い始めたころに、豊澤さんの連載が始まって、すごく参考にしていました。
「住所不定、無職、自称ミュージシャン」から「分析の世界」へ
―豊澤さんは、どういう経緯で分析の世界へ?
豊澤 住所不定、無職で音楽やってました(笑)。大学卒業後、証券アナリストやファンドマネジャーに憧れて信託銀行に入社したのですが、当時のソニーミュージックのプロデューサーから声がかかったこともあり、半年で辞めてしまいました。バンドメンバーの家に転がり込んでバイトしながら音楽をやるという、ありがちなパターンです。データ分析に本格的に出会ったのが2000年。その時にSPSSっていう統計のソフトを専門に扱ってる会社(その後、IBMが買収)がありまして、入社しました。住所不定、無職、自称ミュージシャンでも外資系だと入れたんですね(笑)。
そこではいろいろ勉強させてもらいました。ただ僕の場合、あくまでツールとしてSPSSを使いたかった。何に使うかというと「金融市場」。マーケットで勝ちたいという気持ちがありました。それで、金融工学を使う専門の会社、興銀フィナンシャルテクノロジー(現みずほFG)に行きまして、金融工学を使ったコンサルティングを機関投資家といわれる損害保険会社、資産運用会社に対して行っていました。
でも、最初はまともに仕事ができなくて大変だった。そこで数学やデータ分析の勉強をしたいと、会社のお金で夜間の大学に行かせてもらいました。その後、ソシエテ ジェネラル アセット マネジメント(現 Amundi Japan)というフランスの会社でファンドマネジャーをやっていました。僕はSPSSのツールはかなり使いこなせるようになっていたのですが、みずほFGに転職した時のツールはSAS。つまり、統計ツールがまったく違うものだった。SPSSを使いこなす自信はありましたが、SASのコードをイチから覚えなきゃいけない(笑)。心で泣きながらやった経験があります。
井端 SASのツールって金融機関でそんなに使われてるんですね。
豊澤 SASは信頼性がある統計解析ソフトとしてのブランドを確立していて、例えば、FDA(アメリカ食品医薬品局)は、薬事申請や臨床の報告にSASを使うことを推奨してきました。何か不具合があった時の保障や責任が明確であったことなどが考慮されたものと思います。しかしながら最近ではRも使われ始めているようですね。
―その後、現在のロックオンに移られて。
豊澤 自分の人生の分析は全然できてないんですが(笑)、十数年間は、自分で金融市場や企業の財務情報をデータベースや情報端末、果てはWebから集めて分析して仮説検証していて、回帰直線なら何本引いたかわからないくらいどっぷり金融データに浸かっていました。リーマンショック後はファンドマネジャーとして、ひたすら厳しい環境に耐え忍んでいる中で、伸びている業界の伸びている会社で働いてみたいと思い転職しました。