カンヌ・ライオンズの魅力
2016年6月18日から24日にかけて、フランス・カンヌにおいて「Cannes Lions International Festival of Creativity」(通称、カンヌ・ライオンズ/以下、カンヌ)が開催された。今回、私は初めて参加した。
カンヌには 電通をはじめ、博報堂やADK、そしてその他の多数の業界関係者が日本から参加していた。現地で聞いた話では、電通本体から約120人、電通グループ全体で200人ほど。博報堂もグループ全体で100人ぐらいいるかもしれない、とのことだった。こんな海外のイベントは初めてだ。こんなに大勢の日本人参加者がいる海外の業界イベントを私は経験したことがない。
電通も博報堂も、それぞれスピーカーを送り込み、「Thinking Design | Dentsu | Cannes Lions 2016」「Agency βeta -The Secret of Team Prototyping | Hakuhodo | Cannes Lions 2016」といったセッションを行っていた。 このカンヌの舞台に上がる、日本の広告業界全体を、また日本それ自体を背負って戦ってきた広告業界の先人の気迫を見た気がした。
ところで、日本だけではなく、世界中の広告人が競って、カンヌの場にチャレンジしているように見える。カンヌの広告賞の魅力とは、一体、何なのだろうか?これまでのカンヌは、広告業界のイベントという衣装を纏ってきた。しかし今のカンヌは、おそらく単なる広告祭ではなくなった。このイベントの本当の目的は、私の直感的な印象では「表現の自由」を世界に拡げることだ。
「表現の自由」の恩恵を歴史的に享受し維持し続けてきた業界は、「メディア業界」「広告業界」「マーケティング業界」である。ただ、20世紀後半には「第4の権力」と言われるほどに権力を持ったテレビや新聞・雑誌に代表されるマスメディアの信頼性は、21世紀に入り、世界的なトレンドとして少しずつ低下していった。一方で、20世紀末から21世紀初頭にかけて、急激に台頭してきたインターネットも未熟な点は多い。つまり、マスメディアからインターネットメディアまですべてのメディアを俯瞰したとき、崇高な人類の普遍的価値に照らしてみると、安全な場所など存在しないのだ。
これは比較論であるが、広告業界やマーケティング業界のコミュニケーションは、実は他と比べると、意外に倫理的で、人類の普遍的価値を表現しやすいという性質を持っている。その理由は、そこにクライアントがいるからだ。近江商人の三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」にも表現されているように、ビジネスをおこなう主体は、社会の発展や福利・福祉の増進を願う。したがって、商業的コミュニケーションは、昔から、自ずと倫理的で人道から外れないからだ。