マーケティングの文脈における良いコンテンツとはなにか
石川(クヌギ) 谷古宇さんは、IT系ウェブメディアの編集長、Business Insider Japan創刊編集長、はてな統括編集長などを経て、編集工学研究所のクリエイティブ・ディレクターという現職にたどり着かれました。今はどのようなお仕事を担当し、編集という業務に向き合っていらっしゃいますか?
谷古宇(編集工学研究所) 日本電信電話公社が民営化してNTTとなる際、松岡正剛(編集工学研究所 所長)のもとに、人類の歴史を「情報」を軸にまとめてほしいという依頼がきました。それがいまでも編集され続けている『情報の歴史』です。この仕事を契機に編集工学研究所が設立され、それ以降も、行政からさまざまな調査依頼をいただいたり、出版社から美術全集の編集依頼などの仕事が相次ぎました。現在も、“膨大な情報を編集”することを事業の根幹にしています。
「情報を編集する」と言う時、私たちは情報にどんな操作を加えているのでしょうか。私たちは日々、さまざまな情報に接し、つまり、情報をインプットし、なんらかの操作を行ったうえで、自分の外に出していくということを繰り返しているわけですが、このインプットとアウトプットの「間」の過程をうまく説明することはなかなか難しいわけです。その「『間』の過程」を可視化し、ほかの人にも説明できるように方法化して、社会の課題解決に応用するのが私たちの仕事です。そういう仕事が結果的には、理化学研究所と展開している「科学道100冊」というキャンペーンになったり、良品計画さんと作っている「MUJI BOOKS」になったりします。私自身は、編集工学研究所が請け負うさまざまなプロジェクトのクリエイティブ面を見ています。
石川さんはクヌギで、どういったお仕事を担当されているのですか?
石川 クヌギの事業は大きくわけて、メディア運営とSEOコンサルティングのふたつがあります。メディア運営に関しては、ウェブメディア「クレジットカードを知る」の担当編集を務めています。SEOコンサルティングに関しては、当社が手掛けるコンテンツが検索結果の上位に表示されるのをご覧になったクライアントから、SEOに関するご相談をいただくことが多いです。
SEOに強い=テクニック最優先と誤解される方もいらっしゃいますが、私たちは読者のことを最優先し、読者が求めているコンテンツとは何かを深堀りしてコンテンツを作ってきました。その結果が上位表示につながっていると自負しています。今日は、谷古宇さんと良いコンテンツとは何か、それを生み出すのに必要な編集力とはどういうものかをお話しできるのを楽しみにして来ました。
谷古宇 良質なコンテンツとは、「作り手と受け手の間で“編集プロセス”が創発され続ける作品」だと考えています。何回見ても(読んでも、聴いても、触れても)素晴らしい作品には、そのつど、新しい発見があります。それは、自分がその時その時に持っているテーマ/文脈/問題意識にリンクできる“包容力”をその作品が有しているからではないでしょうか。
これを踏まえたうえで、「マーケティングの文脈における良いコンテンツ」とはどのようなものか。たとえば、この世田谷区豪徳寺の仕事場には6~7万冊もの本がありますが、これらの本に載っている膨大な量のテキストと、マーケティングの文脈におけるウェブの記事に違いはあるのでしょうか。あるとしたら、どんな違いなのでしょうか。
石川 ウェブの記事に関しては、読者のためを思って作られたものが良いコンテンツではないか、というのが私の考えです。Googleはユーザーの利便性を最優先すると謳っていますよね。すると結果的に、SEO、つまりサーチエンジンへの最適化は、読者のためになるのではないでしょうか。一方でGoogleも完璧ではないため、かつての「WELQ(ウェルク)」のようなことが起こってしまう可能性もあります。そして、読者にとって「良い」という判断基準も、時代によって変わっていくでしょう。
谷古宇 SEOの文脈に乗れば、サーチエンジンに最適化するようにコンテンツを作らざるをえず、そのような方向性で作られた記事が結果的に検索ページで上位に表示されています。WELQの件で問われたのは、メディア運営者としての「倫理観」とそれに紐づくコンテンツの「制作プロセス」です。彼らは一次情報の裏をとるというメディア運営の基本的な作法を守らず、二次情報、三次情報を根拠に、検索に引っかかりやすいであろうキーワードを散りばめて大量のコンテンツを作っていました。
先ほども申しあげたように、マーケティング支援という流れでの記事制作においては、サーチエンジンへの最適化をやめるわけにはいかないでしょう。SEOをまったく考慮せずに記事を作ったとして、果たしてマーケティングの成果を出すことができるかどうか。結果は出るかもしれないし、出ないかもしれない。企画段階でその判断をするのは難しいです。だからメディアの運営者は、結果を出すための確率を高めるために企画をし、制作段階で検索エンジンへの最適化を考えるわけです。ただ、何を「結果」として設定するかによって、「良い記事」の定義は変わります。それはメディア運営のポリシーにも関係することですね。
クライアントからクヌギに寄せられるコンテンツに関する課題は、どのようなものがあるのですか。
石川 まさに、SEOのテクニックを最優先したけれど思うようなマーケティング成果が得られていない、とご相談いただくことが多いです。上位表示され、かつ、読者に対して最適なコンテンツを提供したいという、難しい課題を解決してほしいと声がかかります。
弊社では長年、レッドオーシャンと言われるクレジットカードや金融をテーマにしたメディア運営を担当し、成果につなげてきました。そうした経験を生かして、クライアントのメディア運営やコンテンツ制作、ブランディングまでを長期的な視点で考えお手伝いする、という姿勢で臨んでいます。
以前は、コンバージョンを最優先する向きもあったのですが、最近は認知度も上げていきたいとのご要望をいただくこともあり、クライアント側も変化していると感じます。メディア運営や編集チームの編成についてのご相談を受けることも増えているんです。
谷古宇 メディア運営やコンテンツ制作は、チームづくりとセットです。オウンドメディア運営の場合、チームはクライアントと制作会社の組み合わせが基本となるのですが、メディアの長期運用を視野に入れると、熱意のあるクライアントの担当者の存在は成功の大きな要因となります。
良質なコンテンツは、その作品を作りあげるための「方法の開発」からはじめられることが少なくないように思います。多くの場合、「コンテンツ」づくりは主題の追求(何を作るか)に主眼が置かれがちですが、同時に「方法の開発」(どう作るか)についても議論できるようなチームづくりが理想的です。
これはどういうことかと言うと、たとえば、ある種の映画製作においては、作品の主題にどうしても必要な表現を追求するためにアプリケーションをいちから開発したりします。工程の仕組み化によるルーティーンワークの運用は、プロジェクトの効率性を追求するうえでは必須ですが、本当に良いものを作りたいと思った場合、どこかでルーティーンをはみ出す作業が生まれてくるわけで、その時は新しい方法を開発しないわけにはいかなくなるのです。これはメディアの開発、運用でも言えることでしょう。多くの場合、プロジェクトの予定調和が崩れる瞬間です。ここでうまく軌道を修正し、プロジェクトを良い方向へ動かしていくには、クライアントと制作会社に強い信頼関係が求められます。その意味でクライアントと制作会社が五分五分の立場でメディアづくりに邁進できる体制を作れるとよいと思っています。
前提を疑い、混乱を秩序に導く 方法化された「編集」の可能性
谷古宇 編集工学研究所では、情報編集のプロセスを可視化し、方法化していると述べました。属人化しがちな情報編集のプロセスを方法論として整理し、訓練次第で誰でも活用できるようにすることで、少人数でも大きな仕事をこなすことが可能となっています。たとえば、大学生に図書館をもっと利用してもらうために、図書館の空間設計から携わるといった仕事も情報編集の仕事です。社会の課題を解決していくことは、ウェブの記事や雑誌の編集を行うことと、コアの部分の考えかたやスキルという意味では、大きな違いはありません。
石川 考え方としては、本質をとらえるクリティカルシンキングに近いのでしょうか。それを編集という仕事に置き換えているということですか?
谷古宇 自分たちが思いもつかないようなアイディアを、いかに発見していくかの挑戦と言っていいのではないでしょうか。アイディアというのは、情報と情報の関係性、つまり、情報の「間」で生まれてくるものです。そんなアイディア創発のプロセスを編集者は無意識のうちにいくつも頭の中で走らせています。
そもそも、ライターや編集者として活躍するためには、「スキル(or capability)」と「素質(or ability)」のふたつが必要です。スキルは、アイディアの創発力、企画書作成力、時間管理力、プロジェクト管理力、記事構成力、文章力といったもの、素質は、非常識を恐れない胆力、旺盛な好奇心、際立った社交性、並外れた行動力、強固な信念、異様なほどの粘り強さ、驚異的な論理構築力と論理破壊力、礼儀に対する正しい認識といったものです。
「スキル」と「素質」は、自分でメンターを探し、その人が仕事で実践している「型」を自分なりに体系化し、自分の仕事に応用しながら、自分なりに少しずつ改善していく過程で身についていくと思います。少なくとも10年くらいかかるのではないでしょうか。大切なのは「自分で」やることです。
また、編集工学研究所が運営する「イシス編集学校」では、たとえば「このコップを10通りの言いかたで言い換えてください」といった課題に取り組みます。目の前のコップが、本当にコップなのかを疑い、類推を繰り返し、情報をスライドする。
石川 文章力やプロジェクト管理力だけでは編集者として活躍できないということですね。よくわかります。私も立場上、後輩の指導にあたりますが、赤入れの技術やマネジメントスキルを教えるだけでは不十分だと感じています。
編集者の仕事は、サイトのSNS運用やデザイン変更といった部分にまでおよぶこともありますし、谷古宇さんのおっしゃるとおり、ひとつのスキルや素質を磨いただけでは対応できない場面も出てきます。そのため後輩には、自身の仕事を編集者という言葉で定義するのではなく、さまざまな場面において自分自身で何をすることが最善なのかを常に考えるようにしてもらっています。
そういった意味でいうと編集者には、クライアントに理由を説明するためのプレゼンテーション力が求められるときもあると思います。このスキルはどのように身につけたらいいのでしょうか。
谷古宇 基本的なことですが、本をたくさん読むこと。情報同士をつなげていけるようにすること。それによって、関心領域が拡大するかもしれません。もし、関心領域が拡大すると、読むべき本が増えます。つながる情報の量も増える。すると、ユニークなテーマや問題意識が醸成される可能性が高まります。
その結果、情報同士のつながりの質が“突然変異”するかもしれません。それは独自の視点を育てる種になるかもしれないし、物事の新しい側面を発見する端緒になるかもしれない。「かもしれない」ばかりですが、こればっかりはやってみないとわかりません。
具体的なプレゼンスキルを磨くのはその後でよいのではないでしょうか。それこそ、ノウハウ本はたくさんありますし、お手本になる方も多くいらっしゃいます。
石川 本によるインプットを増やしながらテーマを持って読むことにより、まずは自分の考えをはっきりと認識することが大切ということですね。
谷古宇 「読む」という編集的な行為の鮮やかな切断面を提示した本として、最近では『小説の自由』(保坂和志/新潮社)、『ニッポンの小説』(高橋源一郎/文藝春秋)の2冊が印象に残っています。
編集的な行為の「書く」側面では、昭和ひと桁生まれまで(一部、昭和10年、11年が含まれていますが)の、夏目漱石、山田風太郎、司馬遼太郎、丸谷才一、澁澤龍彦、久世光彦、蓮實重彦といった方々の日本語の使い方がたいへん素敵だと思っています。
「書く」技術に関する実践的な指南書としては、尾川正二の「原稿の書き方」(講談社現代新書)がおすすめです。ダメな文章がどうしてダメなのか、その理由をわかりやすく解説しています。
「メディアを運営する」とは
石川 谷古宇さんが編集長として、編集者を育成されたご経験についてもお伺いしたいです。というのも、メディア運営やライティングの仕事がしたいと志す若い人たちと話をすると、目標がふわっとしていると感じることがあるからです。
好きこそものの上手なれという言葉にもあるように、目標に向かい好きなことに取り組むのがいちばんの成長につながると考えているのですが、そういった仕事を目指す動機を実際に聞いても「なんとなくやってみたいと思った」「好奇心で」といった具合なので、どのように育成していけばよいか悩んでいます。
谷古宇 ぼんやりとしてしまうのは、ぼんやりした言葉で考えているからです。物事を分割し、今できることからやっていかなくては、目標を達成できません。たとえばライティングなら、締め切りはいつか、ならば構成案はいつまでに作るか、実際に書き始めるのはいつから、何を、どのように、といった具合に細分化して仕事をしていくでしょう。私もウェブメディアの編集長時代には、「どうやったら良い編集ができますか?」といった質問を受けましたが、ぼんやりとした質問に具体的なアドバイスを与えることは難しいですよね。
だから、まずは質問を具体的にすることから始めてみては、と話します。質問を考えるプロセスには、自分で答えを導き出すステップが含まれているからです。
石川 なるほど、育成においてもテーマを持ってコミュニケーションすることが大切なんですね。たしかに、「なんとなく」や「好奇心で」などの曖昧な言葉では、受けとる側もどのように答えたらよいのか迷ってしまいますよね。今後は、自身のヒアリング能力を向上させつつ、相手に具体的な言葉で語ってもらえるようにしてみます。
一方、個人のスキルアップだけでなく、チーム全体を作っていくことにおいてはどうでしょう。コンテンツは、市場調査や企画、ライティングなど、さまざまな役割を担う人たちの仕事を集約して出来あがるものです。私自身はチームごとに目標を設定し、メンバーにそれを共有してチームづくりをしています。ただ、目標を言葉としてではなく、実際の行動として浸透させるのが難しいと感じています。
谷古宇 チームが向かう先を示すのは、編集長の仕事です。編集長は、個々の編集者とコミュニケーションし、自分たちのビジョンを言葉で示して、何度も繰り返し、その話をしなくてはなりません。その一方で、具体的な記事の話をしたり、構成をチェックしたり、赤入れをするといった編集長としての目の前の仕事を着実にこなしていく。全体としての目標をチームで共有しながら、同時に個々の課題の解決に向かう。このようなジグザグな流れそのものが、まさにメディアを運営するということです。
私が若手編集者だった頃を振り返っても、結局は、目の前のことを1つひとつきちんとやるしかありませんでした。縁があって、ある仕事についたら、とにかくその仕事をきちんとおさめること。それが仕事の基本作法です。そして、仕事を通じて、その会社で培われている文化なり、ノウハウなりを自分の仕事のやり方に取り入れていく。そのためには、その会社がどんな会社か、どのような仕事の型があるのかを見極めることが大切です。
つまり、「守破離」ですね。型通りに動き、破るところまでいって、離れるしかない。最初の型を、どの会社、あるいは誰から獲得するかを自分で見極めなくてはいけないし、会社側にもできればそのことを説明する余裕が欲しいところです。
加えて、新人を指導する編集長に求められるのは、彼らのメンターとして認めてもらえるような仕事をすること、彼らのキャリアを支援できるような仕事の型に磨きをかけることです。
石川 谷古宇さんのようなクリエイティブ・ディレクターになり、チームの課題を解決する編集を行えるようになるには、経験を積み重ねていく必要があるんですね。すると、目標をチームに浸透させるという課題においても、その問題点を細分化し、段階的に解決していくしかないのでしょうね。
私が担当するメディアチームは、プロとして活躍していきたいライターや編集者が多いです。その中でライターや編集者に求められるのは、好奇心をもつことだと感じています。ライターや編集者は仕事の性質上、政治経済、エンタメ、文学などさまざまな分野と接する機会があります。普段の日常生活からいろいろなものに好奇心をもち、常にアンテナを張っておくことで、どのような分野の仕事が舞いこんできても、予備知識を持って挑むことができます。
谷古宇さんにとってライターや編集者に求められるであろうことについて、考えをお聞かせいただきたいです。
谷古宇 私は編集工学研究所で6~7万冊もの本に囲まれ、それらの膨大な「知の集積」の隙間で日々コツコツと仕事をしているわけですが、常に感じているのは「ここにある1冊1冊の本はすべて、どこかの編集者によって編集されたものなのだな」という感慨です。
1冊の本が編集されるには、複数の本が参照されなければなりません。複数の知恵のエッセンスが新たなひとつの知恵となって、私たちの前に提示される――。そんなことを私たち人類は数千年間繰り返してきました。おそらく、今後も同じことを延々とやり続けるでしょう。
この気の遠くなるような営みにおいて重要なのは、「編集」という行為の意味です。
凄まじい量の情報を前にして、私たちは常にその中の「何か」に注目し、それを「取り出し」ます。先ほどお話ししたように、情報のインプットとアウトプットの「間」の作業を行うわけです。情報の中の「何」に注目し、それをどのように「取り出すか」を深く考える過程において、私たちは多くの場合、目の前にある情報とはまた別の情報をフックにします。そして、情報と情報の間にある新しい「何か」を発見していく。それが「編集」という行為の意味なのではないでしょうか。
インターネットは私たちが接する情報の「性質」と「量」に大きな変化をもたらしました。そして、スマートフォンは私たちに情報との新しい接点を提案しました。控えめに言って、私たちは、日々、想像を絶するほどの膨大な量の情報にさらされています。この情報の「海」を、編集の余地がいくらでもあるデータの「山」と見立てると、編集者には今後もやるべき仕事がたくさんあると言えるのではないでしょうか。
石川 本日はありがとうございました。
谷古宇 こちらこそありがとうございました。
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