顧客の「お財布」をどう捉えるか
皆様こんにちは。SAS Institute Japanの津田です。3回シリーズの「マーケターのためのアナリティクス活用講座」。前回は「ターゲティング」をテーマに「案件化しやすい顧客」を考えました、第2回目のテーマは「ウォレット・サイジング」です。このコラムでは、企業が顧客に製品・サービスを売りたい場合「顧客が該当する製品・サービスにどの程度お金を払う用意があるのか」を顧客ごとに数量的に把握することをウォレット・サイジングと呼びます。
マーケティングで使われる言葉として「ウォレット・シェア」があります。マーケット全体や顧客の「お財布」を想定し、その中で自社が占める割合を指す言葉です。「ウォレット・シェア」でネット検索すると、興味深い記事をたくさん読むことができます。それらに共通しているのは、自社の視点でマーケットを見ることを脱却し、マーケット視点で自社を見つめること、自社のビジネスの範囲より広い視点を持つこと、です。
少し前ですが面白い記事がありました。見出しは『格安スマホ広がる間口、衣食住の売り場で、エイブル、「通信費下げ、いい部屋に」、メガハウス、女児向け、子供服と一緒に。』というもの(2014/10/06 日経MJ)。格安スマホに変えれば、お部屋もグレードアップできる、ということでエイブルが格安スマホも一緒に販売しているという内容です。消費者の「スマホも家賃も月々の支出」、という感覚をよく捉えた、いわば衣食住の「生活ウォレット」を視野に入れた面白い施策です。
同様に、あなたが自動車会社でファミリー・ビークルのマーケターなら、クルマのウォレットと狭く考えずに「家族するウォレット」の攻略を考えられそうですね。日本のように消費者にお金があるマーケットでは、ウォレット全体のゼロコンマ数パーセントのお金が動くだけで大インパクトなわけですから、ちょっとした工夫をしてみて損はないはずです。
さて、このコラムではウォレット・サイジングに関して以下の視点で触れていきます。
- マーケッターにとってのウォレットとは何か(What)
- ウォレット・サイジングがなぜマーケティングで活用できるのか(Why)
- どのようにウォレット・サイジングをするのか(How)
Howの部分はWhatと深く関わり、考慮点が多いですがそのメリット(Why)は大きく、取り組む価値のあるテーマです。
ウォレット・サイジングで見えてくるものとは?
マーケティングはとても広い概念です。今回は場面設定としてA社に登場してもらいます。A社は企業向けの製品・サービスを販売しており、マーケティング部門は300名のセールスとコールセンターをサポートするミッションがあるとします。A社のマーケティングの考え方はシンプルです。たくさん買ってくれるお客さんがいいお客さんであり、優秀な営業チームと技術チームを潤沢に割り振る。そうでないお客さんは優先順位が2番手以降、というもの。
それで業績が上がっているならばいいものの、毎年じりじりと売上を落としています。そのため、A社は新しい顧客から売上を獲得することが必要です。
例えば、A社の顧客にX社とY社がいるとします。両社は同じ業界・事業規模・予算規模ですが、X社からは大きな売上を得ており、Y社からの売上はゼロです。この場合、A社はY社からの売上がゼロであることと、他の小規模な顧客からの売上がゼロということを同列に扱うべきではありません。Y社に対しては特別な戦略を練って売上機会を増やすべきです。
そこで、A社はY社のような大ウォレットで売上の小さな顧客をリストアップしたいと考え、ウォレット・サイジングをしました。その結果、現状のA社の既存顧客の中にも開拓すべき広大なウォレットがあることを発見できました。まずは下の図をご覧ください。
A社の営業体制は、顧客対面セールス、電話で営業をするコールセンター、Eメール等でコミュニケーションするマーケティングに分かれています。そして、全顧客の担当は各営業員に割り当てています。すべての顧客をウォレット・サイズ別に大雑把に大中小に分けると、顧客は3つのウォレット・サイズ(大中小)×3つの営業体制(セールス・コールセンター・マーケティング)の9つのいずれかのカテゴリーに分類することができます。
各カテゴリーの顧客群の年間売上の1社あたりの平均が上の棒グラフなわけです。対面セールスはコスト高ですが、売上をあげる力はやはり一番であることがわかります。また、このグラフからはコスト削減と売上増大の両方の機会が見て取れます。
例えば、対面セールスはコストが高く、ウォレットが小さい顧客を訪問する意味はありません。このカテゴリーの顧客はコールセンターやマーケティングの担当に替えてコストを削減すべきです。その分、対面セールスは、大ウォレットなのに現状コールセンターやマーケティングが担当している顧客を担当して、新しい売上機会に接し、食い込む努力をして売上増大の効果につなげるべきです。
現実的には、顧客が競合会社も利用しているなどの理由から、すぐ効果が出ないことも多いでしょう。しかし、ウォレットという一貫した視点で見ることで、短期的に食い込めそうな顧客、長期的な取り組みが必要な顧客など、具体的なマーケティング戦略の土台を提供できます。
図中の矢印が気になっている人も多いでしょう。こちらは成長余地を示しています。左端の棒(対面営業/大ウォレットの実績の売上平均)、左から2番目(コールセンター/大ウォレットの現状の売上平均)の差(80-20=60百万円)が対面営業に替えた場合の、1社あたりの成長ポテンシャルとなります。対面セールスに移管する顧客の数をこれに掛け合わせれば、全体の成長ポテンシャルとなるわけです。私自身も以前まったく同じ取り組みをして、平均売上の増大など成果を挙げた事例があります。これは決して夢物語ではありません!
ウォレットとは何? 2つの視点で考える
ウォレット・サイジングの方法論の説明に入る前に、マーケティング担当者のあなたにとって「ウォレットとは何か」を考えることが必要です。ここには「ウォレットの範囲」と「ウォレットの意味」という2つの観点があります。
ウォレットの範囲
ウォレットの範囲は、前述の「生活ウォレット」のように、現在の自社のビジネスにとらわれずに広義に捉えることが可能です。もちろん、現状の「自社が提供している製品やサービスが該当する顧客の予算」とすることも可能です。
例えばコピー機が商材ならば、コピー機本体、プリント枚数/コピー枚数/ファックス枚数、トナー費用に掛かる全体予算、などがその一例です。
ウォレットの意味
ウォレットの意味も大きく2つ考えられます。「顧客の予算」そのものを指す場合と、「十分に顧客に食い込んだ場合に期待できる売上の最大値」をウォレットの代理とする場合です。
後者をリアリスティック・レベニュー(Realistically attainable revenue)と呼び※1、顧客の予算に比較して小さい値になります。リアリスティック値は本来の「ウォレット」とは異なりますが、前のページで述べたような施策を実施するには十分に有効です。
仮説ベースでもOK、得られるインパクトを重視せよ
ウォレット・サイジングの難しさは「正解データが稀少なこと」にあります。アンケート調査で「ウォレット」の情報を十分な量と質で収集するには莫大な費用がかかり、データ分析の初期段階でそんな費用を出す決断はできないことが普通です。
そんな中どうウォレット・サイジングをするのか、いくつか提案されている方法を紹介します※2。日経リサーチの事例※3では「世帯貯蓄総額」を調査データとして収集した上で、それを個人属性などで説明するモデルを提案しています。調査データを集めることができるリサーチ会社の立場をフルに活用しています。
またIBMの事例※4では、アンケートは実施せず自社の売上データを活用する方法を提案しています。ポテンシャルのマックスまで購買していると考えられる顧客の年間売上総額に絞った上で、それを顧客属性で説明するモデルです。ウォレットの範囲としては「自社が提供している製品やサービスが該当する顧客の予算」と定義し、「ウォレット」の意味は予算でなく、上述のリアリスティック値としています。
これはどちらにも考慮点があります。前者は調査費用がかかること、後者は「正解」データが無い中でのデータ分析なので、別途モデルによる推測値の検証が必要になることです。方法論に難しさはあるものの、ここで強調したいことはウォレットを使った施策で得られるインパクトに着目すべきだという点です。
「カスタマー・マーケティング・メソッド」(ジェイ・カリー、アダム・カリー:東洋経済新報社)では「最後の手」として人間の「あて推量」でウォレットを見積もるのでも良いとしています。同書の筆者であるカリー親子は先ほど提示した図に似た顧客階層を設定した上で、その中での移動がどれだけコスト・インパクトや売上インパクトを生むかシミュレーションしていく様子をとてもいきいきと描いています。ぜひ読者の皆様方もウォレット・サイジングの精確さにこだわって時間を空費せず、仮説ベースでも良いのでウォレットの活用に進んでいただきたいと思います。
ウォレット・サイジング、いかがでしたでしょうか。独特な世界ではありますが、上手な活用をすることでインパクトの大きな取り組みになることが、このコラムで伝わればと思います。ちなみに、弊社SASもこちらのツールで対応いたしておりますので、ご興味ある方は参照ください。さて、次回のテーマはテキスト・マイニング、人工知能との関わりに触れつつ基本から議論します。お楽しみに!
※1、※4:Rosset, S., Perlich C., Zadrozny B., Merugu S., Weiss S., Lawrence R. (2006). IBM research report: Wallet estimation models. Computer Science.
※2:ここで2つの方法論を紹介していますが、網羅的であることを意図しておらず、あくまで例示です。
※3:飯塚久哲・星野祟宏・鈴木重央・大黒未鈴(2013).データ融合を用いたシェア・オブ・ウォレットの推定.日経リサーチ.
また、リサーチデータを使うものとしては以下もあります。
Du, R.Y., Kamakura, W.A., and Mela, C.F. (2007). Size and share of customer wallet. Journal of Marketing, 71, 94-113.