アドテクに関心のあるマーケター、アカデミック分野の方々に向けて
――株式会社マクロミルで長年デジタルマーケティングに携わってこられた広瀬さんは、デジタルマーケティングラボというマーケティング情報サイトも運営されていますが、本書『アドテクノロジーの教科書 デジタルマーケティング実践指南』はどういう読者を想定して執筆されたのでしょうか。
広瀬:私と同じようにマーケティングを仕事としている方で、アドテクノロジーに触れる機会のある方、もしくは、これからアドテクノロジーを自社のマーケティングに取り入れようと考えていらっしゃる方が主要な想定読者です。本書を執筆するきっかけとなったのは、大学でマーケティングの講義をされている先生方からの勉強会のオファーでした。この経験から、アカデミック分野の方々にもアドテクノロジーの情報が必要されていると感じ、アカデミック分野の方々も読者として想定し執筆いたしました。本書はもともと、デジタルマーケティングの知識を深めたいと考えられている大学の先生方に説明するための資料が下地となっています。
よって、アドテクノロジーにまったく触れたことのない方はもちろん、現場ですでにDSPやDMPなどを利用されている方でも、業界の全体像や歴史、アドテク呼ばれる領域で登場してきたシステム一つ一つの仕組みを知ることのできる内容となっています。
◆DSP……Demand-Side Platform。広告効果を最大化させるために、複数のアドネットワークや、複数のアドエクスチェンジに広告配信を行なうプラットフォームのこと。
アドテクノロジーは広告取引の効率化・低価格化をもたらした
――アドテクノロジーに触れたことのない方にとって、これがどういうものかはなかなか理解しづらいと思います。アドテクノロジーはマーケティング・広告業界をどう変えたのでしょうか。
広瀬:あくまで広告主側のマーケターとしてお話しすると、広告出稿の効率化と広告単価が下がったことが大きな変化です。日本でインターネット広告が登場したのは1996年、Yahoo! JAPANのバナー広告とメール広告が最初です。アドテクノロジーが登場する以前、広告主は出稿したいウェブサイトやメディアを探し出し、毎回交渉して広告を掲載していました。バナーを一つ出稿するのにも手間がかかる時代でした。
アドテクノロジー、特にアドネットワークが登場したことによって、広告主は一つ一つのメディアと取引する必要がなくなり、アドネットワークに出稿すれば自動的にそれぞれのメディアに広告を掲載できるようになりました。安価で出稿できるのも特徴です。
アドネットワークは大手メディアの余り広告枠や、単体ではマネタイズが難しい中小メディアの広告枠を束にしたもので、全体としては大きなトラフィックを確保できます。メディアの売れ残り広告枠が中心のため、安価で出稿できるのも特徴です。これにRTBと呼ばれるプログラマティック・バイイングの仕組みが加わり、オンライン広告出稿の効率化と低価格化を広告主にもたらしました。さらに、オンライン広告独自の行動ターゲティング機能が加わったことで、広告効果を追求する広告主の、アドネットワークやDSPのニーズが高まりました。
◆RTB……リアルタイムビッディング。アドエクスチェンジなどの広告取引市場で、広告枠のインプレッションが発生するたびに入札を行ない、最も高い金額をつけた購入者の広告を表示する広告取引の仕組み。
――いままでアドテクノロジーに関して困ったことはありましたか?
広瀬:アドネットワーク登場初期は、広告枠の透明性に課題を感じていました。行動ターゲティングにより、広告効果は確かに上がったのですが、何度かクレームが来たことがありました。「御社はこういういかがわしいサイトにも広告を出しているのですか」と。
当時のアドネットワークは配信先サイトが不透明で意図しないメディアに広告が掲載されることもありました。ユーザーからすれば弊社がそういうサイトに出稿することでそのサイトを支持しているように見えてしまいます。
いまはアドベリフィケーションなどのブランド毀損を行なうサイトに広告を表示しない仕組みや、配信先メディアが事前に分かり、かつ優良なメディアで構成されるPMPなどの仕組みが整ってきたので、この問題は改善されてきています。
また、効果計測の課題もありました。各アドネットワークから提供されるレポートのコンバージョンの数を足し上げると、自社で計測した実際のコンバージョン数の数倍になることがありました。これは各アドネットワークの重複接触者のコンバージョンを、それぞれが自身のネットワークのコンバージョンとしてカウントするため起きることです。
現在は3PASやDMPなどのシステムで効果計測を一元化できるため、ある程度は解消されています。しかし、Safariなどの3rd Party CookieによるトラッキングNGのブラウザやスマートフォンアプリなど、Cookieでは計測が難しいものもあります。スマートフォンユーザーが増えるほど、この課題への対応ニーズは高まります。特に、広告主のアプリ-Web間のトラッキングニーズは高いです。
◆アドベリフィケーション……DSPなどを使って配信した広告が、広告主のイメージ低下を招くようなサイトに配信されていないか、ユーザーが認識できる場所にしっかり掲載されているかなどを確認するためのツール。
◆PMP……プライベートマーケットプレイス。参加できる広告主とメディアが限定された広告取引市場。
マーケターの仕事は広告出稿ではなくマーケティング
――そのように今後もテクノロジーが進歩していくと、いままで手作業でやっていたようなことが自動化し、マーケターはそれほどスキルが必要なくなっていくのでしょうか?
広瀬:たしかにテクノロジーが進歩したことで、広告取引の自動化や最適化は進みました。しかし、マーケターに求められる知識・スキルはむしろ高くなっているように感じています。まず、マーケターは無数のプレーヤーの中から自社に適したパートナーを選ぶ必要があります。そのためには、ツールやシステムの理解が必要です。
それに広告だけがマーケターの仕事ではありません。マーケターの仕事は自社のマーケティング目標達成のための、ユーザーとのコミュニケーションです。具体的には、「誰に(セグメンテーションと優先順位づけ)」「どうやって(コンタクトチャネルの選択)」「何を提供するか(クリエイティブの制作・開発)」を決定し、PDCAを回すことです。あくまで広告はコミュニケーション手段の一つです。
アドテクノロジーによって、広告施策に割く時間は減ったと言えるかもしれません。しかしその分、上流のマーケティング領域で、コミュニケーションプランを作ることに時間を割く必要があります。ここは広告会社が関与しない自社のマーケティングの中核なので、マーケター自身のデータやテクノロジーの知見の差がもろに出ます。広告だけでなくマーケティングコミュニケーション全体をデータドリブンに考え、プランニングします。
アドテクノロジーを知ることでデータに対する知見が蓄積され、その知見は広告以外にも役立てることができます。例えば、弊社では自社が保有する1st Partyデータと3rd Partyデータをインテグレーションして、Webサイトにアクセスするユーザーに合わせて表示するコンテンツを動的に変えるといったこともテストしています。メールやDMをパーソナライズして届けるのに使えますし、データは活用の仕方次第で、広告以外のマーケティング施策に応用できるのです。
全体のプランニングができるようになる必要がある
――それはマーケター自身がもっと勉強してスキルを高めていく必要があるということですよね。広瀬さんはそこに懸念があるのでしょうか。
広瀬:あります。特に、CPAをKPIとした広告施策しか実施していない担当者は、マーケターとしての成長が厳しいと考えています。もちろん運用型広告のチューニングのスキルは身につきますが、最も重要なマーケティング全体のプランニングスキルが身につきません。
CPAはダイレクトレスポンス系施策の効果指標です。これのみを最適化しようとすると、購買までのマインドフローの後半、つまりもともと購買に近いユーザーにリーチすることが有効となり、母数が限られたユーザーに対する施策だけが仕事となってしまいます。これでは、そこに至るまでのユーザーを創出するという、より難易度が高いマーケティングに携われません。この前半の仕事がマーケターを成長させる仕事の領域です。前述の「誰に(セグメンテーションと優先順位づけ)」「どうやって(コンタクトチャネルの選択)」「何を提供するか(クリエイティブの制作・開発)」に知恵を絞り、トライ&エラーを繰り返す。これがマーケターの成長において非常に重要な部分だと考えます。
マーケターとして成長したいのであれば、マインドフローの全体、ダイレクトレスポンスだけでなくブランディングも考慮してプランニングしなければなりません。しかし、日本では両方ができるマーケターがあまり育っていないのではと感じています。それはマーケター自身の責任もありますが、上司や会社の責任でもあります。ダイレクトレスポンス施策の効果指標のみで自社のマーケティングを評価する企業がまだまだ多く、これではマーケターの仕事が広がりません。
◆CPA……1件のコンバージョンの獲得に使用した広告コストのこと。
◆ダイレクトレスポンス……広告接触者から購買に直結するレスポンスを得ること。
ブランディングとデータ活用が業界最大の課題
――マーケター自身にも課題があるとのことですが、アドテクノロジー業界としての課題はどう捉えていらっしゃいますか?
広瀬:実は日本のオンライン広告のインプレッション単価がとても低く、国別の順位では10位以下、トップのアメリカとは2.5倍から3倍の差があります。つまり日本では広告枠が安く取引されていることになります。これはオンライン広告のブランディング活用が他国と比べて遅れているからだと考えています。それが業界の課題の一つです。
コンバージョンを獲得するのはマーケターの大事なミッションです。ただ、アドテクノロジーによってユーザーの属性や意識データなどマーケティングに有用なデータが入ってくるにもかかわらず、それらをダイレクトレスポンスのみで利用するのはもったいないと感じます。ブランディングにも目が向けられるようになると、アドテクノロジーはもっと幅広く活用できるようになるのではないでしょうか。
二つ目は、マーケターがデータに価値を見出せていないことです。DMPが分かりやすい例です。多くのDMP企業がマネタイズに苦戦している状況です。オーディエンスデータをどうマーケティングに活用したらいいのか、マーケターの理解が進んでいないのです。
例えば、プライベートDMPを導入してサイト訪問者のペルソナが○○だったと分かったとします。ここからユーザー像を加味したコミュニケーションプランを設計するフェーズに入るのですが、多くのマーケターはここで思考が止まり、コミュニケーションプランが作れないのです。結局のところ、マーケターがプランニングできないから、アドテクノロジーを広告以外に活用できないのです。
ここで挙げた課題はすべて繋がっています。要するに、デジタルマーケティングのプランニングができるマーケターが育っておらず、だから企業もオンライン広告のブランディング活用に予算を投じず、そのためマーケターはブランディング含めたマーケティング全体のプランニングができず成長できない、という悪循環があるのです。その結果、オンライン広告のブランディング活用が遅れ、インプレッション単価が低くなってしまうのです。
私は、ダイレクトレスポンス系の指標のみでマーケターの目標設定をしないようにしています。「コンバージョンは〇〇獲得すればいいので、余った予算で認知率を上げるための施策をやってほしい」と伝えています。少しでも構わないのでブランディング施策にも目を向けてほしいのです。ユーザーが商品や企業を認知している状態を作り出すことは、将来のダイレクトレスポンス広告の効果にも貢献します。「刈取り型」と呼ばれる性質上、ダイレクトレスポンスで獲得できるCVやCPAの限界は割と早いのです。これを突破するにはブランディング力が必要です。
――いまのお話をうかがうと、広瀬さんが本書に込めた思いがとても伝わってきます。本書を執筆する際、やはりマーケターを育てるという意識が強かったのでしょうか。
広瀬:はい。しかし、本書ではマーケティングやコミュニケーションのプランニングにはほとんど言及していません。なぜかというと、アドテクノロジーや広告については本書1冊で理解してもらい、そのうえで次の段階にステップアップしてもらいたいと考えています。
マーケティング全体のプランニングを行なうなら、アドテクノロジーのことを理解しておく必要があります。アドテクノロジーを活用することで広告以外も含めた、マーケティング施策のアイディアが出てきます。基礎となる知識があるのとないのとではマーケターの発想がまったく違うで、マーケターの前提知識として本書を読んでもらえればと思います。
動画広告はブランディングで真価を発揮する
――本書の内容についてもいくつかうかがいます。『Chapter2 Creative』や『Chapter5 Market』で動画広告にページが割かれていますが、広瀬さんはなぜ動画広告に注目されているのでしょうか。
広瀬:ブランディング広告といえばテレビCMやOOHが中心ですが、Webの動画広告も今後ブランディング広告の中心となる可能性があると考えたためです。動画広告はオフラインの広告よりも安価に出稿できるため、今までコスト面の問題から出稿できていなかった中小企業も、ブランディングの手段としてこれを取り入れる可能性は充分にあります。また、Web特有のターゲティングと効果測定が可能なことが特長で、少額予算でも自社がターゲットとしているユーザーにメッセージを届けることができます。
日本では、顕在化したニーズに対してクロージングを行なうダイレクトレスポンス型の広告のほうが好まれる傾向があります。動画広告が登場した2012年頃は、ブランディング広告の効果指標が整備されておらず、ダイレクトレスポンス広告と同じくクリック数やコンバージョンで効果が測られていました。これがそもそもの間違いで、日本で普及が遅れた要因の一つと考えています。
本来、動画広告は、ブランドメッセージを伝え、記憶を作るという役割を担っています。映像と音声を使ったインパクトのある動画は、静止画のインプレッションの何倍もの価値があります。現在は、私が所属するマクロミル社のようなリサーチ会社のサービスなどを通じて、ユーザーの態度変容を計測する方法が整ってきています。
動画広告の制作コストが下がったことも重要です。動画広告が登場した頃はテレビCMの制作会社が高額で動画を作っていましたが、いまは1本20万円から制作する専門会社もあります。動画広告の制作から効果測定まで、環境が整ってきたのが市場拡大の主要な理由ではないでしょうか。
本書で提唱されたコンテンツマーケットプレイスとは?
――もう一つ、『Chapter5 Market』の最後で紹介されているCMP(コンテンツマーケットプレイス)についても聞かせてください。MarkeZine読者にとっても馴染みがない言葉だと思いますが、これはそもそもどういうものなんでしょうか。
広瀬:CMPはコンテンツを流通させるためのマーケットプレイスのことです。オムニバス社が提供している「VISM」というサービスを見て、私が名前をつけたものです。
CMPでは、広告主が流通させたいコンテンツを作成し、掲載してくれるメディアを募ります。CMPに参加しているメディアは、 広告主から提供される画像、動画、テキスト情報などを参考に、コンテンツを作成、掲載します。コンテンツが掲載されると、CMPを通じて広告主からメディアに報酬が支払われます。
メディアはこれにより新たな情報源と収益源を得られます。情報として価値のあるものだけを選び、自身のメディアのコンテンツとして掲載すれば良いのです。メディアは自身のユーザーにとって有益なものでないとコンテンツとして掲載できませんし、掲載可否や記事の内容の決定権はあくまでメディアです。つまり、メディア主導のアドテクノロジーです。よいコンテンツがあればバナーのような限られた広告枠ではなく、メインのコンテンツとして掲載してもいいのではという考え方がCMPの根底にあります。
例えばVISMでは、広告主が動画とそのアピール文を用意し、マーケットプレイスで掲載メディアを募ります。それをもとにメディアが記事を作って掲載します。そして記事中の動画が再生されると、メディアに報酬が支払われるという仕組みです。
――とても面白い仕組みだと思いますが、CMPは今後拡大していくのでしょうか。
広瀬:サービスを提供しているのがまだオムニバス社しかありませんので、正直なところ何とも言えません。しかし、同じような仕組みを構築したいという大手企業から、デジタルマーケティングラボにコンサルのオファーが現時点であったりします。
また、オムニバス社のVISMの事例で、動画ページに訪問したユーザーの40%が動画を視聴し、そのうちの75%に該当する約10,000人が動画を最後まで視聴したという事例があります。Facebookのシェアも300件以上あるとのことでした。普通の広告用動画を配信するだけでは、この結果は得られないでしょう。
現段階でこれだけ効果が出ているため、出稿を希望する広告主は今後増えていくと予想しています。しかし、マーケットプレイスに参加するメディアがまだまだ少ないため、普及するには時間がかかりそうです。
これまでのアドテクは、広告主が主役でした。広告主が、掲載する広告枠を選び、ターゲットオーディエンスを決めて、広告を配信するという仕組みです。しかし、「ユーザーが見たい・読みたいと思えるコンテンツ」「メディアが掲載したいと思えるコンテンツ」を広告主が考え提供する、このようなマーケティングがあってもよいのではと思っています。
CMPを取り上げたのは、仕組みの新しさもありますが、マーケターに広告以外でユーザーにリーチする手段がないか、改めてよく考えてみてほしいという思いがあったためです。そのためにもぜひ、本書を読んでいただければと思います。
筆者プロフィール
広瀬 信輔(ひろせ・しんすけ)
株式会社マクロミル 事業戦略本部/株式会社イノ・コード 取締役 CMO
運営サイト:デジタルマーケティングラボ
2008年、株式会社マクロミルに入社。アドテクノロジーを活用したプロモーション戦略を中心に、マーケティング全般を担当。新規事業開発にも携わる。2016年3月現在、Webマーケティング部門の責任者として、同企業の事業戦略本部に所属。株式会社イノ・コード 取締役 CMOも務める。また、マーケティング情報サイト「Digital Marketing Lab」の運営者として活動。広告主や広告代理店向けに、デジタルマーケティングのコンサルティングや、アウトソーシングサービスを提供している。