新しいマーケティングの潮流で、現場はどうすべき?
マーケターの仕事はメンタルアベイラビリティ(購入時の想起されやすさ)を高めることであり、想起集合の3位までに入るために消費者のプレファレンス(選好性、好意度)を向上させなければならない──。
そのとおりだと思う反面、今日の仕事では何をどうしたらいいのかは判然としません。いずれも重要なのは承知していたとしても、手元の作業として何をすればメンタルアベイラビリティやプレファレンスを高めることができるんでしょうか。
メンタルアベイラビリティのような概念をはじめとする数学やエビデンスを重視する新しいマーケティングの潮流(EBM、エビデンス・ベースド・マーケティング)は、ここ10年ほどの間に出版された森岡毅氏の「確率思考の戦略論」シリーズ(KADOKAWA、ダイヤモンド社)やバイロン・シャープ氏の「ブランディングの科学」シリーズ(朝日新聞出版)、さらに近年の芹澤連氏による『戦略ごっこ』(日経BP)や小川貴史氏&山本寛氏の『その決定に根拠はありますか?』(マイナビ出版)などの書籍によって加速しています。
あくまで私の個人的な印象ですが、これらの書籍の内容は説得力があり納得もでき実践したいと思う反面、具体的な実務に活用するにはちょっと難しいと思っていました。ダブルジョパディの法則は浸透率、NBDディリクレモデルは新規顧客獲得の重要性を教えてくれますが、では実際にどうやって浸透率や新規顧客を増やせばいいのか?
(正しい戦略がある前提なら)現場のマーケターにとっては「何をやるか」が最も重要です。我々はメルマガの件名、Xの投稿文、TikTokや広告のクリエイティブを作る必要があるわけですが、エビデンスや法則を知ったとしても、そこからは直接的に施策は生まれません。ゆえに、施策を考え出す手法を知りたいと思うのは当然のことでしょう。
今回紹介する書籍『「直感買い」のつくり方 記憶と連想の力で「つい選んでしまう」を促す』は、マーケティングの「数学やエビデンス」から歩みを進め、「施策を考え出す手法」の一歩手前まで連れていってくれる本です。本書を補助線とすることで、施策やクリエイティブを検討しやすくなることは間違いありません。
※原著『The Power of Instinct: The New Rules of Persuasion in Business and Life』は2024年刊行。
本書の要点は「連想」です。メンタルアベイラビリティを高める有効な手段として、著者のレスリー・ゼイン氏は連想の重要性を説いています。人間の脳内で商品に対するプラスの連想が働けば、誰もが直感的に商品を選んで買ってくれるというのです。
本書を読めば、連想が持つ強力な力について理解することができます。また、どのような連想が有効なのか、様々な考え方もわかります。これから簡単に紹介しますが、もっと詳しく知りたくなったら、ぜひ本書を手に取ってみてください。
人を論理的に説得できないなら、無意識に働きかけよう
行動経済学や進化心理学の知見を引用するまでもなく、「人を説得して意見や考えを変えさせることはできない」ということは皆さんも承知していると思います。陰謀論やカルトに傾倒する人に対して正論を振りかざしても、むしろ信念を強化してしまうだけで、説得ではない別のアプローチが必要です。
これはマーケティングにおいても同じだとゼイン氏は強調します。企業がどれほど論理的に商品の特徴や魅力を説明しても、それだけでは誰にも買ってもらうことはできません。なぜなら、人間がほとんどの判断を無意識によって行う動物だからです。
皆さんも最近の買い物を振り返ってみてください。2つ以上のブランドを比較し、十分に検討してから購入した商品はどれくらいあるでしょうか。だいたいが「以前買ったことがあるもの」「SNSやテレビでお薦めされていたもの」「店頭でセールだったもの」などで、詳細に比較検討したものはあまりないのでは?(もしかしたら住宅や自動車、保険のような高額の商品でもそうかもしれません)
「人はなんでも合理的に検討して判断している」と考えがちですが、実際には無意識で判断し、直感的に選んでいることが大半なのです。その無意識は、これまでの経験や記憶に大きく左右されます。
だとすれば、マーケターは人の無意識に働きかけなければなりません。そのための手段が「連想」です。
ゼイン氏によれば、人間の脳には神経がつながり合った物理的な神経回路が存在します。これはコネクトームと呼ばれ、メンタルアベイラビリティの実体(脳内構造)と言えるでしょう。本書ではコネクトームの中でも特定のブランドに紐づく記憶や連想によるものを「ブランド・コネクトーム」と定義しています。
ブランドについてプラスの連想が多ければ多いほど、そして繰り返し連想すればするほど、コネクトームは大きくなります。そしてコネクトームが大きければ大きいほど、ブランドが選ばれやすくなる(直感買いがされやすくなる)というわけです。
グロース・トリガーでポジティブな記憶と商品を結びつける
コネクトームをブランドにとって望ましい方向で成長させるために欠かせないのが「プラスの連想」です。これは人の脳内にあるポジティブな記憶に関連づけられる連想のことです。商品をプラスの連想で訴求することで、商品がポジティブな記憶と結びつきます(逆にマイナスの連想はネガティブな記憶と結びつき、顧客離れへ)。
本書では具体例として、トロピカーナが紹介されています。トロピカーナのオレンジジュースのラベルには、ストローが挿さったオレンジが描かれています(他のフレーバーでも同様に、果実にストローが挿さっています)。ゼイン氏によれば、これは「シンプルでありながら多くのことを連想させる優れたデザイン」です。

ストローはオレンジにささっていて、そこから直接ジュースを飲めるかのように見える。まるで誰かがその完璧な完熟オレンジから果汁を飲みたくてたまらず待ちきれなかったかのように、ストローをオレンジに突き刺す動作が思い浮かぶ。
このデザインからは、プラスの連想があふれ出てくる。完璧なオレンジを連想させるだけでなく、完璧なオレンジジュースを連想させる。「最高の味」「間違いなく新鮮」「本物の果実」「もぎたて」「完熟状態で収穫」「加工されていない」といった連想だ。
あらゆる効果的なグロース・トリガーと同様に、この認知の近道は、たくさんのプラスの連想とともに、このジュースが優れたものであるという印象をつくる。
「第5章 「差別化」はやめ、「親近感」で勝負せよ」より
キーワードはグロース・トリガーです。グロース・トリガーとは「さまざまなプラスの連想が詰まった簡潔な記号やイメージである。五感のいずれかを通してプラスの連想とさまざまな意味合いを伝える近道である」とされています。トロピカーナの「ストローが挿さったオレンジ」はまさにグロース・トリガーであり、説明不要で多くのことを連想させます。
グロース・トリガーは単純であるほどよいようです。なぜなら、それを見た人が自分自身で何を示唆しているのかを察するようにしたほうが、より強い連想が働くようになるからです。
たとえば、ナイキのロゴやスローガンからは洗練さや力強さなどを感じますが、ナイキみずから「洗練されたブランドです」と説明する必要はありません。あのスウッシュと「Just do it」だけで連想させるほうが、コネクトームに強い影響を与えるということです。
こうしたプラスの連想やグロース・トリガーを見つけるには、「よく知られた競合相手のコネクトームを観察することから始めよう」とゼイン氏は言います。競合相手がどんな連想を利用しているのかを知ることで、自社でもそれを利用したり、ブランドの位置付け方や相手の弱点が見えてきたりします。
連想には親近感、独自性、ファンタジーが有効
本書で解説される連想に含むべき3つの要素は、トロピカーナのオレンジから学ぶことができます。
まずは「親近感」です。オレンジは誰でも知っていますし、描かれている品種もごく一般的なもの。おそらく競合商品と同じイメージになると思われますが、ゼイン氏は競合商品と差別化しようとして商品とまったく関連しないイメージを採用するくらいなら、競合商品と同じでも親近感を抱いてもらえるイメージのほうがはるかによいと書いています。
競合商品との違いを強調しようと極端な差別化に走ると、商品にプラスの連想が関連づけられないばかりか、マイナスの連想を及ぼす可能性さえあります。
もし親近感以上の効果を狙うなら、「独自性」が重要です。トロピカーナの場合はオレンジにストローが挿さっており、これが強力な独自性となっています。昨今のブランディングの文脈でも、差別化より独自性が大事だと言われているのはご承知のことでしょう。
その独自性は、プラスの連想をふんだんに含んだグロース・トリガーであるなら最強ということです。これからはクリエイティブで差別化よりも親近感、それ以上に独自性を表現しましょう。
そして最後、連想に有効な3つ目の要素が「ファンタジー」です。実際問題、オレンジにストローを挿したところで果汁は飲めません。飲めるのはココナッツくらいで、現実からはほど遠い表現です。
しかし、やはり理想のフルーツジュースとは果実そのものに宿る果汁を思う存分飲むことではないでしょうか。その理想を表現しているのが「ストローが挿さったオレンジ」なのです。たとえ実現不可能でも、ファンタジーを見せることがプラスの連想を働かせます。
ユーザーリサーチをすると「等身大でリアルがいい」という回答が得られるかもしれません。有識者が「ユーザーは自分たち感や普通の人、普通の生活を描くことを求めている」と主張するのを見聞きしたことがあるかもしれません。
それでも、本書は「主要なブランドのほぼすべてで、ファンタジーが原動力となっていて、自分をもっと高めたいという私たちの欲望に語りかけ、あらゆるカテゴリーで直感的ブランド選好をつくりだしている」と強調しています。
顕在的な意識がリアルを高く評価していても、無意識はファンタジーを求めていると言えるでしょう。隠れた欲望を表現するファンタジーは、人の脳にたくさんの刺激を与えます。刺激を受けると脳は物理的に変化し、新しいコネクトームが形成されます(本書でも「物理的に」という言葉が何度も登場します)。
それでも「ユーザーにはリアルな表現が刺さる」という意見は根強いでしょう。ではもし、トロピカーナのラベルがジュースを飲むリアルなシーンを反映した「グラスに注がれたオレンジジュース」のデザインになったとしたら?

トロピカーナでは2008年にこの変更を実施し、「およそ5500万ドルの損害」を被ったとのこと(数値は本文より)。
主張は極端だとしても、連想は有用そう
以上のように、本書は直感買いを生み出すために、連想の重要性をいろいろな方向から解説してくれます。他にも、連想をもたらすメッセージは多いほうがよく、それらがギアのように組み合わさって連動するとより強い影響を与えられるとも書かれています(CEP、カテゴリーエントリーポイントは多いほど望ましいという研究にも合致する考えです)。
ただ、一読者として違和感を覚えるのは、あまりにも連想を強く押し出しすぎているところ。具体例として挙げられる企業の売上増加や減少の要因が、あたかもすべて連想だけにあるような書き方がされており、はたして本当にそうだろうかと思うところもあります。
トロピカーナの例もそうですが、あの企業が業界ナンバーワンなのは連想のおかげだ、あの企業の売上が急に落ちたのはマイナスの連想がいつの間にか積み重なっていたからだ、無名のバラク・オバマ氏が一夜にして最有力の大統領候補となったのは演説に多数の連想を盛り込んだからだ──などなど。こうした極端な主張は、あくまでも本書のメッセージを強調するためのものだと解釈しておく必要があるでしょう(プラスの連想のたたみかけ!)。
ですが、だとしても本書の内容は納得感があり、連想は非常に有用そうです。私としても、連想を活用したクリエイティブを作るべきだという指針を得られ、満足できる内容でした。
本書ではさらに、「「パーパス」をアピールしても効果はない」「セグメンテーションは過去の遺物」「マーケティングファネルを捨てよ」といった従来のマーケティングの常識を覆す内容が、コネクトームと連想に関連づけられながら解説されています。
新しいマーケティングの潮流において、施策やクリエイティブはどうしたらいいのかと悩んでいる現場のマーケターに、特におすすめの本です。
#マーケジン読書会に参加しませんか?
マーケターのための読書コミュニティ「#マーケジン読書会」を始めました。
ぜひ本書を読んで、気づきや感想に「#マーケジン読書会」のハッシュタグをつけて、X(旧Twitter)に投稿してください。あなたの投稿が、次なるマーケティングのヒントにつながるかもしれません。