セプテーニ時代に培われ、今も役立っているマインドとは?
野崎:では、VASILY時代についても掘り下げたいと思います。同社ではどういった業務を担当していたのでしょうか。
高橋:メインは営業です。VASILYのマネタイズ事業が立ち上がったばかりだったこともあり、広告商品やクライアント企業のブランディング施策に関する提案を行っていました。
野崎:セプテーニ時代の経験が活きたと感じたポイントはありますか?
高橋:泥臭い営業力ですね。当時、会社の売上を作る上で最も課題だったのはリード獲得でした。商談のためにテレアポ営業をすることもありました。まずは量をやらないと質の良いリードは生まれないと思っていたので、ひたすらに数をこなし、リードを集めて売上につなげていました。

リードがほぼゼロの状態でも、泥臭くテレアポをやれば売上が作れるというのはセプテーニ時代に培われた感覚で、すごく役立ったと思います。
野崎:わかります、こういう経験は汎用性がありますよね。反対に、VASILYに入社したことで得られた経験、スキルなどはありますか?
高橋:ブランディングに関する経験と知見は得られましたね。セプテーニ時代はダイレクトレスポンス系の広告しか扱ってこなかったので、VASILYでクライアントのブランディングに寄与する施策を考えることができたのは嬉しかったですね。
また、エンジニアと一緒に仕事をする機会が多く、開発側への理解が深まりました。自分が販売している広告枠がどのような仕組みで配信されているのかなどを学ぶ機会となりました。
広告営業からプロ野球の新規事業担当と激動のDeNA時代
野崎:より幅広くマーケティングに関わりたいという願望がかなったわけですね。そこからどのような背景でDeNAに入社されたのですか。
高橋:VASILYを退職した後、個人事業主としていろいろと手伝っていた時期もあったのですが、やはり大規模なメディアを運営するダイナミズムな事業に携わりたいという気持ちが強くなっていったんです。当時、DeNAのキュレーションメディアが立ち上がって少し経ったくらいの時期で、同社の役員からお声がけいただいて入社を決めました。
DeNA時代は記事広告のセールスをしつつも、イベントや商品タイアップなど、これまで携われていない部分の企画も注力していました。
野崎:そこから横浜DeNAベイスターズに出向してスポーツ事業に携わっています。これはあの時期ですよね。

高橋:ご存知の方も多いと思いますが、キュレーションメディア事業が解散することになったんです。その時僕も今後のキャリアについて考えていたときに、DeNAの人事から「ベイスターズの事業戦略チームなんてどう?」と話をしてもらったのがきっかけです。
当時よくクライアントとベイスターズの試合も観戦していたのですが、会場の熱狂度がすごいんですよ。感動して泣くファンの方もいました。そのような姿を目の当たりにして、自分がやりたいのは人を感動させることなのではないかと感じ始めていたんです。
デジタルマーケティングの場合、管理画面と向き合って行うケースがほとんどで、その先の人は見えません。しかしベイスターズであればリアルの人の反応も見えるので、やりがいがあるのではと考えました。
「できないことはない」気持ちで、未経験でも突き進む
野崎:チャンスは平等には回ってきません。高橋さんの実績からのアサインでしょう。ベイスターズ時代はどのようなことを期待されていたのでしょうか。
高橋:何も期待されていなかったんだと思います。計画にない人材配置だったと思いますし、会社からは「ベイスターズの事業を伸ばす」というざっくりとしたお題をもらっていました。その当時スタジアム改修の話があったので、まずそのプロジェクトをハンドリングしながら、来場者のアンケートデータを取ったり、売上が伸びる施策を考えたり、ファンクラブ会員の傾向をデータ分析したり。
野崎:急にデータアナリストですね。具体的にどのようなことを行ったのでしょうか。
高橋:会場での購買情報・来場者のデータと、ファンクラブなどの顧客情報を突き合わせ、会場内の課金や来場者の傾向を調ベていました。
野崎:そのようなデータ分析はキャリア上、ご経験していませんよね。いきなりできたんですか?
高橋:教えてもらう部分もありましたが、ほとんどが手探りです。でも、なんとかできてしまうものなんですよ。先ほどのような分析は必ず誰かがやったことがあって、ちょっと調べれば事例やノウハウが出てくる。そもそも、私は無茶と思えるようなお題を出されても、できないと思ったことは一度もありません。