老舗フィットネスクラブがコロナ禍で挑んだDX
COVID-19によって、安全であることだけでなく「健康を維持すること」の大切さがこれまで以上に認識されるようになった。その使命を果たすべく、トラディショナルなモデルからの転換を果たした企業の1つがGoodLife Fitnessだ。
同社は1979年創業、カナダに本拠を置くフィットネスクラブの老舗である。「Fitness in the Next Normal」と題されたセッションに登壇したのは、同社のChief Marketing&Technology Officerのサンダー・ヴァン・デ・ボーン氏である。
コロナ禍が大きく変えた顧客行動のひとつがフィットネスだ。カナダでは定期的にジムに通う人の50%以上が、いまやジムに行くのと同程度でオンラインサービスを使った運動をしているという。ボーン氏は次のように語る。
「これまでのGoodLife Fitnessが提供してきたものは伝統的なフィットネスサービスでした。つまり、ライブでのフィジカルな体験にフォーカスしていたのです。しかし我々の未来を見据えれば、顧客とGoodLife Fitnessとの新しい関わり方を構築できると考えました。そこで、顧客のためにカスタマージャーニーの再構築に取り掛かったのです」
テクノロジーを駆使してビジネスモデル全体を見直す
ここで特筆すべきことは、彼らがDXへの正しい解釈を持っていたことだ。つまりそれは、「単なるDXではなく、テクノロジーを駆使して我々のビジネスモデル全体を見直すことである」という解釈だ。
「デジタルを活用してメンバー(ユーザー)の行動インサイトを把握し、適切なサービスと情報をメンバーに提供する」ことを目指したが、その上で「その際に『どのようなデジタルサービスをローンチするのか、それによってメンバー1人あたりの平均収益と契約期間をどう伸ばすのか』を考える必要がありました」とボーン氏は述べている。
もう1つは、その取り組む手順においても、正しい解釈を持っていたことだ。「我々は、“People”から始めました。Peopleとは顧客だけでなく、トレーナーをも含みます」(ボーン氏)。GoodLife Fitnessのコア資産は、まさにトレーナーである。だからこそ、トレーナーのインサイト理解を踏まえ、その次に体験を検討し、最後にシステムを構築したという。
まず、データとフィジカルアクティビティをマッチングし、顧客が何を好み、何を好まないのかを把握。そこから「パーソナルで最適な体験」の提供を進めていった。一般的で固定的な情報を顧客に提供するのではなく、顧客の個々のフィットネス行動を可視化し、「あなたがアイアンマンになりたいのなら、そのゴールに向けた方法はこれです」とライフスタイルにも合わせて提示できたほうが、顧客とのつながりが強化される。それが顧客のリテンション、さらにはロイヤルティにつながり、まさに顧客の「GoodLife」実現につながってくのだ。
ジムに来ていない時も顧客とつながり続けるためのカスタマージャーニー
GoodLife Fitnessはパーソナルで最適な体験提供のために、デジタル・ウェアラブルデバイスも展開している。フィットネス時に身につけることで、その活動をジムでもパーソナルでも可視化できるものだ。これらのデジタル顧客接点によって、顧客の状態をトレーナーと共有し、さらなるサービスにつなげていく循環を生み出そうとしている。
これらのテクノロジーによって、トレーナーの接客品質が向上したという。ジムの中でも外でも、顧客のフィットネス体験に常に寄り添い、そのサポートにベストを尽くせるようになった訳だ。
いまやGoodLife Fitnessは多数のデジタルの顧客接点を持つ。刷新されたWebサイト、ECプラットフォーム、70万DLを超えるモバイルアプリ、そしてウェアラブルデバイスなどだ。そしてこれらを一体的なカスタマージャーニーでつないでいる。
いまや顧客はアプリで情報を見るだけでなく、実際に100万以上のエクササイズに参加しているという。こうしてつながり続けた顧客が、コロナ禍を経てジムにも戻りつつある。ボーン氏は次のように振り返る。
「ジムの体験はもちろん素晴らしい。そして加えてデジタルとのコンビネーションによる体験がいかに強力だったかを、我々は知ることになったのです。デジタルは我々の顧客のリテンションを高め、顧客をアクティブかつ効果的に維持することにつながりました」
ジムに来ている時だけでなく、来ていない時にもつながり続けるためのパーソナライズされたジャーニーを築き、そこから収益機会を見出していくというビジネスモデルを実現した訳である。
顧客のために「未来の体験」を描くことに挑戦する
セッションの最後にボーン氏はこう述べた。
「1つ言えることは、不変的なものなど何もないということです。42年前の創業から、我々はとても伝統的なフィットネスのビジネスモデルを維持してきました。しかしいま選択肢は2つしかない。顧客のために『未来の体験』を描くことに挑戦するか、それともただ我々が42年間やってきたことを繰り返し続けるか、ということです」
コロナ感染拡大が始まって、もう1年半。いや、たった1年半だ。しかしこの短期間で決断をして踏み込んだ企業とそうでない企業の差は大きい。前編で紹介した「Walgreens(ウォルグリーン)」とGoodLife Fitnessは、顧客のために自己変革に踏み切った結果、既にビジネスモデルの変革という新しい地平を見据えているのだ。
システムを制する企業が顧客の信頼を得る
おおよそどのカンファレンスでも、そのキーノートには主催者が見据える重要テーマが顕れる。その1つにレイチェル・ボッツマン氏による「Rethinking Trust」というセッションがあった。
Adobe Summitのキーノートで、「信頼の再考」が語られる。こんな興味深いことがあるだろうか。たった2つの事例を見ても、DXが単なるツールの活用ではなく、顧客とつながり続けるビジネスモデルへの変革であることは明白である。であればこそ、そのモデルの中心には顧客からの恒常的な信頼があるはずだ。
2021年1月に行われたNRF(National Retail Federation、全米小売業協会)でも、Walmartをはじめ多くの企業から「デジタルによるパーソナライズサービスを進める最大の鍵は、顧客からの信頼である」という言葉が聞かれた。確かにいまこのテーマなくして、デジタルツールの側面からだけでパーソナライズという顧客体験を語るのは片手落ちだろう。
ボッツマン氏の著作『TRUST』の中に、こんな一文がある。
「システムは行動を探知するだけではない。システムが行動を形作るようになる」
優れたサービスアイデアの上に企業がシステムを構築し、そこで企業と顧客が人としてつながる。そこに確固たる信頼が築かれた時、顧客の行動は一気に動くのだ。極論を言えば、事前に信頼がある企業だからといって、そのシステムが信頼される訳ではない。むしろシステムの覇者こそが次の顧客行動を作り、信頼を作っていく。パーソナライズされた顧客体験を実現し得た企業が信頼され、その企業へのリテンションが高まっていくと考えたほうが良い。
では、そのような顧客体験を何から作っていけば良いのか。本稿で最後に述べたいのは、パーソナライズされた顧客体験を思い描く原動力とは、「自らの顧客価値を問い直すこと」にあるということだ。
顧客価値を問い直さない企業は革新者たり得ない
WalgreensとGoodLife Fitnessの事例は、ツールの活用ケースを超えて、コロナ禍において自らの顧客価値を問い直す壮絶な変革ストーリーだった。社会環境変化への向き合いを示し、その只中にある顧客を想い、自らの資源を必死に掻き集め、組み合わせて再価値化する。その強烈な意志があったからこそ、ツールでその価値を拡張することができたのだ。
顧客価値は、クリエイティブアイデアとしてどこからか降ってきたりはしないし、外注して作ってもらうことも出来ない。ボッツマン氏は著書『TRUST』で、こうも語っている。
「人は新しいサービスなどを利用するときに、信頼の壁を超えることが必要になる。そのとき人は自らに問うのだ。『この体験は自分の人生に価値をもたらすか?なぜその価値が確かだと言えるのか?』」
Adobeが提供する万全なDXツールは、企業の可能性を拡張してくれる。しかしその原点たる顧客価値を、命を削り血の汗をかき、自ら生み出そうとしない者は革新者たり得ない。否、もはや事業主たり得ないのだ。そのような企業にはどんなツールも決して進化をもたらさず、デジタル時代において顧客からの信頼を勝ち得ることもない。
WalgreensとGoodLife Fitnessというトラディショナルだった企業の壮絶な改革事例は、デジタルの可能性を示すと共に、その教訓をも改めて示していると思えるのである。