はじめに
日本史のおさらいです。古代律令制による国家統治を推進する過程で、長安あるいは洛陽といった中国の都市に倣った大規模な都(みやこ)が現在の奈良県奈良市付近に建造されました。これを何京といいますか? そうですね。平城京です。それでは都が平城京に遷(うつ)ったのは西暦何年でしょう? そうですね。「なんと(七ん十)立派な平城京」。710年です。では、再来年(2010年)は平城遷都から数えて何年でしょう? はい、1300年ですね。それでは最後の質問です。その平城遷都1300年を記念して行われる奈良県の記念事業のマスコットキャラクターといえばどれでしょうか?
せんとくんとまんとくんが誕生
奈良県が、2010年の記念事業に向けて事業協会を設立したのが2005年。2006年には実施基本計画を策定して、1300万円をかけたシンボルマーク(大仏の手のひらを模したもの)も制定。しかし全国的な知名度はいまひとつ。平成不況下で企業からの寄付金も思うように集まらない。2006年末には当時の奈良県知事が突如引退を表明するハプニングもあり、2007年は新知事のもとで実施計画が見直され、予算は当初の350億円から三分の1以下の100億円に縮小、来場者予想も下方修正された「平城遷都1300年祭実施基本計画(案)」が、2008年2月12日に発表された。
これだけなら地域興しイベントの苦境を伝えるいち地方ニュースという程度だっただろうが、計画案に合わせてネーミング募集が発表されたひとつのマスコットキャラクターのインパクトによって、平城遷都1300年祭はあっという間に全国規模のネームバリューを獲得する。
ご存じ鹿の角を生やした童子「せんとくん」の登場である(ただし名前が決まったのは4月15日)。これほど賛否両論を呼んだインパクト十分なイベントキャラクターはいまだかつてなかった。制作には1千万円強かかったそうだが、一説には15億円の宣伝効果があったとされる。(参考記事: 奈良の「せんとくん」宣伝効果 なんと15億円,J-cast)
もっとも、望むべき形での“宣伝”だったかはわからない。その造形は「かわいくない」「気持ち悪い」「子供が泣く!」とまで非難され、製作者のもとに脅迫めいたメールまで舞い込む始末。非公開だった選定過程への批判もあいまって、テレビや雑誌からネットまでを巻き込んだ騒動となった。
地元では具体的な反対運動にまで発展。奈良県内のデザイナーらが集まった「クリエイターズ会議・大和」では独自に対抗キャラクターを公募し、6月2日、マントを羽織って朱雀門をかぶった鹿のキャラクター「まんとくん」を発表した。
とたんに世論は対決を面白がるムード。京都橘大学の木下達文准教授が独自に実施したアンケートをもとに第27回日本展示学会研究大会で行った「博覧会(地域プロジェクト)とキャラクター ―平城遷都1300年記念事業キャラクター「せんとくん」の課題と今後について―」 と題した発表をもとに、朝日新聞が「『せんとくん』敗れる」と報じたのも記憶に新しいところだ。