受託をやりたくなかった理由
内山 当時はツールバーをユーザーに無料配布して、ユーザーのウェブの閲覧行動をモニタリングしていました。その人がどんなホームページにブックマークしているのかがわかると、「このホームページがおすすめですよ」とレコメンドしたり、「この人と会話するといいですよ」とチャットする相手を紹介することもできる。今のFacebookのようなしくみを2000年にやっていました。
――Facebookが立ち上がったのは2004年ですから、それは早いですね。
内山 でも、やっぱり早すぎた。そして1年くらいで資本金も使い切ってしまいました。当時、日経新聞が最初に僕たちのサービスを導入してくれて、ベンチャーキャピタルから出資をもらおうとしていたのですが、そのタイミングで9.11の事件が起きたんです。そこで全部出資がストップして、つぶれそうになって。
―― その危機をどう乗り切ったのでしょうか。
内山 僕は絶対受託開発はしたくなかったんです。プログラムにお金を稼がせる会社にして、納品はしないんだと。でも、「受託でもいいから生きていきましょう、内山さん」と言われて、一気に受託開発に方針を変えた。
―― どうしてそこまで受託をしないことにこだわったのでしょうか。
内山 ITの本質というのは、24時間プログラムがお金を稼いでくれることと、プログラムやコンテンツをコピーするのに原価がかからないこと。どんなに大きな企業であっても受託開発は、つるはしの代わりにキーボードを持って、何人月の工事を受注するのと同じです。僕はそれはやりたくなかった。ITの本質にのっとったビジネスをやらないかぎり、この時代に生まれた意味がないと思っていたんです。ただそのときは「受託でもいい」と割り切って必死に生きてきました。
ブログやツイッターが検索エンジンのあり方を変えた
―― そうして会社を維持しながら、現在の柱となっているソーシャルメディア分析はどのように始めたのでしょうか。
内山 NTTデータがブログポータルのサービスを日本で最初に始めたときに、かかわらせてもらったのがきっかけです。ブログやツイッターが普及するうちに、「検索エンジンのあり方が変わってきた」と感じていました。それまでの検索エンジンは、キーワードを入れるとそれに適した情報がどこにあるのかを指し示す役割だった。しかし、ブログやツイッターが検索対象の場合、情報がどんどん小さくなっていく。キーワードを入れて、検索結果に出てきたのがひとつのツイートだとして、それだけ見ても意味わかんないじゃないですか。
―― 確かに。それって点ですよね。
内山 だから、そのキーワードを入れたときに、「世の中で言われていることを統合するとこういうことなんですよ」と要約してくれる検索エンジンが実は必要なんだろうなということで、2005年くらいにブログのマイニングエンジンの研究開発を始めて、2008年からは一切の受託開発をストップしました。ブログの分析サービスとレコメンデーションサービス、その新規事業が立ち上がるか、お金がなくなるか。背水の陣でいこうということで、全リソースをそこにフォーカスして、今に至るんです。
―― 受託は全部ストップしてそこに賭けるんだという判断をされたのですね。ご自身のリーダーシップについてはどう思っていますか?
内山 自分はリーダーシップは弱いと思ってます。「こんなことをするべきだ」とか「やろうぜ」とと言うのは得意なんですけど、みんなの気持ちを察するのがものすごく下手。うちには、COOの成瀬(功一郎氏)というのがいまして、彼はオプトが10人くらいのころから上場するまで引っ張ってきた男なんですが、彼が「内山さんの不得意なことは全部僕がやります。内山さんは得意なことだけやってください」と言ってくれたので、僕はイキイキと好きなことがやれている。彼がカバーしてくれたのでうまくいった部分は大きいと思いますね。
