データ分析を武器にビジネスを広げるホットリンク
2000年に設立されたホットリンクは、ブログやツイッターのクチコミ分析をベースに「クチコミ@係長」や「e-mining」などのツールを展開。2012年には、世界最大のソーシャルメディアデータ供給会社である米国Gnip社と戦略的提携を発表、セールスフォース・ドットコムとシナジーマーケティングと資本業務提携し、着実にその地歩を固めつつある。
グループ会社として、2011年に金融情報提供を行うホットスコープ、2013年にはデータサイエンス事業を行うホットリンクコンサルティングを設立し、データ分析を武器に新事業を展開。最近では、ビッグデータ分析をもとにした選挙予想を行って注目されている。このホットリンクを率いる内山氏はいったいどんな人物なのか?
はじめてのインド旅行、ゴアの海での忘れられない体験
―― 内山さんはこのお仕事を始める前は、大学で何を専攻されていたのでしょうか?
内山 東京大学工学部の船舶海洋工学科で数値流体力学を専攻し、コンピュータの中で水や空気の流れを解析する世界的な権威の研究室にいました。東大では専門学科を決めるのは2年の後半。将来どの学科に進むかを決めるときに人生に悩んでしまい、インドを旅しました。40日間ひとりで放浪してゴアの海岸にたどり着いた。ある日、海岸でぼーっとしながら海を眺めていたら、頭の中に突然バーッと数式が流れてきて……。
―― 一種のトランス状態ですね(笑)
内山 ゴアですから(笑)。波って寄せてはひいて無秩序に見えるのに、じつはある物理法則にしたがっているんだと思うと、今までと全然違って見えた。「こんなに海ってきれいだったんだ!」とガーンとなった。これは僕にとって、ニュートンが林檎が落ちるのを見て万有引力の法則を発見したのと同じような瞬間でした。
―― そんな体験をすると、日本に戻ってこれなくなりそうですね。
内山 そういう人もいますよね。でも、帰国してからも大学での日常生活の中でインドでの体験の意味は何だったのかを問い続けていました。そんなある日、物理の授業を聞いているとき、「物理という虫眼鏡を通して自然の美しさをかいま見ることができるかもしれない」とふと気づいたんです。それで理学部物理学科を志したのですが、案の定、成績が悪かったので(笑)第二希望の船舶海洋工学科に進みました。1994~1995年に、世界的ヨットレース「アメリカズカップ」の日本代表艇の設計チームに所属し、「科学技術の粋をつくして世界と戦うワクワク感」をそのとき感じました。
ウェブの可能性に魅せられて中退、検索エンジンの開発へ
―― そのころのウェブはどういう状況だったのでしょうか。
内山 アメリカではちょうどネットスケープとかモザイクが登場したころで、インターネットで、こんなこともあんなこともできるんだとわかったら、授業にいかなくなってしまって(笑)。いつの間にか、日本で最初期の検索エンジンをつくるプロジェクトにかかわるようになっていたんです。
―― 迷いながらも、たどりつくところがいつもすごいですね。
内山 博士課程の2年になるときに、今度は自分が先頭にたって世界と戦うワクワク感を求めて中退し、検索エンジンのベンチャーを一緒に始めました。検索エンジンのプロジェクト自体は、僕らはヤフーに負け、グーグルに負け、と打ちのめされていったんですけど、当時、検索エンジンの限界みたいなものも感じていました。
―― その「検索エンジンの限界」とはどういうものでしょうか。
内山 たとえば、このホームページは初心者にいいのか、感動するホームページなのか、それはテキストをどれだけ人工知能が解析してもわからない。でも、そのホームページに「いいね!」したり、ブックマークしたり、「初心者向け」というタグを付けるということが人間ならできる。そうした人間の知恵を学習させてコンピュータに取り込んでものすごい検索エンジンをつくるという、今のソーシャルネットワークのアイデアが、当時の僕の中に出てきた。そして、ソーシャルな世界をベースにした検索エンジンをつくろうということで、2000年にホットリンクを立ち上げたんです。