店舗の価値を高めるデジタルサービス、実装にはハードルも
――本日はDX JAPANの植野さん、水上印刷の松尾さんにお話をうかがいます。昨今、店舗を筆頭とする“リアルの世界”とデジタルサービスとの融合は、OMO、DXといったキーワードとともに進められていますが、依然課題が残されている点もあるようです。現在の状況についてお聞かせいただけますか。
DX JAPAN代表 植野 大輔氏
早稲田大学政治経済学部卒業後、三菱商事でローソン出向含むメディア、リテイル事業に従事。その後、ボストンコンサルティンググループ(BCG)でデジタルPJTを多数経験しファミリーマートに全社変革のヘッドとして招聘される。改革推進室長、マーケティング本部長を歴任後、デジタル戦略部長に就任。「ファミペイ」など自社デジタル顧客基盤をベースとしたデジタル戦略を手掛ける。2020年DX JAPAN設立。
松尾:ここ数年でQRコード決済やアプリ注文の店頭受け取り、予約サービスなど、リアル店舗は様々なデジタルサービスを導入して体験価値を高めてきました。経済産業省もキャッシュレス決済比率を2025年までに40%、将来的には80%を目指すと表明しています。その動きはコロナ禍でさらに加速した印象です。
植野:DXの推進はデジタルサービスを展開する事業者にとっても好機ですし、店舗にとっても差別化要因になります。業務効率が高まるだけでなく、新たな付加価値を出すことができるようになるからです。しかしデジタルサービスの導入や浸透は一筋縄ではいかず、デジタル事業者と店舗の双方が課題を抱えてしまうこともあります。
水上印刷株式会社 マーケティングディレクター 松尾 力氏
京都大学法学部卒業後、経済産業省にて中小企業支援、福島復興支援、ASEAN貿易交渉などに従事。水上印刷へ参画後は、ICT部門の立ち上げやコンサルティング部門の立ち上げなどを行い、構造不況と言われる印刷業界にて売上高2倍の成長を牽引。現在はマーケティング責任者として、チームの立ち上げ及びマーケティング業務全般を担当している。
――どのような課題があるのでしょうか。
松尾:まずデジタル事業者にとって、フィジカルなオペレーションの負荷が大きいということです。サービス自体はスマホを使用するデジタルなものに見えても、その裏側ではサービス提供に必要なデバイスやポスターなどの配送・設置といった工程が必要になることがほとんどです。
たとえば2年前に行われたキャッシュレス決済のキャンペーンでは、多くの事業者がQR決済サービス導入を進めました。それを実現するためには店舗ごとに異なるQRコードを発行し、決済端末と一緒にキッティングし発送、店舗はそれを実装するというオペレーションが発生していました。ところが、特にデジタルの世界で完結するサービスを展開してきた事業者では、そのようなノウハウが不足しており、サービス普及の障壁となったケースもあったようです。
植野:店舗側の従業員が担うオペレーションの負担も見過ごせません。デジタルサービスを設置・運用するためには、人が手を動かしたり、新たに覚えたりしなければならないことが多く発生します。そうした作業は導入サービスの種類だけバリエーションがあり、負担が大きいのが現状です。
QR決済サービスの利用者が「間違えて購入したので返品したい」というときなどの返品対応などは、その最たるものですよね。取引全体の数%しか起きないことだとしても、間違えずに対応するために、従業員はサービスを熟知しなければいけません。ここでつまずいてしまうと、体験価値を高めたい店舗にとっても、サービスをスケールしたいデジタル事業者にとっても痛手です。
松尾:このようなフィジカルな負担をなるべく小さくしようというのが、水上印刷が手掛けているOMO型ビジネス支援の出発点です。
デバイスの在庫管理、キッティングから配送まで引き受け
――OMO型ビジネス支援の内容について、具体的にお聞かせください。
松尾:サービスを導入する際に超えるべき「物理的なハードルのすべてをお引き受けする」というコンセプトでお手伝いしています。たとえばデバイスの在庫管理から加盟店ごとの個別の設定、キッティング、配送などのオペレーションを担います。また、こうしたデジタルサービスはローンチ当初は規模が小さくても、拡大するときは一気に拡大するので、それを支えるオペレーションも繁閑の差が非常に大きくなりがちです。その点、水上印刷では幅広いクライアントからお仕事をいただいており、部署を越えて柔軟に作業スタッフや作業エリアを組み替えられますので、こうした繁閑の波にも柔軟に対応可能です。あるクライアントの事例で端末をキッティングさせていただいたのですが、1発注あたりの作業台数が数百台~10,000台以上と非常に幅広いケースもありました。
植野:開発したサービスを広くリアル店舗に導入してもらいたいとき、水上印刷さんは心強いパートナーだと思います。デジタル事業者にとって、店舗廻りの業務は、幅広く知見を持っていて、ノウハウがあるところに任せてしまうほうが合理的でしょう。お店チェーンごとにまったく違うノウハウが必要になりますし、その能力を高めたとしても本業での価値を高めることにはつながりにくいからです。
――店舗とデジタル事業者、双方の課題を解決するサービスなのですね。支援の例についても教えていただけますか?
松尾:たとえば店舗にビーコン端末を置いて、近くを通った人を計測して来店分析をするようなサービスについては、ビーコン端末への個別の店舗情報の書き込みやアプリの動作チェック、製品の梱包を行い、誤配送防止のための専用ラインやシステムの開発、配送業務などを提供させていただきました。
当社は社名の通り印刷業から事業を開始しましたが、現在は印刷業で培ったマス・カスタマイズ技術やロジスティクスのノウハウを活かし、「マーケティング・オペレーション改善企業」として、お客様のマーケティング周辺業務の非効率を共に解決することを目指しています。今回ご紹介したOMO型ビジネス支援もこの一環です。
店舗からの問い合わせ対応やマニュアル作成も
――オペレーションの煩雑さが取り除かれることで、スムーズな導入・運用が可能になりますね。
松尾:はい。加えて、店舗側の負担を取り除くためのより積極的な支援として、設置や利用方法を説明するマニュアルや動画を制作したり、店舗からの問い合わせに対応するコールセンター機能を提供したりといったことも行っています。
植野:店舗の従業員へのエンパワーメントはサービスが真に使われるものとなるために欠かせないことですが、事業者がコールセンターを自社で持つというのは、難易度が高いと思います。どこまでを内製化してどこを外注化するといいかという見極めは難しいのですが、こうしたサポートは、似たような事業を自分たちで横展開しようという意思でもない限り、外注するのが良いのではないでしょうか。
松尾:コールセンターには、使い方や設定方法に関する質問から、画面がフリーズしたり壊れたりといった相談、お店が閉店したので端末を返却したいという要望など、幅広い内容が寄せられます。デジタルサービスが円滑に使われるようになるためには、こうした”泥くさい業務”を疎かにすることはできない、と改めて感じます。
様々な工程で生じる「面倒くさい」を取り除く
――実際に支援を依頼される事業者の方々は、どのようなきっかけで水上印刷さんに相談されているのでしょうか。
松尾:サービスリリース時からお手伝いさせていただくケースが多いですが、「規模を拡大したい」というタイミングでご依頼いただくこともあります。サービス立ち上げ初期の規模が小さいうちは、なんとか自前で回していたものの、それではスケールの速度が出せない、という課題感があるのだと思います。
植野:リリース時は自力だとしても、浸透・改善の段階でパートナー企業に入ってもらうのも良い方法ですね。デジタルサービスは、導入が済んだらそれで終わりではありません。高頻度でアップデートが必要ですし、デバイスも数年ごとに入れ替えがあります。その度にデバイス情報を集めてスペックを評価して、どのあたりに脆弱性やエラーがあるかを把握し、仕様が変わっていたら新たにコンテンツ更新システムを考える……といった業務も発生してくるわけです。
――最後に、DXの推進とそのご支援を通じて、デジタル事業者、店舗、そして生活者に提供していきたい価値について教えてください。
松尾:デジタル事業者には、極力本業に集中してもらえる環境を提供できればと思っています。最近は、あるサービスでご支援させていただき、実績ができた事業者様から、別の新しいサービスが立ち上がる時に再度お声がけいただくことも増えてきました。
サービス開発やマーケティング、営業に集中していただくことで、新しいサービスの開発や既存サービスの普及のスピードが上がれば、結果的に店舗を訪れる生活者、接客する従業員の方々の体験価値も向上するでしょう。そのようなことに貢献できるパートナーでありたいと考えています。
植野:オンラインプレイヤーが実店舗にも進出してきているといっても、実店舗の知見は従来からの小売店の方がたくさんあるわけで、そこが強みであると思います。そうした自分たちだけの価値が出せるところに集中するためにも、それ以外の部分はベストパートナーを見つけて担ってもらうことが大切なのではないかと思います。店舗や従業員がデジタルデバイスの知見やセッティングの能力を身につけるのは本業からあまりにも遠いですし、求められるのはデジタルサービスへの詳しさではなく、良い店舗で良い商品を良い接客で販売することだと思いますので。
水上印刷さんは、“印刷”と言う言葉からは想像もつかないぐらい、デジタル領域もやられていることが、よくわかりました。工場で紙の上にインクで印刷する時代から、デジタルデバイス上にネットワークを介してコンテンツを表示させる時代、これが“未来の印刷”なのかもしれません。
ただ、紙の印刷物でも、デジタルデバイスのコンテンツでも、それをリアルの場で人が使う以上、様々なマーケティング・オペレーションが発生します。それらのオペレーション改善をひっくるめて“未来の印刷”にスピーディーに取り組まれているのは、これぞまさにDXと言えるでしょう。リアル店舗にデジタルサービスを展開したい事業者にとっては、本当に頼れるソリューションだと思いますね。
松尾:ありがとうございます。私たちは今回ご紹介した支援サービスに限らず、様々な工程で生じるお客様の「面倒くさい」を解消することを軸に、サービスを作ってきました。DXという言葉の裏側には、まだまだ多くの「面倒くさい」が存在しています。そうした目に見えない“アンダーデジタル”とも呼べるような領域を、これからもご支援していきたいです。
――本日はありがとうございました。
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