ゆかごから墓場まで
たかだか1枚の写真がアップされていただけで、ずいぶんな言いようだと思われる方もいるかもしれない。しかし、Facebookが人の人生そのものを、誕生から死までまとめて面倒見ようという壮大なサービスだということは確かだ。
Facebookで、自分のタイムラインをひたすらさかのぼってみたことはあるだろうか? Facebookに入会した日付まで戻ってみる。でも、そこが最初ではない。さらに時間を巻き戻し、学歴や職歴として入力した卒業や就職といったライフイベントを通過し、最終的にはプロフィールに入れた生年月日にまで至る。
あなたの人生がはじまった日に、Facebookのタイムラインは「誕生」というライフイベントで始まる。「写真を追加」リンクから、無垢で汚れを知らなかった自分を貼り付けることもできる。
その一方で、「アカウントの追悼」というシステムがFacebookにあることを、どのくらいの方がご存知だろうか? ヘルプを引用する。
亡くなった方のアカウントは追悼アカウントに変更いたします。追悼アカウントでは、亡くなった方の友達だけがプロフィール(タイムライン)を見たり、検索できるようになります。ホームページの「友達の紹介」セクションにこの方のプロフィール(タイムライン)が表示されることはなくなります。ご家族やお友達の方は、追悼のメッセージを書き込むことができます。
つまり、Facebookはバーチャル上にあなたの墓碑をも用意している。故人の親族ならアカウントの削除をリクエストすることもできるが、一生の記録が詰まったメモリアルの年表をまっさらに削除しろとはなかなか言いがたいのではないだろうか。
まさにゆりかごから墓場まで。Facebookがいま手がけている事業は、従来の検索の代わりにソーシャルグラフがキュレーションのセレンディピティによって儲かるとか儲からないとかいう話ではなく、全世界人類の人生すべてをここに記録させようという、かなり壮大な試みなのだ。
SNS事業者の夢と挫折
これまたずいぶんな誇大妄想だとやはり思われるだろうか。たかだか数年の流行り廃りで、支配的なサービスが次々と入れ替わるIT業界において、人の一生を支えるサービスを想定するのはなかなか難しい。
しかし、SNSというサービスの本質を考えたとき、これこそが目指したくなる、また目指すべき、高いチャレンジであるのも確かだ。
SNSは、ひとのリアルな人間関係を「ソーシャルグラフ」というコンピュータで扱いやすい形に落としこんで、インターネット上に仮想的に展開する。リアルとバーチャルがほぼ重なった状態で、友達の友達の友達……と知り合いの関係がひたすらどこまでも続いていく。
となると、究極的には全国民、世界全人類、というとやはり大げさだが、かなり多くの人達が同一のプラットフォーム上にアカウントを持ち、その人達にとって日常に必要なメッセージングや意見交換は、すべてそのプラットフォーム上で行われている形を思い描くことができるだろう。
SNSとは、その発想がITサービスとして形を現した2000年代前半から、すでにそういう可能性を持ったサービスであり、SNSの事業者ならそういう支配的なプラットフォームを必ずや夢見るのではないだろうか。mixiも確か日本国内におけるそういった立ち位置を目指していたはずだ。
しかし、そういったリアルな人生のプラットフォームとして確立されたサービスはまだ存在しない。数多くのサービスが、リアル社会の全人間関係をバーチャル上に再構築した究極的なSNSに至らぬまま、出会い系であったりゲームプラットフォームであったりと事業セグメントを見直していくのが現実だ。
ただ、現時点でもっとも可能性があるのは、まもなく10億人という巨大なユーザーを抱えようかというFacebookであり、IPOの翌週には早くも新しいタイムラインのデザインがテストされていたと報じられており、その歩みを緩めるつもりはないようだ。
もし、この誇大妄想のようなプラットフォームが実現するのであれば、IPOの翌週に株価が数ドル下がったということや、あるいはIPOしたということすら、些細なことなのかもしれない。
