こうした施しが必要になるのは、不特定多数のユーザーが閲覧する、政府や役所関係、公共サービス、医療情報、大衆市場向け商品の紹介サイト、高齢者(現時点で)を対象としたサイトである。
昨年、リテラシーが低い中高年をメインユーザーとしたサイト制作に関わったが、ニールセンのアドバイスの他に、長いボディコピーの代わりに箇条書きを多用したり、『らくらくホン』にならって、コピーやボタンのフォントサイズを大きくしたり、見やすくするなど工夫をしたものである(たぶん、フォントサイズの変更ボタンや画面拡大に気づかない)。
将来はネットリテラシーの高くない人は減少するかもしれないが、文章を読むのが苦手な人が減るとは思えない。Webの読み方になれた人が増えると、かえって読むのが苦手な人は増えるのではないかとさえ思う。そう考えると、文章を書く上で何が大切なのかを今一度、認識する必要がある。
文章に必要なのは、相手への敬意

文章でいちばん大切なのは何かと聞く。たいてい<言いたいことが伝わる>、<言いたいことを理解してもらえる>と答える。これはこれで正しいと思う。しかし、もっと大切なことがある。そして、それは忘れられがちだ。
文章でいちばん大切なのは<読まれること>だ。そんなの当たり前でしょ!と思うかもしれない。そうは言っても、読まれることを拒否しているような文章をよく見かけるのも事実。言葉の専門家たちは、以前から読まれることの大切さを説いてきた。
しかし、学校で習う国語では文章の書き方なんて教えてもらった記憶がなく、社会人になって、それもずいぶん後で知ったものである。ああ、恥ずかしい。
『思考の整理学』など数々の名著で知られる言語学者、外山滋比古さんは『文章を書くこころ』で<他人に読んでもらうのが文章>、文章を書くということは、すべてそれを前提にして考えるべきと述べている。文章は相手あってのもの、ということだ。
さらに、<いまの文章(たぶん巷にあふれる文章)は、多く、読者に対するそういうサービスの精神に欠けているように思われる。自分の書きたいことを一方的にのべる>とも言っている。<そういうサービス>というのは、読んでもらえる工夫や面白い内容のことである。

『街場シリーズ』などの著書で知られる、思想家の内田樹さんは『街場の文体論』で、そのことを掘り下げている。内田さんは、<書く>の本質は、<読み手に対する敬意>であり、敬意は<読み手との間に遠い距離がある>という感覚から生まれると述べている。
ここでいう距離とは物理的なことではなく、<身内の語法(友人などと交わす、自分のふだん使い慣れた言葉)>では通じない、コミュニケーション上の隔たりということだ。つまり、身内の語法では通じないことを前提に考えるべきと言っている。
読み手への敬意があってこそ、読まれる文章が生まれる。まず読み手に気分よく、スラスラ読んでもらいたいという思いの深さがあり、そのために読まれるよう工夫を凝らす。読み手に対する敬意のある文章は、そのようにしてしか生まれないというのが内田さんの主張だ。
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