モノづくりも宣伝も“大量生産”の時代が終わる
――対談の前編では、OMO時代は「フリクションレスな体験がカギを握る」とお話しいただきました。そうなったとき、企業のマーケティングやビジネスはどのように変化していくでしょうか。
奥谷:様々な企業が、大量生産・大量消費のモデルから、少量でハイクオリティなものを届ける方向に舵を切るようになるでしょう。大量生産からの脱却はよく言われていることですが、マーケターにとってそれがどのようなことを意味するのかを改めて考えてみたいと思います。
奥谷:“少量でハイクオリティ”を体現するサービスの一つに、会員制のサブスクリプション型ビールサービス「KIRIN Home Tap」が挙げられます。月額7,500円(税別)で自宅にビールサーバーを置くことができ、毎月1リットル×2本×2回「一番搾りプレミアム」が届く。私はこのサービスを利用し始めてから、缶ビールをすっかり買わなくなってしまいましたが、キリンに対して払っている金額はトータルで上がっていると思います。
自宅で注ぎたてのクリーミーな泡をいつも楽しめて、自分の好きな分だけ飲める。一日にほんのグラス半分だけ楽しむでもいい。ビール体験が格段に豊かになりますよね。確かに缶ビールに比べれば、月額7,500円のサーバーはコスパが悪いかも知れません。だけど消費者はその体験に、今まで以上のお金を喜んで払うわけです。
企業は、発想を変えることが求められています。「KIRIN Home Tap」のように、缶ビールを大量生産し、大量消費してもらいましょうという姿勢から脱却し、「それほどたくさん飲まないけれど、プレミアムな体験がしたい」と考えるユーザーに目線を合わせていくべきではないでしょうか。
岡本:興味深いお話ですね。私が身を置いている印刷業界でも、紙メディアを用いたマーケティングといえば、かつては大量印刷・大量配布が基本でした。しかしデジタルが発達した現在、紙の役割は、もっと違うところにあるのではないかと思っているのです。
手触りがあって、物質として手にすることのできる紙メディアは、プレミアムな体験を届けるのにぴったりです。コストをかけて大量の印刷物を生産するのではなく、届ける相手を絞り込んだ上で、クオリティの高い紙を使って取っておきたくなるようなDMを送る。手の込んだクリエイティブや立体感のあるギミックで、インパクトを与えたりといった工夫も可能です。奥谷さんがおっしゃるような、「豊かな体験をハイクオリティで提供していく」ことが、紙メディアも含めたアナログの価値なのだと考えています。
岡本:さらに言えば、大量生産を見直すことで浮いたコストを、アナログもデジタルも絡めたホリスティック(包括的・全体的)な体験を作りこむことに充てられるはず。そうすれば、もう一段階上のユーザー体験を提供できるのではないかと思います。
奥谷:おっしゃるとおりです。より良い紙を使って、より精度の高いDMを作ってプレミアムな体験を届けていく。前回、岡本さんがお話していた「丁寧さ」が求められる時代になっていますよね。
デジタルの向こう側にオフラインの「聖地」を作る
――アナログ・デジタルの果たす役割も、時代に応じて変わってきているのですね。
奥谷:はい。今までのように「テクノロジーが発達したので、とにかくなんでも全部デジタル化しましょう」という話ではないのです。ホリスティックな体験をまず作って、その中にデジタルをどう組み込むか。大切なのはこの考え方です。
デジタル上で人々を惹きつけているコミュニケーションの先には、そのユーザーにしか見えていない世界やテンションの上がるポイントが必ずあります。たとえば前職で無印良品にいた時、クリスマスシーズンに発売されるヘクセンハウス(お菓子の家)のキャンペーンが大きな話題になったことがありました。当時あった有楽町の旗艦店に、ヘクセンハウスをたくさん並べてお菓子の街を作りました。するとユーザーが店頭に来て、写真を撮ってどんどんTwitterやInstagramに投稿してくれたのです。そしてそれを見たユーザーがさらに足を運んでくれました。これはまさに、O to O to O(Online to Offline to Online)という情報の流れと世界観が完成されている例ですよね。
あるいは2019年、オイシックス・ラ・大地では父の日、母の日、そして夏休みと、春日部駅にクレヨンしんちゃんとのコラボ広告を掲出しました。日々の食事づくりに勤しむ方々に向けて、「かあちゃんの夏休みはいつなんだろう。」と問題提起をするような駅貼り広告でした。こちらも、クレヨンしんちゃんやオイシックスを好きな方々が写真を撮ってTwitterに投稿してくださって話題になり、さらに人が集まりました。
前回紹介したランニングマシーン「ペロトン」の例も同様で、いつもはオンラインでしかつながりのないカリスマトレーナーと一緒に運動ができる専用スタジオが「聖地」になり、そこへ行くことがちょっとしたプレミアムな体験になっています。
岡本:オイシックスの例は、生活の中に息づいている「駅」という場に張り出されているのが、とても良いですよね。朝眠たい目をこすって一生懸命子どものお弁当を作った母親や父親が通勤の時にあの広告を見て、心が動く。すると、春日部の駅が「聖地」になるんですよね。
奥谷:そうなんです。デジタルを通じて知ったオフラインの「聖地」にユーザーが好奇心を駆り立てられ、行ってみたくなる。それがさらにデジタルで拡散されて、ファンを生む。するとアニメの「聖地」と同じように、そのブランドにとっての「聖地」が生まれるわけです。OMO時代と言われる今だからこそ、モノや場といったアナログのコミュニケーションとの掛け合わせがうまく機能するようになっているのだと思います。
企業は「メーカー」を脱却し、プロデューサーになれ
奥谷:話は変わりますが、実は無印良品にいたころ、ネット広告をほぼ全部やめてしまったことがありました。もちろん広告運用で結果を出していくことも大切ですが、ネット広告にかけている大量のコストをユーザー体験を豊かにすることに使ってみてもいいのではないかと考えていて。それで無印良品では、デジタル広告の出稿をストップしてアプリ開発と運用コストを捻出し、ネットストアの決済機能の充実やUXの改善、店頭と在庫のスムーズな連携などに使い、ユーザーの使いやすさを追い求めていきました。その甲斐あってか、いまだに無印良品のネットストアはある程度安定成長を続けていると聞いています。
生活者がプレミアムな体験にお金を払うようになっている以上、企業もその設計により積極的に投資していくようになるのは、自然な流れだと思います。盲目的に「デジタル広告を大量出稿すれば、コンバージョンにつながる」と考えているのなら、一度ユーザーの方を向き直して、ユーザーにとって快適な体験を提供するためにコストを投資する方へ、舵を切ってもいいのではないでしょうか。
岡本:奥谷さんはセミナーや講演でもよく「顧客目線とは、生活者に視点を合わせること」と、おっしゃっていますよね。印刷業界で言えば、顧客目線というのは、メーカーの都合で印刷物を大量に配布したり、「最新の機能だから」とテクノロジーを使い、ユーザーに押し付けることではないと思います。
奥谷:もはや企業は「メーカー」を脱却して、プロデューサーになった方が良い。前回お話した、シームレスとフリクションレスの関係と同様に、メーカーとしてプロダクトアウトで商品をメイクすると、どうしても企業都合の押し付けになってしまいます。企業には、消費者に提供するすべての体験をプロデュースしていくという覚悟が求められているのだと思います。
OMO時代にふさわしいアナログの価値を探せ
――対談の締めくくりとして、お二人の考えるデジタル×アナログの理想形についてお話いただけますか。
岡本:テクノロジーにせよ、今話題のDXにせよ、大切なのはそれらが人を豊かにするためのものだということ。テクノロジーは「導入して終わり」というものではなく、まして技術力の高さをひけらかしたり、コンサルや儲けの道具にしたりするものでもありません。
印刷業界では時折、DMにQRコードをつければそれで良いとか、ただバリアブル印刷にすればよいという段階で止まってしまっている場面を見かけることがあり、残念です。「デジタル VS アナログ」のような構図で語られ、デジタル印刷はコストを抑えられることを売りにしたりしているのも、本質的ではありません。
奥谷:その通りです。テクノロジーはコストを削減するための魔法ではありませんよね。
岡本: 結局、どれだけ便利なテクノロジーを手に入れても、マーケターの仕事は人をハッピーにすることであり、そのための“with デジタル”なんですよね。それを決して忘れてはなりません。そして、そのサポートをするのが私たちベンダーの仕事だと考えています。
奥谷:誰よりもユーザーのことを考えるマーケターと、人をハッピーにしたいと思っているベンダーが一緒になってホリスティックな体験を作ることができれば、デジタルとアナログを融合させたもう一段回クオリティの高いコミュニケーションが実現すると思います。それができれば、紙メディアをはじめとするアナログが、OMO時代にふさわしい新たな価値を発揮できるようになるのではないでしょうか。
岡本:最近、デジタルとアナログは相対するものという考えが徐々に薄まり、デジタル出身・アナログ出身の人たちが膝を突き合わせて議論できるようになってきたと感じています。これからどんなことが可能なのか、知恵を出し合いながら探っていくことができれば嬉しいですね。
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