この記事は、日本マーケティング学会発行の『マーケティングジャーナル』Vol.45, No.1の巻頭言を、加筆・修正したものです。
「社会心理学」とはどのような学問か
社会心理学は、人間の行動や判断が他者からどのような影響を受けているのか、人と人との相互作用が社会にどのような影響をもたらすのかといった問いについて、科学的な手法を用いて明らかにすることを目指す学問です。
人間は一人きりでは生きることができません。社会心理学では、人間を「社会的存在」として捉え、人の心理や行動のメカニズムを、他者や社会との相互作用という観点から説明していきます。
たとえば、社会心理学の研究テーマの代表例の一つとして、なぜ人は偏見を持ってしまうのかという問いがあります。私たちは、「日本人は几帳面」「関西の人はおもしろい」「女性は甘いものが好き」といったように、社会集団ごとの固定的な見方(ステレオタイプ)を持っています。実際にはまったく几帳面ではない日本人もいますし、寡黙な関西人もいます。甘いものが大好きな男性も少なくないことを私たちは知っています。
しかし、私たちはしばしばステレオタイプに頼った判断をしてしまいます。それはなぜなのでしょうか。
社会心理学では、人間は処理しきれないほどの大量の情報にあふれた世界で快適かつ安全に生きのびるために、過去の経験を法則化して、情報処理を簡便化するメカニズムを身につけたのであろうと考えられています。
この「法則」がどのような時に用いられやすく、場合によっては過度に用いられてしまうのか、また、どのようにすれば誤用を防げるのかといったテーマで、たくさんの研究が積み重ねられています。これらの研究は、日常的な人間関係における誤解やミス・コミュニケーションの解決に役立つだけでなく、国際紛争や差別問題などがなぜ生じてしまうのかという問いを考える上でも役に立ちます。
その他にも、人は自分自身をどう認識しているのか(自己概念の研究)、人や物に対する好き・嫌いが生まれるメカニズム(印象形成や態度の研究)、他者を助けたり協力したりといった援助行動が生じる条件(利他的行動の研究)、人と人のコミュニケーションがもたらす効果、人の感情の役割、価値観の文化差など、社会心理学が扱うテーマは広範であり、かつ、私たちの生活に身近なものばかりです。
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マーケティング論では、社会心理学の理論が多く用いられている
これらの社会心理学の研究知見は、マーケティングや消費者行動の研究に数多く応用されてきました。たとえば、上述したステレオタイプのような「人の知識の枠組み」に関する研究は、マーケティング論では消費者がどのように製品のカテゴリーを分類しているのかの議論などに応用されています。自己概念に関する一連の研究成果は、高級ブランドを好んで購入するような消費者の行動や、ソーシャルメディアで積極的に口コミを発信する消費者の心理などを説明することにも有用です。
マーケティング関連の仕事に携わられている読者の中には、「単純接触効果(反復接触によって対象への好意的評価が形成される;Zajonc,1968)」や「精緻化見込みモデル (説得的メッセージの影響過程の中心ルートと周辺ルートを提唱;Petty&Cacioppo, 1986)」についてご存じの方も多いと思います。これらは広告効果を説明する際などにしばしば応用されますが、いずれも初期の社会心理学を代表する理論・モデルです。
ここで挙げたもの以外にも、マーケティング研究に大きな影響を与えた社会心理学の理論は枚挙にいとまがありません。その一方で心理学の理論の中には、マーケティング研究に応用され、マーケティング研究の文脈で検証されることによって理論的に精緻化されたものもたくさんあります(Malter et al.,2020)。マーケティング論と社会心理学は、隣接領域として互いに影響を与え合ってきた関係にあるといえます。