この記事は、日本マーケティング学会発行の『マーケティングジャーナル』Vol.45, No.2の巻頭言を、加筆・修正したものです。
変化するマーケティングと顧客経験
マーケティングの概念は、1900年代初頭にアメリカで誕生しました。その間、世の中の変化に適応する形で、マーケティングの概念自体も進化してきました。
我が国でも2024年、日本マーケティング協会が34年ぶりにマーケティングの定義を改定しています。新しい定義によると、マーケティングとは「顧客や社会と共に価値を創造し、その価値を広く浸透させることによって、ステークホルダーとの関係性を醸成し、より豊かで持続可能な社会を実現するための構想でありプロセスである」とされます。
ここでは、主体は企業とは限らないこと、関係性を醸成することにより新たな価値創造のプロセスが生まれ得ること、マーケティングが戦略・仕組み・活動を包摂する広い概念であることが示唆されています。このようなマーケティングの変化をもたらした背景として、(1)テクノロジーの進化がもたらした社会全体のデジタル化(2)社会の持続可能性に対する人々の脅威と関心の増大、の2点を挙げることができます。
こうした変化は、顧客経験にも当てはめることができます。1998年、パインとギルモアがHarvard Business Review誌で「経験経済」の概念を提唱し(Pine & Gilmore, 1998)、その翌年にはシュミットがJournal of Marketing Managementという専門の学術誌で「経験価値マーケティング」のフレームワークを示しました(Schmitt, 1999)。それから四半世紀もの時間が経過しましたが、この経験という視点は、依然としてマーケティングにおいて重要な位置を占めています。
Internet of Things (IoT)、 拡張現実(Augmented Reality:AR)、仮想現実(Virtual Reality:VR)、複合現実(Mixed Reality:MR)、 バーチャル・アシスタント、チャットボット、ロボットなど、その多くが人工知能(Artificial Intelligence:AI)を搭載した今日のテクノロジーによって、顧客経験は劇的に変化しています(Hoyer et al., 2020)。

こうした技術的進化によって、顧客経験はどのような影響を受けるでしょうか。また、それは社会の持続可能性とどのように関係するでしょうか。その影響はマーケティングの主体(企業、個人、非営利組織など)によって異なるでしょうか。このような視点での研究を進め、新しい時代のマーケティングへ示唆を提示していくことが求められています。
広がる顧客経験の捉え方
顧客経験の捉え方も時代とともに洗練され、変化しています。現在では、顧客経験を「(人々が)他者とどのように関わり合い、世の中の対象物をどのように知覚し、この世界をどのように経験するのかに関わるプロセスである(Hoyer et al., 2020)」といったように、広く捉える傾向にあります。
そのような顧客経験の中で消費者は、特定のブランドと強く結びついた色、形、ロゴ、スローガン、音楽、香りといった感覚要素の他、パッケージ、広告、ウェブサイトなどのマーケティング・コミュニケーション、店舗、Eコマース、仮想空間といった環境など、ブランドに関わる様々な刺激に接触します。これらの刺激によって消費者の内部に生じる主観的な反応(感覚知覚、認知、感情、行動)は、顧客経験の中でも「ブランド経験」と呼んで区別されています(Brakus et al., 2009)。
顧客経験の捉え方が広がりを持つ一方で、それぞれのブランド関連刺激が消費者のブランド経験におよぼす影響を科学的に解明するために、緻密な研究を進めていくことも必要であり、重要です。