AI時代、マーケターに求められる「ブラックボックスを信じる覚悟」
菅原:僕も横山さんも直近6月、たまたま同じMarkeZineで記事が掲載されて、それがなんとなく近しいテーマで、どちらの記事もよく見られて。不思議な巡り合わせも感じて、この機会に横山さんとじっくり話してみたいなと、お声がけさせていただきました。
横山:偶然とはいえ、二人とも同じタイミングで「AI時代のマーケティング」について記事を出して、みなさんに関心を持ってもらったのはうれしいことですよね。僕は最近、「自分が理解したい」という考えが強いマーケターは、AIとうまく付き合えないんじゃないかと思っていて。

▽今回の対談のきっかけとなった記事
AI時代のマーケティングを想像するーー人によるデータマーケティングの終焉と、巻き起こる新たな戦い
「労働力としてのマーケターはもういらない。」すがけんさんに聞く、生成AI時代にマーケターが生き残る術
菅原:理解したい、操作したいと思うようではダメですよね。自分の力でやることに固執してしまっては。
横山:そう。そもそもAIって、人間が完全に理解できるものじゃない。もっとブラックボックス的なものなんですよ。それこそ先日MarkeZineの記事で「MMM(マーケティング・ミックス・モデリング)はもうやめよう」と書いたんですが、MMMって結局、人間が理解できる範囲で分析するフレームワークですから。実は、一生懸命やったところで再現性はあまりないんじゃないでしょうか。人間はAIほど、マーケティングを科学できていないと思うんですよね。
菅原:AIに「最終的にこういうものが欲しい」とアウトプットを伝えるのは大事ですが、プロセスを人間が指定しすぎるのはよくないですよね。ブラックボックスを信用して、任せることが大事だと僕も感じます。
“昭和の方程式”はもう通用しない──超フラグメント時代の到来
菅原:僕は先日のMarkeZineの記事で「失われた30年」の話題を出しましたが、横山さんと今話していて、「昭和のマーケティングってすごくシンプルだったのかも」と感じました。メディアはテレビ一強でしたし。
横山:あのころは、大量生産、大量の広告投下、大量消費の時代でしたね。ニーズやウォンツもわかりやすく、消費者思考も単一的で、いわゆる「マーケティングの方程式」に当てはめやすかったと思います。

1982年青山学院大学文学部英米文学学科卒。同年株式会社旭通信社(現ADK)入社。1996年インターネット広告のメディアレップ、デジタルアドバタイジングコンソーシアム株式会社を起案設立。同社代表取締役副社長に就任。2001年同社を上場。インターネットの黎明期からネット広告の普及、理論化、体系化に取り組む。2008年株式会社ADKインタラクティブを設立。同社代表取締役社長に就任。2010年9月デジタルコンサルティングパートナーズを主宰。企業のマーケティングメディアをPOEに再整理するトリプルメディアの考え方を日本に紹介。2011年7月株式会社デジタルインテリジェンス代表取締役に就任。2022年7月よりトレンダーズ株式会社社外取締役。主な著書に『トリプルメディアマーケティング』(インプレス)、『CMを科学する』(宣伝会議)、共著に『広告ビジネス次の10年』(翔泳社)、『顧客起点のマーケティングDX』(宣伝会議)などがある。
菅原:今でこそ「量産型」という言葉がありますが、ひと昔前はもはや全員が量産型だったと言えるかもしれません。現代は趣味も好きな芸能人も多様化し、超フラグメンテッド(細分化された)な時代に突入していると言えるでしょう。
横山:ですね。テレビ一強だった時代も終わって、もはやデジタルが「主」、テレビが「従」のバランスに変わってきています。それを強く実感するのが、古巣であるDACでの新人研修。テレビ・新聞・ラジオなどマス広告の基本を教えているのですが、昨今の若手はテレビの番組名を見てもピンと来ていないんですよね。どういう番組が、どんな出演者で、どんな人向けにやっているのかわからないままにプランニングしている。このあいだは、参加者20人くらいのうち、ほとんどがテレビを見ない、持っていない状況でした。
菅原:当事者がその状況なのですから、テレビファーストで考えるこれまでのマーケティング方程式が機能しなくなるのも当然ですね。
横山:昔は全員がテレビを見ていることを前提として、テレビCMを起点にした「ワンボイス・ワンメッセージ」が重視されていましたが、もはやそれも違和感があるでしょう。脱テレビ一強を目指すなら、そもそもテレビCM案作成から入る構造を辞めなくてはなりません。