事業部長になるも1ヵ月で降格。逆境をどう乗り越えたのか?
野崎:スタートはやや出遅れたものの、やはりどこでも結果を残せることが証明されています。しかし、なんと事業部長就任の直後に降格と聞いています。まさに試練の時期ですね。
大江:はい、事業部長就任の1ヵ月後に、その役職を降りることになったのです。様々な要因があったと思いますが、最も大きかったのはあるプロジェクトで失敗してクライアントにご迷惑をおかけしてしまったことです。事業部長として30人を束ねていたのが、一転して2人チームに。会社の経営危機も同時期に起こりました。正直、苦しかったですね。

野崎:その状況で、どのように気持ちを立て直したのですか?
大江:当時の日記を振り返ると、「作ってきたものが、自分の手からこぼれていった」と書いていましたね。同時に、「価値を創り、届けられるようになりたい」「仲間とうまい酒をもう1回飲みたい」とも。「ここで辞めたらNateeに来た意味は何だったのだろう」と自問し、逃げずにやり切ると決め自らを奮い立たせました。
野崎:まさに、キャリアのピンチを「モチベーションの源泉」に変えた瞬間ですね。日々、キャリア設計を支援する中で、“失敗の後にどう動くか”が未来のキャリアを決定づけると感じています。参考までに日記を書いて内省する習慣は、ずっと続けているのですか?
大江:はい、毎日続けています。「ルーティンオタク」でして(笑)。 朝に日記を書くことを、「チェックイン」と呼んでいるのですが、その日の体調やメンタルの状態、キャパシティを点数化して、なぜその状態なのかを記録しています。また、アファメーション(自分の理想やポジティブな未来、目標達成した状態を思い描き、言語化して繰り返し宣言すること)をして、認識を強めています。
野崎:自己理解の精度を高める人ほど、キャリアが成功しているのは間違いない気がしてきました。
「大江さんが作った事業だ」前代表・小島さんからの言葉
野崎:さて、その後の話ですが、降格したその状態から、どのように立て直していったのでしょうか?
大江:営業と自社のケイパビリティ強化に徹底的に取り組みました。具体的には、有志4人で「EIRI(“鋭利”という意味を込めてこのチーム名にしました)」というチームを作り、朝から晩まで働き続ける日々を3ヵ月ほど続けたのです。その結果、現在取引している顧客のうち、約半分を自分たちで新規開拓できました。
「EIRI」が成功事例となり、これまで存在しなかったポジションや分業体制が生まれ、事業全体が大きく成長していったのです。結果的に、私は再び事業部長のポジションに戻れました。
野崎:圧倒的なコミットで脅威の逆転キャリアを形成されたのですね。事業部長に復帰され、代表就任に至るまでの流れを教えてください。
大江:事業部長に戻って約1年で執行役員に昇進しました。その後、ある大手企業との代理店契約の最終面談で、前代表の小島とともにプレゼンを行ったのです。その面談の場で、小島は「このプレゼンの内容は、Nateeの従来の事業とはまったく違う。これこそが今の事業であり、その価値を作ってきたのが大江なんだ」と言ってくれました。あの瞬間、すべてが報われました。
野崎:退職して逃げるように辞めるのは簡単ですが、踏みとどまり成果を残せば、中途入社でも代表にまで上り詰められることを証明されていますね。
大江:まさにそう思います。失敗は起きます。でも、立ち上がるたびに景色は変わります。挑戦と更新の積み重ねが、自分というブランドを作っていくんです。また、Nateeでは、念願だった自ら事業を作る経験が体現できています。
野崎:リクルートでの成功を手放し、Nateeで降格・再起・代表就任を経験した大江さん。その素晴らしいキャリアは「挑戦を繰り返しながら、失敗から逃げずにやり切ること」で成長の糧に変えて形成されていました。仕事に失敗は付き物です。ベンチャー企業に限らず多くの人にとって、困難に直面した際のヒントになるでしょう。
