緻密に積み上げた99%を、残りの1%の非合理で飛躍させる面白さ
藤平:お言葉を借りると、非論理的モチベーションながら、そして言わば「自社リスクのビジネス」ながら、根っこには「みんなのため」という矢印がある。虎ノ門広告祭は広告的なビジネスモデルではありませんが、広告そのものの思考や技術とは通じるところがあるように思います。
菅野:そうなのかもしれないです。広告しかりクリエイティブというものは、非論理的で説明のできない決定的な何かをエグゼキューションにぶち込むことが求められる側面があるじゃないですか。広告というのは、基本的には実に論理的な営みで、99%は論理的に構築されています。けれど、1%の説明がつかない何かにすべて持っていかれることがある。その1%を味方にするという行為が、社会的なビジネスや経済にクリエイティブを持ち込むということだと思っています。
虎ノ門広告祭も普通に考えると、いまの時代にあえて広告祭を立ち上げるなんて、ビジネスリスクがあって、かなり攻めているし、正直いうと、残念ながら利益が出たわけではなく興行としても結果オーライですらないのですが、この営みを続けていったら、みんながお互いエンカレッジされて、産業自体が少しずつ元気になっていくかもしれない……。その約束されない可能性に懸けているという意味では、広告的だし、クリエイティブ的な信じ方ではありますね。単純に僕という人間が感覚的で、論理性的な思考の成分が薄いだけ、という説もありますが。
藤平:1%の非合理性というワードから、話を広げてみたいのですが。いくつかある自分なりの成功体験を振り返ると、それは1%に懸けてみようとリスクを取ってくれた人がいたから生まれたものが多いです。それは演出を担う監督かもしれませんし、決断をしたクライアントかもしれません。
ただ、(広告という)産業性か株式会社ゆえか、はたまた時代の影響か、1%に懸けてホームランを打ちにいくことがだんだん難しくなっているようにも感じています。ホームランを打つ努力を怠ってしまう、そもそもホームランは求められていないと言われてしまう、計測可能で網羅的なKPIが前提になってしまう、など。

菅野:クライアントからブレイブな決断を引き出すのは、本当に難しいですよね。でも、そんなの当然だと思うんですよ。広告もビジネスも、どれだけ緻密に理論を重ねても、こける時はこけますから。だからこそ、慎重になるし、クライアントばかりリスクを背負って、提案している側は安全圏にいながら「絶対おもしろいのにー」と文句言っているのは不合理ですよね(笑)。提案している側にも、せめて自分のキャリアを背負う覚悟がないと。
「これが滑ったら自分のキャリアが飛ぶ。そのくらいの気持ちで向かってくれる人としかそういう仕事はできない」ということは当然あるんじゃないかな、と。
藤平:そう思います。非合理的なものを求めて、人を動かすことは、まだしばらくは広告やクリエイティブに携わるリーダーが背負うべきことの1つなのだろうと。
安全圏から理想論を語るだけだと、僕ないし広告会社の役割は空虚になってしまう気がしており、身が引き締まります。そして、それはこの連載のテーマである「広告産業のパーパス」にもつながってくるところだと思います。
シリコンにできなくて、タンパク質にしかできないことってある?
菅野:それにしても、難しいテーマを立てられましたよね。「広告産業のパーパスを考える」というテーマに対して、僕は答えを持ち合わせていないので、この対談を受けてよかったのかよくわからないのですが(笑)。ここまでやってきて、何かしら結論は見えてきているんですか?
藤平:各回が地続きというよりは、割と各論的に続けてきたので、最後どのようにまとめようかなと、まだ考え中です。ただ、この1年で広告業界でもAIのプレゼンスが加速度的に大きくなっているので、改めて普遍的な要素と時代性が高い要素は分けて振り返りたいなと思っています。
菅野:関連する話で言うと、最近どの集まりに行ってもAIの話になるじゃないですか。そこでは、だいたい最終的に「人間にしかできないことは何か」という話になりませんか? その議論は「人間にしかできないことがあってほしい」という危機感や願望の裏返しであって、結論ありき、もしくは結論が折り曲げられていることが多いように感じています。
藤平:そうですね。AIに関する議論は「AI vs 人間」というフェーズが終わり、「人間 with AI」になっている印象を受けますが、そもそも「人間」ありきでいいのかなと、先日とあるカンファレンスを聞いた際にも感じました。そこでは「自然知能(Nature Intelligence)」というキーワードが出ていて、もはや二元論を超えていたんです。
菅野:Ray Kurzweilは「人間の脳は物理的プロセスの集合であり、魔法的な要素はない」という趣旨のことを度々言っていますが、僕も大きくは、人間の知性は“タンパク質ベース”の計算であり、AIは“シリコンベース”の計算にすぎなく、原理的な違いはないという考えに賛同なので、将来にはAIにできなくて人間にしかできないことがあるとは、あまり思えないんですよ。もちろん、場が凍ってしまうので、こんなことその場では言いませんが(笑)。でも、みんなうっすら気づき始めている気がするんですよね。
藤平:ここで「シリコンとタンパク質」と置き換えるのが、勝手ながらも菅野さんらしく感じ、憧れと畏敬の念を抱きます。博報堂DYグループでも「Human-Centered AI」という言葉を掲げていますが、もしこれがある意味では耳障りがよく、自己肯定的なワードだとするなら、さらにその先を考えねば、とも思いました。
菅野:とはいえ、人間は、身体を持っている、そしてそれは必ず衰える、記憶は忘却してしまう、もしくは歪んで変容させる、というAIに比べると一見欠点と思えるような機能を持っていて、それが抽象化とか再編集という人間独自の創造性と結びつくと思っています。星が並ぶ夜空をみて、星座を見出すような感じで。そこがクリエイティブにとって重要な物語と関係すると思っているので、人間について悲観ばかりしているわけでないのですが。楽観というには、ちょっと暗いですね(笑)。
