DXの流れと地続きにある「AI」という大きなうねり
佐藤:本日の鼎談のテーマである「AI×マーケティング」は、非常に範囲が広い領域です。今回は、特にお客様とのコミュニケーションの中でどのようにAIを使っていくのか、そしてお客様と適切な距離で良い関係を築くにはどうすればいいのか、という点にフォーカスしていければと思います。まずは皆さんの自己紹介からお願いします。
橋口:阪急交通社は1948年創業の旅行会社で、私自身も長く海外旅行商品の企画に携わってきました。そして2023年、DX戦略事業本部に立ち上げ段階より加わりました。「どうすればお客様に旅行に参加してもらえるか」という課題に対し、デジタルの力で取り組んでいます。
押久保:IT・ビジネス系の出版社である翔泳社で、メディア編集部門の統括をしています。また2025年9月にAI専門メディア「AIdiver」を立ち上げ、創刊編集長として現場のマネジメントも行っています。
佐藤:今回進行を務める、SVSSの佐藤です。当社は認知心理学とAIを掛け合わせ、「人の心、人と人との関係性」における距離感を調整する対話AIエージェント運用サービスを展開しています。
早速ですが、押久保さんはメディアの立場から、この20年ほどのデジタル・DX・AIの変遷をどうご覧になっていますか。
押久保:私自身、2006年のMarkeZineの立ち上げに関わり、約20年マーケティング領域のトレンドを見てきました。インターネット広告市場で言うと、立ち上げ当時は3,000億円ほどだった市場規模は、2025年に4兆円を超えました(出典:2025年 日本の広告費)。
その中で、AIの話もITやDXの潮流と地続きだと感じています。インパクトこそ非常に大きいAIですが、元々ITでやろうとしていた「効率化や生産性の向上」の延長線上にあります。その中で最も重要なのはやはり、データです。「データは現代の石油である」という言葉が数年前から語られるようになりましたが、データがなければAIは役に立ちません。
AIブーム自体は過去に何度か起こっており、長い研究の歴史があります。しかし昨今、ディープラーニング、そしてChatGPTが登場して一気に期待を超えてきた。伏線としてずっと張られていたものが、ようやく実用レベルで花開いた感覚ですね。
シニア層まで浸透したデジタル。現場が感じる「変化」のリアル
佐藤:AIとDXが地続きであるという観点は納得感があります。次に橋口さんにおうかがいしたいのですが、旅行パッケージをユーザーにお届けする販路という意味で、これからのコミュニケーションにおけるAIの役割は大きく変わってくると思います。こういった変化を、現場目線ではどのように感じていらっしゃいますか。
橋口:当社は元々、店舗のカウンターで接客するのではなく、新聞などのマス広告を活用し、電話で申し込みいただくビジネスモデルが軸でした。そこから徐々に会員との関係構築を行うモデルへと変化してきました。
2000年にはECサイトを立ち上げ、2006年の段階では全顧客の15%ほどがWebサイトから申し込みいただく状態になりました。ただ、これは新聞をご覧になって「電話をかけるのが面倒だからネット経由で申し込む」という方を含めた数字です。当時はまだ、インターネットで物を買うこと自体が生活者に不安視される時代でしたから。
押久保:2006年というと、ちょうどmixiなどが流行っていた頃ですね。
橋口:その頃はECサイトが存在しているものの、仕組みも十分ではありませんでした。しかし現在は、Webからの申し込みが全体の60%を超えています。
佐藤:主戦場が完全にWebへ移ったということですね。
橋口:はい。認知や検討のきっかけとなるマス広告は続けていますが、申し込み手段は完全にデジタルへ変わりました。当社の顧客は60歳以上のシニア層が多いのですが、それでも6割以上の方がデジタルを使っているのです。この20年で生活者のデジタルリテラシーが劇的に上がったと実感します。
AI活用の面では、よりECサイトを使いやすくしたいと考え、以前もシナリオ型のチャットボットを導入検討したことがありました。しかし当時はシナリオ作成が大変な上に、状況によっては適切な回答が返ってこない課題があり、一度断念した経緯があります。現在は、AIによって今までできなかったことが実現できるようになり、非常に大きな期待感を持っています。
たとえば、去年からはメールマガジンの配信リストをAIで作成し、顧客の嗜好性を読み取って配信する取り組みを始めています。また、DX戦略部門として社内向けのAIツールも作り、文章要約やデータ整理などに活用しています。
興味がない人にも使ってもらうには?AI活用を社内浸透させるカギ
佐藤:AI活用の現実感について、押久保さんにおうかがいします。組織の中でAIを浸透させていくためには、どこから着手すべきでしょうか。
押久保:AIdiverの読者は、企業内でAI活用を推進するリーダー層が多いのですが、トップダウンで「とにかく使え」と進めるところもあれば、ボトムアップで自然発生的に使い始める場合もあります。ただ、業種ごとに「AIのスイートスポット」があるように感じますね。金融ならこの領域、製造業ならこの領域……といったグラデーションがあります。
佐藤:阪急交通社さんでは、AIの導入への社員の皆さんの反応はいかがですか。
橋口:どうしてもリテラシーには個人差が生まれてしまうため、社内で浸透させるために「普段使っていない人がいかに使いやすいか」を最優先に考えました。用途を、調べ物や企画書の整理、議事録の要約などに絞り、フロント側で最低限の項目を入れたりファイルを添付したりするだけで結果が出るよう作り込んだのです。
そうして「これは便利だから使ってみてください」と地道に働きかけ、徐々に浸透しています。興味のある人は自ら使いこなせますが、そうでない人にも「これなら自分にもできる」という体験をしてもらうことが大事だと思います。
佐藤:新しい技術が出てきたとき、信頼しきれない、あるいは拒否感が出る話はよくありますよね。たとえばExcelが出たときに「関数の結果を、自ら電卓を叩いて検算する人がいる」と言われたのを思い出します。
橋口:昔は予約や入金管理も紙の台帳でやっていましたからね。便利なものは使うべきですし、社員が良さを実感した瞬間に社内でも一気に広がります。
煩雑な「How」から解放され、「Who/What」に向き合う時代へ
佐藤:AIをいかに社内に浸透させるかという課題は、マーケティングの本質にもつながる気がします。お客様一人ひとりとのコミュニケーションを大切にしたいけれど、これまでは「手段(How)」の煩雑さにリソースを奪われてきた。現在は、AIでやれることが格段に増えています。押久保さんはこの点についてどうお考えですか。
押久保:技術を使うことが目的になってしまう、いわゆる「手段の目的化」は、デジタルマーケティングでも大きな課題でした。マーケティングツールはカオスマップが必要なほど溢れかえっていますが、本来マーケティングは「誰に(Who)」「何を(What)」届けるかが最も重要なはずです。
先日、当社から『顧客起点マーケティング』などを出版されている西口一希さんに、「AIによってHowが代替されるようになり、結果としてマーケターはWho/Whatというシンプルな部分に向き合えるようになる」という話を聞きました。AIが複雑な手段をシンプルにまとめてくれることで、マーケターが本来やるべきことである「利益を出すためのアクション」に立ち返るフェーズに入るのではないかと思います。
佐藤:これまでは「How」が複雑すぎたがゆえに、マーケターもそれを覚えることに必死になってしまい、手段と目的が逆転していたわけですね。
AIを活用した1 to 1のメルマガ運用で、ツアー予約数を倍以上に改善
佐藤:橋口さんは、理想の顧客体験を実現するために、現在のAI技術をどう活用されていますか。
橋口:これまでは不特定多数にメッセージを出し反応を見るマスマーケティングでしたが、理想はやはり、お客様一人ひとりのニーズに即した1 to 1の提案です。
当社で進んでいる取り組みの一つがメールマガジンです。以前は一度に200万通ほど配信していましたが、セグメントせずに全員に送っていました。結果、開封率は10%以下になり、ユーザーからすれば「いらないメールが毎日来る」状態です。
そこで、アクティブコア社の提供する「marutto1to1(マルットワン)」を導入。AIでお客様の状況を解析し、嗜好性に合わせてセグメント配信したところ、配信数を減らす中でツアー予約数は倍以上という成果を実現できました。さらに、この成果を営業現場にフィードバックすることで、社内が「この商品を本当に求めているお客様に届けよう」という考え方に変わりつつあります。
佐藤:コミュニケーションのメッシュが細かくなり、お客様ごとの気持ちを想像しやすくなったのですね。AIがマーケティングやセールス領域まで担うようになると、その境界線が溶けていくと感じます。
橋口:今はマーケティングの前段の分析でAIを使っていますが、そこから一歩踏み込み、セールスのアプローチにも使えると考えています。たとえば、法人や団体のやり取りにおいてAIが過去のメール・電話の内容を解析し、適切なタイミングで「この方には今こういう提案をすべきです」とセグメントしてくれる。そういった、雑多な情報を整理し適切なメッセージを出す部分でも、将来的にセールスへつながる活用を始めています。
佐藤:実際、お客様側の気持ちとしては、AIの提案と分かると冷めてしまうのでしょうか。その距離感は難しいですよね。
押久保:コンテキスト(文脈)によりますね。ある大手飲料メーカーのマーケターが、「自分自身で1億人の顧客に会って売り歩きたいけれど、それは不可能だから広告やSNSを使っている」とおっしゃっていました。もしAIエージェントにその人の情熱を持たせることができれば、メルマガという形式を超えて、商品の魅力を熱く、かつ適切に語れるようになり、ファンはそれを買うのではないでしょうか。
また、将来はユーザー側もAIエージェントを使いこなす時代になるでしょう。「AI to AI」のコミュニケーションが広がれば、さらに興味深い展開になりそうです。
AI時代、人の役割として残るのは「熱量」と「責任」
佐藤:マーケターが本来情熱を注ぐべき「What/Who」に注力するために、AIでこれまでの作業がどれだけ効率化されたか、橋口さんの実感はいかがですか。
橋口:今取り組んでいるメールマガジンの設定作業などは、以前の10分の1ほどの労力で済んでいます。これまでは細かい配信設定に膨大な時間を取られていました。それが今ではAIの分析を元に、ようやく本来やりたかった「お客様に向き合うこと」に時間を使えるようになりました。
当社は旅行という「リアルな体験」を売っている会社です。ですから、商品を無機質に提供することはあり得ません。集客の直前までは徹底的に自動化し、ユーザーのニーズを正確に捉える。しかし、最終的にお客様にご提案する部分には、我々社員の思いを込める。そこに人間の存在価値があると思っています。

佐藤:一つのツアーを作るのに、どれくらいの方が関わっているのですか。
橋口:基本的には、一つのパッケージ商品は企画担当者1人か2人で担当します。アイデア出しからプランニング、仕入れ交渉、さらには新聞広告のコピーや原稿作成まで、すべて担当者が一貫して行います。
佐藤:それは驚きです。将来的に企画担当業務は、AIに任せるべきだと思いますか?
橋口:いえ、そこは変えてはいけない部分だと思います。活用できるところはAIに任せますが、最後の意思決定は担当者が行わないと、良さが損なわれてしまう。顧客体験に対して責任を持つ部分は、絶対に人間の役割として残すべきです。それが競争力の源泉となります。
佐藤:仕事の最後に残るものが「顧客体験への責任」であるというのは、非常に印象深いメッセージです。阪急交通社さんの企画担当者は、熱を持って商品を組成し、責任を持って届けているわけですね。
橋口:実際に担当者が添乗まで行い、お客様の喜びを目の当たりにする体験があるからこそ、次により良い商品を作れるのです。アンケートのテキストをAIで分析するだけでは、自分ごと化できません。
押久保:AIそのものは、放っておくと「均質化」されてしまいます。だからこそAI時代には、逆に人間ならではの「個性」が強く求められると思いますね。
佐藤:AIと関わっていると、「誰かに決めてほしい」という生活者ニーズを強く感じます。旅行でも、自分で全部決めるのは責任が重いから、プロにおもしろい企画を提案してほしい。つまり「おもしろさの責任」を預けているわけですね。その「気持ちを乗せる」部分が、成約率に大きく関わるのではないでしょうか。
押久保:情報発信も同じで「何を言うか」より「誰が言うか」ですね。情報が溢れているからこそ、「これがイチオシです」というプッシュが必要で、それは人間の本質的な欲求だと思います。
「悪い売上」から「良い売上」への脱却。AIとCRMで実現する、顧客を主語にした経営転換
佐藤:阪急交通社さんでは、これまではマスでリーチして電話で刈り取っていた。それが今はWeb経由が6割になったとお話がありました。AI活用とCRM戦略でリピーターを増やし、新規獲得コストを変えていくといった投資戦略の転換を、経営テーマとしてチャレンジされているのでしょうか?
橋口:おっしゃる通りです。既にファンでいてくださるお客様に対して、一律に新聞や会員誌を送り続けるのは最適ではありません。初回参加の方、20回以上のリピーターの方、それぞれの状況やニーズに沿った最適なアプローチが必要です。AIを使ってメールやLINEといった各チャネルの「接触の濃度」を可視化し、コンテンツを出し分けてLTVを最大化していくことが、今後の大きな課題です。
最終的には、お客様がECサイトに来た瞬間に、その個人にパーソナライズされたページが生成されている状態を目指したいです。顧客情報の整理のためCDPの構築も始めており、ようやくマーケティングに活かせるレベルに来ました。
押久保:これからはAIによって「Who」と「What」の距離が近づいてくる、すなわち広告運用といった「How」の部分に投下していたコストを、商品を磨くことや人材を育てることに使うようなアロケーションが進むのではないでしょうか。企業として「どこの価値を最大化させるか」がより厳しく問われるでしょう。
共通のテーマはやはり「顧客を主語にすること」ですよね。お客様至上主義を掲げることは簡単ですが、本当に顧客が求めていることをデータで知ろうとしているか。そこがより重要になってくると思います。そして顧客を主語に置くことは、一過性の「悪い売上」から脱却し、長期的な利益に直結する「良い売上」を生むロイヤル顧客を増やすことにつながります。

「人間味」が試される時代へ
佐藤:最後に、これからのマーケターの役割について一言ずついただけますか。
橋口:AI活用は課題解決の強力な手段ですが、どの領域で活用するかは各社のポリシーや状況によります。泥臭いところ、捨ててはいけないところなど、人の役割との境目を見極めつつ、効率化を進めることが大切です。当社もAIを武器に、より良いビジネスを目指していきたいです。
押久保:AIによって手段が自動化されることで「人が何をすべきか」という問いがシンプルになります。私は、AIは鏡のようなものだと感じていて、自分自身の問いの質も試されている感覚があります。能力を拡張する武器としてテクノロジーが発達するからこそ「人間味」が問われる、そんな時代を楽しんでいきたいですね。
佐藤:私自身AIに日々向き合う中で、テクノロジーが進化するほど、逆に人間味や生々しさがカギになると感じます。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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インタビュー動画:
「手法」から「顧客」へ AI×CRMで挑む、経営の原点回帰

