広告と広報の混在化
じつはペイパーポストの問題については2007年頃から指摘されてました。米国ではブログメディア『TechCrunch』で度々取り上げられ、日本でもぼくがWOM勉強会という勉強会を主催して、いかに害があるものかを訴えてきました。
その問題点は『TechCrunch』のMichael Arringtonが語る、
われわれの「金目当てで書かせるためのサービス」問題に関する態度は明白だ。これはブロゴスフィアのサイズと影響力の増大にともなって必然的に起きる現象ではあるが、ブログのエコシステム全体の信頼性を傷つけるものであり、読者を欺く行為である。
がすべてを言い尽くしています。ぼくのスタンスもまったく同じです。いまから2年前になりますが、セミナーでも話しています。
当時から2年経ち、ぼくらの周りにはますますネットが普及しています。
人々が繋がり、情報がアーカイブされ、一つひとつのコンテンツが時間や場所を簡単に越えて広がる世界では、企業のマーケティングのカタチも変わってきています。
たとえば、ぼくはここ数年のインターネットの一般化と日常化によって、企業の「広告」と「広報」の区分が難しくなってきていると感じています。さきほどの「記事広告と同じじゃない」という点もそうですが、広告でも広報でもない、微妙な位置づけの関係性(情報伝達チャネル)が生まれてきていて、そういう意味では、ペイパーポストは「ネット時代の不幸な産物」と言えなくもありません。
掲載内容がコントロールできないという点では、明らかにペイパーポストは「広報」寄りの位置づけのサービスなのですが、掲載本数を保証し、それを商品(サービス)として販売しているのは「広告」代理店です。実際、サイバー・バズ社の事業内容も「広告代理事業/クチコミメディア事業」となっています。
このあたりにも混乱の原因が潜んでいます。広報的なサービスを広告的に味付けをして、広告代理店が販売する、またそれにお金を払っている企業も、広報部ではなくて宣伝部が契約していて、こうした土地勘のなさが不幸な産物であるペイパーポストを、より不幸にしているのかもしれません。
ペイパーポストだけが悪なのか
では、ペイパーポストだけが悪なのか。ぼくはそうではないと思っています。ペイパーポストの問題の本質は「消費者を欺くこと」であり、報酬が金銭であろうがなかろうが関係ありません。
また、多くのケースではペイパーポストだけが単独で行なわれてなくて、ブロガーイベントやサンプル貸与(モニター)や物品提供(プレゼント)などが組み合わせて実施されるので、ペイパーポストだけをやり玉に挙げるのは違うと思っています。
ここできちんと本質論をしておかないと「掲載料はダメだけど、交通費の名目ならオッケー」とか「現金はダメだけど、物品提供はオッケー」とか、上っ面のチェックシートで是非を判断する人が増えてしまうので危険です。
ところで、個人的にはまったく賛同できないのですが、ペイパーポストは悪ではないという意見もあります。
一部のブロガーは「きっかけがペイパーポストであれ、良質な記事(コンテンツ)が生まれることもある」のでペイパーポストには価値があり、(Googleは悪と言ってるけど)悪ではないと主張しています。たしかにそれは確率論的にはあり得ることだし、Googleのガイドラインがすべてではないので、独自判断をすることはいいことです。
だけど同時にその何百倍、何万倍ものゴミが生み出されていることも事実で、「なんか書いたら500円もらえるみたい」という軽薄な人が多数登録している、いまのペイパーポストの現状を考えると、良記事が量産されることは期待できません。それに、ただのきっかけに過ぎないのであれば、わざわざペイパーポストのようなリスクの高い手段を採る必要もないわけですよね。
この意見に限らず、よくある「提灯記事にダマされるほうが悪い」という意見にしてもそうなのだけど、この手の書き手や読み手に高いリテラシーを要求するのは良くないことです。10年前ならともかく、いまのネットには世界中の「普通の」人たちが参加しているので、ネットのベテランユーザーが自分たちの基準でルール作り、ガイドライン作りをするのは避けるべきです。