その都度の気づきを蓄積して、FlutterScapeのサービスを発案
――FlutterScapeは、パッと見では、日本人が運営しているサービスとは思えません。起業までの経緯を教えていただけますか?
「積極的に海外とのつながりを持ったのは、高校時代です。僕は生まれは日本で、1年間は日本の高校に通ったのですが、つまらないなーと思って、英語を勉強するためカナダに留学しました。高校を卒業して、日本に帰国しました。カナダの大学進学率は15%くらいで、みんな卒業したら世界に旅に出るんです。僕もその流れに乗っていたら、ビザが切れてしまって(笑)。
とはいえ、カナダが恋しくて、逆ホームシックのような日々を送っていたところ、母親が仕事を持ってきてくれました。大手精密機械メーカーでの英文事務の仕事をしながら、その傍ら、週末起業で日本の中古車を海外に輸出していました。そこで、『日本のモノって海外に売れるんだ』という気づきがありましたね。しばらくして、英文事務をしていた会社で、200億円くらいの案件が決まります。その際、僕も英語力で貢献したので、『お給料上がるかな』なんて期待したんですが、まったく何もなくて。『大学出てないからかな』と解釈して、上智大学の比較文化学部(現・国際教養学部)に入学しました。
大学3年になると、外資系銀行で契約社員として働きました。忙しいし待遇もいいしで、大学と銀行をタクシーで往復する生活をしていました。内定もいただけたんですが、あるテレビ番組を見て、仕事に関する考えが大きく変わりました。マイクロファイナスのKIVAのドキュメンタリーです。本当に感動して、番組が50分くらいだったら、40分は泣きっぱなし。外資系銀行での仕事は、簡単にいうとお金持ちをさらにお金持ちにすること。KIVAのような仕事なら、ネットで世界をつないで、みんながハッピーになる。僕は後者だなと直感しました。
具体的にどうしようと思っていたら、友人がネットプライスさんの『学チャレ』を教えてくれました。LinkedInのアジア版のようなアイディアで応募したところ、佐藤輝英社長から、『このアイディアは儲からないからダメだが、インターンをやってみないか』と誘っていただけました。
あるとき、ウェブカンファレス『New Context Conference』で、佐藤社長とKIVA CEO マット氏が対談することになり、僕はプレゼン資料の作成を任されました。さらに、直接マット氏にお会いできることにもなったのですが、ちょうどボストン出張(ボストンキャリアフォーラム)と重なり、残念ながらかないませんでした。ただ、マット氏にお会いできなかった代わりなのか、ボストン出張に行ったことで、今のビジネスのアイディアを思いついたんです。
というのも、ボストンのスーパーマーケットに立ち寄った際、『地域によって、売れるものはこんなにも違うんだ』と驚いたんですね。たとえば北米の人は、非効率的だとかいって傘は絶対ささない。代わりにウインドブレーカーがすごく売れます。日本のビニール傘の存在が信じられない。逆に、日本人はそれほど気にとめないものを、外国人はすごく欲しがったりする。大学の友人に話してみたところ、彼らも日本に来る前は、すごく日本の製品に飢えていた。どうやらニーズはありそうだと。世界のものを日本へ、日本のものを世界へ、というビジネスがあるんじゃないかなと、考えるに至りました」(続きはキャリアジンでご覧ください)