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国家という“ブランド”を維持するために、テレビは必ずしも必要ではない/グーグルがテレビCMを行う理由

情報戦略の主軸はテレビからインターネットへ

 そして、1989年「ベルリンの壁崩壊」のときはテレビ・ラジオだったのに、2011年「ジャスミン革命」ではインターネットが原動力になった。そのことで、国として注意すべきで大事なメディアは、テレビからインターネットに移ったということを、世界中の国家が理解したはずだ。

 また、2013年におきた、アメリカ中央情報局(CIA)および国家安全保障局(NSA)の元職員エドワード・スノーデンの告発事件であきらかになったように、アメリカ政府がもっとも力を入れて情報収集し対策を検討しているのはインターネットであり、Microsoft、Google、Yahoo!、Facebookなども協力させられていた、とのことだ。

 つまり、いまの時代、国家の情報戦略の中心にインターネットがあり、その情報収集、情報伝達、情報統制の対象も主軸はインターネットになっている。昔はテレビ、いまはインターネットだ。たとえば、ケネディ大統領が選挙に勝ったのはテレビ対策を重視したからだといわれたが、オバマ大統領はテレビも使ったようだが、その選挙キャンペーン戦略の中心はインターネットになってしまった。

国家というブランドを維持するために、もはやテレビは必ずしも必要ではない

 ところで私は学生の頃に、吉本隆明の『共同幻想論』を読んだが、当時の学生にとっては、国家は共同幻想である、というのが常識で、そして、広告に興味のある学生は、企業イメージやブランドも共同幻想である、と論じたりしていた。『共同幻想論』の角川文庫版の序文に以下のような一文がある。

「国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である」

 国家というと、政府組織や官僚機構、あるいは、領土などを思い浮かべることが多いと思う。しかし、吉本隆明は、国家とは、そのような機関や機構、領土などのように、機能や物理的に実体があるものではなく、多くの人が共有しているイメージであり、人間が作り出した空想的なフィクションであるとする。このような考え方は、人間が作り出した他の組織にもあてはまる。たとえば、吉本隆明は次のようにも述べている。

「人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している」

 このような吉本隆明の思想から、企業という組織や企業イメージ、そしてブランドも共同幻想だ、と論じる人がいるのだ。ところで『共同幻想論』を読んだ人なら、吉本隆明が「対幻想」「自己幻想」という言葉を使っているのも知っているだろう。「対幻想」は、男女の関係など、1対1の関係で生じる幻想で、私の理解では、夫婦関係や兄弟・姉妹関係、親友関係などにあてはまる。「自己幻想」は、個人の空想や妄想で、夢の世界や私小説などがその表現形態だ。

 そして、国家は共同幻想を維持するために、放送法や電波法などでテレビをコントロールし、一部の事業者にだけ放送免許を与えてきた訳だ。マスメディア、とくに、テレビは、一方的かつ同時に不特定多数(大衆、マス)に向けて情報を送信するのに適していて、国家という共同幻想を維持するのに格好の道具だった。

 20世紀にはテレビが勃興し、日本全国隅々の家庭に普及していった。そのため、テレビによって簡単に日本中の情報を一気にコントロールできた(いまはインターネットがあるので、そう簡単にコントロールできないが)。当時のその状況は、日本政府にとって、国家という共同幻想を維持するためには、本当に都合のいいことだった。

 しかしながら、状況は大きく変化した。国としての情報戦略を変えなければならなくなった。「共同幻想である国家、国家というブランドを維持するのに、テレビは必ずしも必要ではない」という発言には、日本政府の情報戦略の変化が反映されていると思う。

 簡単にいえば、テレビからインターネットに重心が移ったということなんだが、それを吉本隆明にいわせれば、共同幻想から対幻想に移ったということだろう。あるいは、国家という共同幻想を維持するために、対幻想を利用するということかもしれない。

変化する企業と消費者の関係性

 広告業界的には、対幻想をエンゲージメント(engagement)と呼んでいると考えればいい。広告主企業の多くはすでにそのような対幻想、あるは、エンゲージメントの効果に気づいていて、SNSなどのコミュニケーションを通じて、対幻想的な関係性を消費者と結んでいることと思う。

 しかし、もちろん、まだまだ、とくに大企業の多くが、そのような対幻想的な消費者との関係構築ができていない。SNSをやっている社長は何人いるんだろか?安倍晋三氏ですらやっているのに。ソフトバンクの孫正義氏はやっているが、他には、数えるぐらいしかいないのが現実だろう。

 大量生産大量消費の時代に適していたマス的なコミュニケーションから脱却できていない大企業が多いのは残念だ。テレビを中心としたマス的な一方的コミュニケーションは、価値感や生活スタイルが多様化した多品種少量生産の時代には向いていない。

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テレビ中心のコミュニケーションから脱却できない企業は、消費者に嫌われる

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この記事の著者

有園 雄一(アリゾノ ユウイチ)

Regional Vice President, Microsoft Advertising Japan

早稲田大学政治経済学部卒。1995年、学部生時代に執筆した「貨幣の複数性」(卒業論文)が「現代思想」(青土社 1995年9月 貨幣とナショナリズム<特集>)で出版される。2004年、日本初のマス連動施策を考案。オーバーチュア株式会...

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

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MarkeZine(マーケジン)
2015/04/20 08:00 https://markezine.jp/article/detail/22344

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