「検索連動型広告」の可能性に賭けてGoogleへ
杓谷:ここからはGoogle Japanの黎明期からAdWordsのセールスに携わり、Facebookで執行役員を務められ、GoogleとFacebookの双方でシェリル・サンドバーグが統括する部署に所属していた黒田俊平さんにもお話を伺い、AdWords、Facebook広告の歴史を伺ってみたいと思います。黒田さんがインターネット広告の世界に入ったきっかけを教えてください。
黒田俊平(以下、黒田):私がインターネット広告の仕事を始めたのは2000年からです。新卒で東芝に入ったのですが、当時の東芝ではフレッシュアイというポータルサイトを運営しており、社内公募で手を上げてフレッシュアイに移ったのがきっかけです。Yahoo! JAPANが圧倒的に一番でしたが、goo、 Infoseek、Excite 、Lycosなどと同様にポータル戦争を戦っていました。
佐藤:当時は富士通にInfoNavigator、日立にはHole-in-Oneというように、メーカー各社が検索サービスを持っていた時代でした。
黒田:広告といってもトップページのバナー広告(予約型ディスプレイ広告)を販売していました。いわゆる枠売りですね。フレッシュアイには合計で3年半くらい在籍していました。Yahoo! JAPANと比べるとトラフィックも少なかったので、毎週枠を売るのも結構大変だったのですが、売上は大きくないまでも必ず固定客のつくメニューがありました。それが「サーチワード広告」でした。検索ワードを広告主に買ってもらって期間保証で売る広告商品だったのですが、それだけは継続的に売れていました。
全体の収益から見ると決して大きくはない割合でしたが、ここにひとつのブレークスルーがあるのではないかと感じていました。その流れの中で、海外ではGoTo.comが出てきて、日本ではOvertureが2002年にサービスを開始するわけですが、フレッシュアイとしてOvertureとの提携交渉を進めるなかで、この会社はおもしろいんじゃないかなと思い始めました。また同時に、Google というこれまでにない精度をもたらす検索エンジンがAdWordsという同様の検索連動型広告をアメリカで開始したことも知りました。
Overture、Google AdWordsはサーチワード広告とは似て非なる洗練された商品であり、確実にインターネット広告に新たな顧客をもたらすものだと確信しました。具体的に言うと、当時、彼らが始めた以下の3点に興奮させられたことを思い出します。
・Webサイトとクレジットカードがあれば、24時間いつでも誰でも購入可能
・予算に応じて規模の大小を問わず広告掲載ができる
・広告主が直接、掲載条件(広告原稿や経済的諸条件)をオンライン上で管理できる
今となっては”運用型広告”として当然のように思われているこの3点を可能にしたOvertureとGoogle AdWordsの先見性は、今でも色褪せることがないと個人的には思っています。一方で、フレッシュアイという検索サービスを提供している会社で仕事をしていた立場として、Googleの凄さ、検索結果の品質、スピード、信頼性の根源にとても興味がありました。ある論文解説記事で、Googleの真の強みは、あの検索サービスを提供可能にしているコンピューターインフラ、それをハイエンドサーバーで実現したわけではなく、通常のPCによって大規模並列処理を行うシステムを考えられないくらい安いコストで実現したところにあることを知りました。そのすさまじさに惚れてしまい、どうしてもGoogleでAdWords拡大の仕事をしたい気持ちが募ってきたのです。
そして佐藤さんとのご縁のおかげでGoogleに入社することができました。当時のGoogleの日本法人では社員ナンバーは20番台で、広告営業としては5人目でした。
後列右から3番目:Google共同創業者 サーゲイ・ブリン
後列右から5番目:Google共同創業者 ラリー・ペイジ
後列中央:佐藤 康夫さん(ラリー・ペイジから左に2人目)
中列左から2番目:黒田俊平さん
