インターネットに可能性を感じて広告代理店に
野崎:今回は自身の強みを活かしながらキャリアパスを歩み、PKSHA Technology(パークシャ テクノロジー)へ参画された佐藤洋介さんのキャリアをヒアリングしながら、参考になる点を探っていきたいと思います。
まず、定番の質問なのですが、どんな学生時代を過ごしていたのか教えてください。
佐藤:元々インターネットに可能性を感じていたこともあり、大学では情報系の学部で勉強をしていました。
今回のインタビュイー
株式会社PKSHA Technology アルゴリズムソリューション事業本部 佐藤洋介さん
新卒でネットエイジに入社。営業と事業開発に携わった後、Fringe81に入社。第三者配信/タグマネジメントシステム/プライベートDMPなどを事業開発責任者として立ち上げ、延べ200件以上のアトリビューション分析・改善に携わってきた。現在はPKSHA Technologyで主に事業開発を担当。
野崎:就職活動では、どのような軸を持って会社選びをされましたか。
佐藤:自分は次男気質があって、比較されたくない。比較されたら終わりだと思っていました(笑)。だから、頭のいい人が集まってヒエラルキーができている会社には馴染めないなと思って。そういう会社には入らないと決めてましたね。
そんな中で興味を持っていたのは広告領域の事業があるベンチャー企業でした。情報系の勉強をしていた背景を強みに、当時文系の学生に人気があった広告領域なら強みを活かしつつ、事業開発もできるんじゃないかと就職活動をしていました。その結果入社したのがちょうどネット広告代理事業を立ち上げて成長していたネットエイジでした。
野崎:学生時代から意思決定の考え方が変わっていたんですね(笑)。そんな想いを持って飛び込んだベンチャー企業ではどんなキャリアからスタートしたのでしょうか。
佐藤:フィーチャーフォン向けの広告代理店事業の営業ですね。各種ポータルサイトやポイントサイトの広告商品をテレアポして売っていました。
野崎:事業開発をしたくて入社したのにテレアポだと、ギャップはあったんじゃないですか。
佐藤:何でもやるつもりで入ったのでギャップはなかったです。ただテレアポは本当に苦手でした。頑張ってやってましたね(笑)。
激変期を乗り越えた2つのベース
野崎:その後ネットエイジは社名変更をし、フラクタリストを吸収合併するなど、社内環境が激変して大変な時期を経験されていますが、どのようなことを意識していたのですか。
佐藤:色々なことがありました。ただ、元々親が自営業でこれまでの事業をたたんで新たな事業を立ち上げるといったことをしているのを見てきました。そのため、「自分で稼ぐということ」「職はずっと続くとは限らないこと」を意識してました。その瞬間にやるべきことをやってたので、後悔はなかったです。
野崎:日々キャリア面談をしていて感じるんですが、サバイブ能力が高い人は実家が自営業というケースが多い印象です。当時は20代中盤だったと思いますが、テレアポ営業から仕事内容は変化していってますよね?
佐藤:広告営業を2年ほどした後、広告代理事業の中で効果測定ツールなどのサービス開発をしていました。