1 ソフトウェアサービスにおけるビジネスモデルの変化──保有から利用へ
カスタマーサクセスが日本で注目され始めたのは2017年頃と言われています。そもそも、なぜ最近になってこの考え方が重要視されるようになったのでしょうか。それはSaaS(Software as a Service)やサブスクリプションモデルの台頭が大きな要因です。
SaaS+サブスクリプションモデルの特徴
SaaSとは、ソフトウェアを必要な期間だけ、サービスとして利用できる提供形態のことです。
また、サブスクリプションモデルとは、サービスの利用期間に応じて支払いをするビジネスモデルのことです。一般的には「利用した分のみ支払いが発生するモデル」と解釈されます。最近ではその考え方が発展し「定額制使い放題」を指すことも多くなってきています。
SaaSとサブスクリプションモデルは非常に相性がよく、多くのSaaSはサブスクリプションモデルを採用しています。このようなビジネスは、サービス提供者とサービス利用者のお互いに次のようなメリットがあるという特徴があります。
◆サービス提供者
・収益が読みやすい
◆サービス利用者
・定期契約で、その期間は制限なく利用できる
・サービスは継続的に進化し、ユーザーはそのメリットを享受できる
従来のITサービスはSI(System Integration)型が一般的でした。利用者にとっては、「自分たちのほしいシステムを実装・納品してもらい、その製造対価を支払う」というスタイルです。このようなビジネスモデルはフロー型と呼ばれ、サービス提供側は継続した案件の受注がなければ収益が安定しないという問題がありました。
これに対してSaaS+サブスクリプションモデルはストック型と呼ばれ、利用者が一度そのサービスを気に入ると、継続して利用します。そのため、サービス提供側にとっては、収益が読みやすくビジネス計画を立てやすいというメリットがあります。
また、利用者のメリットとして、サービスに対する進化要件を提供者に訴えなくても勝手にそのサービスが進化してくれるということがあります。さらに、SI型とは異なり、これまでそのサービスに支払ったコストを回収する必要がないというメリットもあります。
サブスクリプションモデルの台頭
執筆時の2019年では、サブスクリプションはSaaSの分野のみならず、さまざまなビジネスインダストリでも用いられるようになってきました。特にBtoC(Business to Consumer)向けのサブスクリプションサービスの普及はめざましく、動画配信サービスのNetflix、音楽配信サービスのSpotifyなどを筆頭に、定額制のファッションレンタルサービスやコスメの定期配送、さらにはオフィススペースの定額制レントサービスなど、ソフトウェア以外のサービスでもサブスクリプション化する動きが見られつつあります。
ソフトウェア以外のサブスクリプションサービスはまだ始まったばかりですが、SaaSについては過去、定額サービス型のソフトウェアがASPと呼ばれていた時代から、およそ15~20年程度の歴史を有しています。つまり、SaaS業界は顧客と長期的に関係を築く方法を20年前から考え続けてきたといえます。このインダストリに学ぶ点は非常に多いでしょう。
2 サブスクリプション時代における顧客との向き合い方
サービスの継続に責任を持つ組織の必要性
SaaS+サブスクリプションモデルの特徴がわかったところで、このモデルを有効に機能させる方法を考えてみましょう。このモデルを成り立たせるための最も重要なポイントは、「顧客に継続して使ってもらう」ことです。サブスクリプションモデルは収益が読みやすい、と述べましたが、それも顧客が自社のサービスを継続して利用してくれる前提でのみ成立します。
では、ここで顧客がサービスを継続して使う理由を考えてみましょう。
- その顧客にとって理想的なサービスである
- そのサービスの価値が十分に顧客に伝わっている
- そのサービスを使うことで顧客がなんらかの利益を得ている
この全てが成立するとき、もしくは成立をめざしているときに、多くの顧客はサービスを継続します。そしてこの条件を成立させるのがカスタマーサクセスの役割なのです。
サブスクリプションモデルで顧客が継続してサービスを利用してくれれば利益がストックされていくことは簡単に理解できる話です。しかし、カスタマーサクセスという考え方が一般的になる前は、「お客様に自社のサービスを継続して使ってもらう」というミッションに正面から向き合う部門は、どのサービス提供者も保有していなかったように思えます。
かろうじてサポート部門やポストセールス(既存顧客向け営業)担当がそこをフォローしていましたが、少なくとも顧客の継続利用に責任を持つことはなかったでしょう。セールス部門が無理やり継続利用の責任を持たされることはあったかもしれません。しかし、同部門にとってはメインミッションとはなりにくいため、成り立っているケースは少なかったと思います。
近年カスタマーサクセスが注目され始めた理由は、ソフトウェアのサービス化に伴うサブスクリプションモデルの台頭により、顧客のサービス継続利用に責任を持つ機構が必要とされた結果なのです。
カスタマーサクセスとカスタマーサポートの違い
カスタマーサクセスは、一見カスタマーサポートと似ているように感じるかもしれません。しかし、本質的にはまったく異なります。ここでは、皆さんに耳馴染みのあるカスタマーサポートと比較しながら、カスタマーサクセスの本質について見ていこうと思います。
皆さんが、個人・法人にかかわらず何か物やサービスを購入したとします。当然ながら購入後、そのサービスを利用すると思いますが、使い方がわかりづらかったり、不満があったりする場合、皆さんはどうされるでしょうか?
- 周囲の詳しい人に聞く
- サポートセンターに電話する
- 使うのをやめてしまう
考えられる行動はいくつかありますが、サービス提供者にとって避けたいのは3.です。利用者は「使いづらい」「どうすればいいのかわからない」と感じた製品を二度と利用することはありません。また、同じ提供者の他のサービスを選択することもないでしょう。サービス提供者はそのような事態を避けるため、利用者が2.の選択をとるようカスタマーサポート部門を設けるのです。
しかしよく考えてみれば、利用者がそのサービスに不満を持つ前に手を打てる方がよほど健全ではないでしょうか。理想的なのは、利用者に「どう使えばいいのかよくわからない…」と感じさせないことです。仮に不満に感じてしまったとしても、利用者が問い合わせてくる前に「まずはこうやって利用してみてください」と伝えることができれば、不満を持つ利用者を大幅に減らせるはずです。
そしてこの役割を担うのがカスタマーサクセスです。カスタマーサクセスの本質は、問題が発生してからそれに対処する「守り」の姿勢ではなく、そもそも問題を発生させない「攻め」の姿勢です。顧客が自分たちの提供するサービスを使って利益を得られるようにすることを目的としているのです。
ここでいう利益とは、たとえば動画配信サービスであれば、「観たいコンテンツを快適に視聴できること」です。また、レンタカーのサービスであれば、「リーズナブルな値段で手軽にかつ快適に移動ができること」です。そもそも顧客がそのサービスを利用したのは、そのサービスを使って成し得たかったことがあるからです。先の例で言えば「目当ての動画を観たい」「時間までに目的地に到着したい」などが考えられます。カスタマーサクセスは、顧客の購買動機に向き合い、顧客の購買動機を充足させる(=サクセスさせる)ことをめざします。
この考え方は従来のカスタマーサポートとは異なり、サービスの本質にかなり踏み込んでいるといえます。カスタマーサポートはお客様の困りごとを解決することを目的としますが、カスタマーサクセスはお客様の成功を把握し、それを達成することを目的とするからです。
カスタマーサポートとカスタマーサクセスは表面的な行動だけ見ると「顧客に自分たちのサービスの利用方法をレクチャーする」と映るため、そこまで違いがあるように見えないかもしれません。しかし、その目的と行動原理には大きな差があるのです。
3 カスタマーサクセスが担う役割
カスタマーサクセスが事業にもたらすインパクトを語る前に、果たすべき役割について確認しましょう。私は以下の4つに集約されると考えています。
- 解約(チャーン)の削減
- 追加受注(ネガティブチャーン)の増加
- 紹介案件発生(セカンドオーダーレベニュー)のための種まき
- 提供プロダクト・サービスへのフィードバック収集
では、これらの説明を通じてカスタマーサクセスの事業貢献について見ていきましょう。
1.解約(チャーン)の削減
サブスクリプションモデルで最も避けなければならないのが解約であることは、いうまでもないでしょう。いくら新規の顧客を獲得しても、それ以上に解約が発生していては事業の成長はありません。解約のことを専門用語で「チャーン(Churn)」と呼びます。ほんの数年前まではあまり馴染みのない言葉でしたが、カスタマーサクセス界隈ではすでに一般的なワードになっています。
チャーンの増加がもたらすインパクトについて、感覚的には理解していても、その深刻さを数値ベースで理解している人はあまりいないのではないでしょうか。以下のグラフは毎年100の売上がベースで存在した場合の、年間の解約率が3%,5%、10%、15%、20%、25%で20年間推移した例です。
3%と25%では、20年で売上に約5倍の差が発生することになります。単月で見た場合、そのインパクトはわずかに感じますが、長い時間が経つと複利効果でその差額は無視できないものになります。
2.追加受注(ネガティブチャーン)の増加
追加受注は解約の逆の現象のことで、一般的にはアップセルやクロスセルを、広義にはサービスの継続を指します。SaaSの場合は、「上位サービスメニューへの乗り換え」や、「オプションサービスの追加購入」を指します。カスタマーサクセスではこれを「ネガティブチャーン(Negative Churn)が発生した」と言います。
ネガティブチャーンが事業成長において重要なことは説明不要でしょう。しかし、ネガティブチャーンはカスタマーサクセスの業務スコープに含まれる場合とそうでない場合があります。なぜなら多くの場合、ネガティブチャーンの発生にはポストセールスの存在が不可欠だからです。
カスタマーサクセスの結果、顧客が提供サービスへの追加投資を判断することはあります。しかし、商談を確実にクローズさせるには、やはりセールス活動は不可欠です。これらは一般的には以下のように整理されます。
- カスタマーサクセスのミッション:顧客に対する利用促進 → 利用深化
- ポストセールスのミッション:顧客に対する追加提案 → 追加受注
そのため、ネガティブチャーンを発生させるための活動がカスタマーサクセスに含まれるかどうかは、各企業の組織づくりの考え方に左右されます。これについては改めて第四章で説明します。
チャーン、ネガティブチャーンについてより深く知りたい方は、ウェブページ『スタートアップのお金と指標入門講座:チャーンレート(Churn Rate)』を参考にしてください。
3.紹介案件発生(セカンドオーダーレベニュー)のための種まき
紹介案件発生とは、サービスの評判向上や口コミによる新規案件発生のことです。よくある例としては「ある人が前職で好んで使用していたサービスを転職先でも契約した」などがあります。カスタマーサクセスにおいては、これをセカンドオーダーレベニュー(2nd Order Revenue)と呼びます。
このようなことが起こるというのは体験的に理解できるものの、意図的に発生させるのは極めて難しく感じられます。そのため、セカンドオーダーレベニューがカスタマーサクセスのミッションに含まれることは少ないようです。しかし、カスタマーサクセスの結果、顧客満足度が向上し、セカンドオーダーレベニューが発生したという例は少なくありません。カスタマーサクセスの事業貢献を考える場合、戦略に組み込んでおくべき事項です。
4.提供プロダクト・サービスへのフィードバック収集
カスタマーサクセスの事業貢献においてもう一つ重要な活動があります。それは顧客から集めた意見・要求をプロダクト・サービスサイドに渡し、改善のためのPDCA(Plan→Do→Check→Action)を回すことです。SaaSの場合、多くはサービスとプロダクトがイコールであるため、プロダクトフィードバックループ(Product Feedback Loop)と呼ばれます。
プロダクトの進化によって最も影響を受けるのは、当然顧客です。私は、プロダクトの進化はそのプロダクトが持つミッションに従って行われるべきだと思っています。同時に、現場レベルの問いについては、お客様に回答を求めるのがよいとも考えています。たとえば「この機能はどこまでユーザーニーズをカバーすべきなのか?」「このボタンはここにあることが正解なのか?」などです。
プロダクト製作に携わっている人間なら経験があると思いますが、プロダクトの持つミッションに向き合えば向き合うほど、製品をどう進化させるべきかに悩みます。そんなとき、カスタマーサクセス活動から得られた顧客要求は、一つの方向性を示してくれることがあります。そのため、最近ではカスタマーサクセス部門がプロダクト部門の中に含まれている、またはその逆という組織体制も存在しているようです。まさにカスタマーサクセスが重要視されてきていると感じられるエピソードです。