スポーツはもはやデータ勝負で、常勝チームは存在しない?
今年のユーロ(サッカー欧州選手権)は、近年にないおもしろさだった。イングランドの姿が本選で見られなかったのは実に惜しかったが、ロナウドやバラックなどのスターはちゃんと活躍したし、何よりもどのチームも守備を優先していなかったことが、ゲームをおもしろくし、かつ戦いが清清しかった。
ベスト4の顔ぶれは、ドイツを除いてすべて予選リーグの2位だったのも驚きだったが、その中でもロシアの大番狂わせは話題だった(もっとも筆者はオランダの敗退をある程度予想していたが。予選でああいう大勝をしたところは、不思議とそれほど大物でないところにコロッと負ける。86年のメキシコWカップのデンマークがそうだったし、2006年のオランダがそうだった。この2チームの敗戦を筆者は現地で目撃している)。
ロシアの躍進で名将ヒディングの声望はさらに高まった。一方、フランスのドメニクやイタリアのドナドニには「辞めろ」の大合唱(「世界中の監督は2種類に分けられる。罷免された監督と、これから罷免される監督だ」とは、誰の名文句であったか…)。
ヒディングがデータを駆使しているのはよく知られている。2006年の対日本戦に臨み、不幸な先制点を計上した前半終了後のハーフタイムに、「後半残り20分で日本は極端にパフォーマンスが落ちる。そこからが勝負だ」と選手を鼓舞した。結果は、…悔しいがその通りになった。
今回の岡田ジャパンに、ルマンの松井は招集された。それまで松井はテクニックはあるが、走らないというイメージだった。ところが、データを詳細に分析すると、松井は「ホームの試合」と「点差が1点以内の試合」のときには13キロ前後走っていることが判明(マンUのテベスやパクチソンなど、トッププロでよく走る選手は14キロ近く走る)。そこで合宿に召集し、試してみた。松井は招集された意味をよくわかっており、合宿中に相当な運動量を示したのである(こういうところが賢い選手は違う)。
これらの例を見てもわかるとおり、現代のスポーツはデータの勝負になっている。それは競技の勝敗のみならず、スポーツのビジネス全体にも活用されているのだ。現代のスポーツはデータの勝負になっている。それは競技の勝敗のみならず、スポーツのビジネス全体にも活用されているのだ。おそらく、今後、データが利用できないではGMになれないだろう。