なぜ、ノープロブレム広告学校はスタートしたのか?
MarkeZine編集部:小霜さんがお亡くなりになってもう2年半なのですね。小霜さんと米村さんを講師とし12年間開校されていた「ノープロブレム広告学校」が、「ノープロブレム クリエイティブジム」という新たな形でリスタートすると聞きました。今日は、このジムのメイン講師を務められる米村さん・田中さん、運営を担当される坂根さんにお越しいただいています。
せっかくなので少し遡り、小霜さんとの思い出話も交えながらお話を伺いたいのですが、そもそも、なぜ12年前、“無料で”広告学校を始められたのですか?

米村:小霜とは博報堂時代に同じチームでよく一緒に仕事をしていたんですよ。当時はまだ今のように「ブランディング」の概念すら浸透していない時代でした。面白いコピーを書いて、面白いビジュアルを作り、世の中を湧かせられればいい、とにかく面白い仕事がしたい。そんな風に一緒に突っ走っていましたね。
その後、小霜は独立してフリーになり、僕はW+K Tokyoに転職し……8年くらいの紆余曲折を経てから、2人で「ノープロブレム」というクリエイティブファームを立ち上げることになります。普通は独立しても、広告代理店時代に手掛けていた仕事を継続して受けることが多いのですが、僕らはクライアントから直接仕事の依頼を受けたいと宣言しまして(笑)、最初は本当にゼロからのスタートでした。

博報堂を経て、Wieden+Kennedy Tokyoに入社。手掛けた広告は「サッポロビール/北海道生搾りシリーズ」「NIKE/Bright Side」「KUMON/教室の奇跡」など多数。2009年にWieden+Kennedy Tokyoから独立し、小霜和也氏とノープロブレムを創立。2014年、ECDとして博報堂に復職。2020~2023年まで博報堂フェローを務める。現在はBright Side LLCをベースにより広範囲に活動中。座右の銘は「迷ったら笑えるほうへ(by テリー伊藤さん)」。
そんな状況なのでお金(資金)はあまりなかったのですが、せっかく会社を作ったのだから、CSR的な活動をやりたいと考えて始めたのがノープロブレム広告学校です。世の中には色々なビジネススクールがありますが、授業料が高く、学生や若い方は特に自費で通うのはなかなか厳しい。ならば、僕らが自ら汗をかいて、実際の仕事に活きる広告クリエイティブを無料で教えようということで2009年に広告学校を開校しました。
無料だから講師と生徒は「対等」でいられる
MarkeZine編集部:CSRの一環で始められた学校だったんですね。
米村:それに加えて、無料での開校にはもう1つ大きな理由がありました。我々講師と生徒とが“対等な”関係でいられるようにする、というものです。
授業料をいただいてしまうと、生徒との関係性は、ともするとクライアントあるいはお客様になってしまいます。お金を払っているのだから、一生懸命やらなくても、講義を休んでもいいと許容されるところが出てくるでしょう。僕らも忙しい時間を割いて、しっかり授業の準備をするのだから、受ける側も真剣であるべきだ。そういった考え方が無料広告学校の根底にありました。このポリシーだけは、今回リスタートするクリエイティブジムでも守りたいと思っています。
坂根:教える側も運営する側もお金のためにやるわけではありませんからね。このクリエイティブジムはノープロブレムという会社としての活動ではないので、CSRの括りではなくなりますが、みんなが真剣に頑張れる場を作るためにも、「無料」という形は継続しようと考えています。

CM制作会社に入社後、プロデューサーとして広告映像制作に携わる。2011年退社、同年ノープロブレム入社。10年以上小霜和也氏と二人三脚で様々な企業活動をサポート。2021年小霜氏逝去に伴い独立。小霜氏と共に経営者に近いところで、ストラテジーから現場のアウトプットまで一気通貫させてきた経験から、企業の広告コミュニケーションについて提案やアドバイス、また広告主と各広告会社との調整を行っている。
田中:僕は当時、小霜さんの下でコピーライターとして働きつつ、3~4期生に混じって、生徒としてもノープロブレム広告学校に参加していました。その時から、ギブ&テイク的な考え方もありましたよね。毎週月曜19時からの授業は、小霜さん・米村さんのもとで2時間くらい喧々諤々やり合った後、第2部では「みんな(生徒)の話も聞かせてよ」「最近どんなことに問題意識持ってるの?」と僕らが話す番になるんです。
米村:第2部はご飯を食べたり、お酒を飲んだりしながらね。第1部ではこちらがたくさんアウトプットするので、第2部では僕らが生徒からインプットをする。ギブ&テイクにしようという考えは大事にしていました。