「学校」から「ジム」へ。座学だけでは習得できないものを鍛える
MarkeZine編集部:広告学校からビジネスクリエイティブジムへ、コンセプトを変えられたのには、どういった思いがあるのでしょうか?
米村:実はこれは僕らが思いついたわけではなく、広告学校の卒業生たちから出てきたものなんですよ。小霜が亡くなった後、広告学校をどうしようかという話は以前からあって。色んな意味で小霜の代わりはいませんから、以前と同じ形では続けられないのだけど、「このまま閉校しても良いのか?」という思いはずっとあったんです。
卒業生のみんなに広告学校で学んだことを伝える側に回ってもらい、知恵を出し合ってもらいながら話し合いを重ねる中で、ビジネスクリエイティブジムという形がだんだん見えてきました。
MarkeZine編集部:学校ではなく「ジム」としたのはなぜですか?
坂根:広告学校の時代から、「ここは学校というよりジムだよ」と小霜もよく言っていたんです。人から教えてもらって何とかなるものではない、自分で考えないと何にもならないと。「(課題を)考えてこなくても、俺には関係ない、自分(生徒)が伸びないだけ」ともよく言っていましたね。
米村:「どうしたらいいコピーを書けるか」「いいビジュアルアイデアはどうすれば浮かんでくるか」みたいなことは、なかなか教えられるものではありません。ただ、「どういう表現がよいか」を判断するための“クリエイティブストラテジー”の基礎は、1年間くらいトレーニングすれば身に付けられる可能性がある。そんな感覚が以前からありました。
ですから、広告学校でも具体的な表現手法について教えるより、一番手前にあるクリエイティブストラテジーのところにじっくり時間をかけていました。
田中:普通の学校だと褒められることが、ここでは逆で。授業中説教されている時に、僕らが一生懸命メモをとっていたら「メモとかとるなよ。銘じろ、肝に」と(笑)。

未経験ながら、小霜氏のアシスタントコピーライターとしてノープロブレムに中途入社。365日、24時間、愛のしごきを受けながら、3~4期のノープロブレム広告学校にも参加。現在は外資系広告代理店でクリエイティブディレクターを務めるかたわら、企業との新しい向き合い方を模索中。
ですが、たしかに知識として知っていることと、肝に銘じたことは全然違うんです。小霜さん米村さんからクリエイティブストラテジーを叩きこまれたことで、クリエイティブに物事を考える時の「フォーム」が身に付いたと感じています。特に僕のパートの授業では、このフォームを体感をもって身に付けてもらえたらと思っています。
いま目の前にあるモノの「ポテンシャル」をどう捉えるか、どういう姿勢で「課題」と向き合うか。そのフォームが違うと出てくるアウトプットも明確に違ってくる実感がある。
米村さんや小霜さんのような、大手広告代理店に新卒クリエイターとして入社した瞬間に活躍し始めるような天才じゃなくても。たとえば僕のように、目の前の仕事にクリエイティブ性を見い出せず、くすぶっていたような人間でも。このフォームは身に付けることができると考えています。
米村:僕は天才なんかじゃないけどね(笑)。