消費者の意思決定を支配する“記憶”
私たちの頭の中には、意思決定を司る2つの情報処理様式が存在すると言われています。これは、2003年にダニエル・カーネマンが意思決定論を体系化した「二重過程理論」として知られています。近年では、この理論の二分法に対する批判もある一方で、機能的な二重性を支持するエビデンスが蓄積され、理論はさらに精緻化されています。
意思決定に関与する2つの情報処理システム
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システム1(直感的で自動的な処理)
経験や感情に基づき、素早く無意識に判断する思考プロセス。ヒューリスティクス(経験則)による判断が中心。 -
システム2(熟慮的で制御的な処理)
時間をかけて論理的に情報を比較・検討し、慎重に判断する思考プロセス。
重要な点は、私たちの日常生活における意思決定のほとんどは、システム1による無意識的かつ経験則的な思考によって行われているという点です。
たとえば、スーパーマーケットの棚に並ぶ何千もの商品を一つひとつチェックし、比較検討することはほとんどなく、「いつも使っているから」「見覚えがあるから」「何となく良さそう」といった直感的な判断で、限られたブランドだけを繰り返し購入しています。
他のブランドを選ばない主な理由は、「知らない」「思い出せない」という記憶の欠如にあります(Sharp, 2017)。つまり、購入判断は過去の記憶によって簡略化されているのです。したがって、ブランディング投資の重要な目的は、ブランドに対して意味のある「記憶」を創ることにあると言えます。
ブランディングは“いかに直感的に選ばれる理由を作るか”
これらの記憶の重要性は、ブランディング投資の在り方を考える上で欠かせない視点です。つまり、ブランディングの役割は、論理的な説得よりも先に、いかに消費者の直感(システム1)に働きかけ、記憶を通じて選ばれる状態を創るかにあります。
消費者が購入時に検討するブランドの数は、平均してわずか2〜5つ程度という研究結果もあります。この限られた想起の枠に入らなければ、どんなに優れた商品・サービスであっても選択肢にすら挙がりません。この想起の枠に入る確率を高めるには、消費価値を高めることが必要です。
消費価値とは、企業が発信するスペックや機能といった客観的な情報ではなく、「消費者一人ひとりの主観によって判断される消費行動の結果への期待」を指す概念です。消費者が得られる便益(Benefit)が、費用や手間といった負担(Cost)を上回ると感じた時、その価値は高まります(図表1)。
この便益は、機能的なものに加え、感情的、認識的、社会的な側面を含むほど、より強固になります。これは、消費者の便益の評価は文脈によって変化し、時間や場所が異なれば、同じ商品属性に対する好みも変わるためです(Holbrook, 1999)。
コーヒーショップの文脈による便益の変化の例
とあるコーヒーショップを例に考えてみましょう。平日の慌ただしい朝、眠気を覚まし、仕事の集中力を高めたいという場面においては、「カフェインの効果」や「素早く提供される利便性」などが評価される可能性があります。一方で、同じ消費者・同じコーヒーでも、就寝前の場面では睡眠の質が下がるという懸念から「カフェインの効果」には、まったく便益を感じられない可能性も考えられます。さらに、休日の午後、友人と一緒に過ごす場面においては、同じコーヒーでも「リラックスできる」「楽しい時間を過ごせる」といった便益評価に変わり得ます。
このように、同じコーヒー1杯でも、消費される文脈によって便益の感じ方が変わり、主観的な価値も変化します。そしてこの主観的な価値評価は、過去の購買経験やブランドに対する記憶や連想によって大きく左右されるのです。
だからこそ、ブランディング活動を通じてブランドが持つ意味(=便益)の総量を増やし、付加価値(消費価値)を創ることが極めて重要になります。
