「みんな喜ぶんじゃないかな」虎ノ門広告祭を立ち上げたピュアな動機
藤平:イベントには400名以上が登壇し、120ものコンテンツを実施したということで、きっと想像を絶する工数がかかったと思います。そこまでの労力をかけて、この祭りを創りたいと思われた。僕には、何かしら業界への愛情もしくは焦りや危機感のようなものがないと成し遂げられないことのように思えるのですが、原動力は何だったのでしょうか?
菅野:なるほど、モチベーションですか……。何しろ最初は1人で言い始めたものですから、なぜやろうと思ったのか——これはもう「思いついてしまったから」としか言いようがないかもしれません。多分、どれを挙げても「それもあったと思う」と言えるくらい、いろんな動機が重なっています。
そんな中で、思いつく動機をいくつか挙げてみると、この業界を元気づけるお祭り的なことをやりたかったというのは一つありますね。広告業界には、老若男女すごく切れ者で面白いことを考えている多様な才能がたくさんいます。活躍できる環境さえ整えば、その才能は社会にとって、もっとものすごく大きな力になるはずです。
ただ、広告業界に元気がないというか、ちょっと不安な空気があるじゃないですか。その空気は、業界にとって、特にこれからの若い世代の方々にとって、悲しいことだなと思ったので、みんなで前向きに集まれるお祭り的なことをやりたいと思ったのがまず一つです。
あとは、この業界は所属と世代によって分断されている感じもありますよね。現に、藤平さんと僕も、事務所はすぐ側にあるのに初めましてですから。
藤平:そうなんです、本当にすぐそこなんですが。クリエイティブディレクターは「協業する」機会がなかなかありませんし、そうなるとイベントや審査などでご一緒する機会がないと、お話しする機会もありません。かつ、そういった場でお会いしても、オフィシャルなコミュニケーションになることが多いですよね。
菅野:そうですね。昔からTCC(東京コピーライターズクラブ)やADC(東京アートディレクターズクラブ)など、職能に基づくギルド的な専門家集団はありましたが、昭和の時代から基本的に構造が変わっていません。近年はコピーライターやアートディレクター以外にも、藤平さんのようにストラテジーの視点を持って経営にコミットするクリエイターもいれば、デジタルに強い方、AIに強い方もいる。多様な才能があって、それぞれ多様な活躍をしているのに、いろんな職種や才能が一同に会する場があまりないように感じていました。
職能に基づいた狭い界隈の中で「これからどうしようね、AIも来たしね……」みたいに議論するには、いまの時代の産業構造の変化は、大きく、はやい。大きな転換期のテーマを議論するには、ちょっと窮屈だなと思って。
こういう時代だからこそ、いろんなタイプの人でとにかく会って、お互いのやっていることを話せる限り話して、議論する。そんな場があったら、キャリアや仕事に行き詰って悩んでいる人は特に、きっとみんな喜ぶんじゃないかなと思ったわけです。
藤平:それをやり切る胆力に感服します。虎ノ門広告祭を踏まえて、自分は課題やお題がない状況から「ゼロイチ」を生み出していくのは苦手なんだろうなと気づきました。広告産業のビジネスモデル自体、クライアント側の“オリエン”や明確な”社会課題“が先にあるので、旗を振ってゼロからモチベートする側にあまり立つことがなく。その立場に慣れてしまった、ということなのかな、と思いましたが。
菅野:たしかに、私たちは言い出しっぺになることは少ないですよね。かつて、広告会社は放送事業の中で自分たちで広告ビジネスを新しく創ろうとしていた時などに、地上波のCMというビジネスを自分たちのものにするために、踏み込んでバンバン張っていたはず。ですが、いまは、AIみたいな大きな時代の流れや、プラットフォーマーが規定するアルゴリズムなどに、受け身になりすぎて振り回されている側面があるかもしれないですね。
自らリスクを取って踏み込んで市場を開拓したり、創出したりするというよりは、世の中がこうなっているからこうしなきゃとか、クライアントからこんな風に思ってもらえたらいいな、こんな仕事がもらえたらいいな、とか。変化への対応が、受け身な姿勢になってしまっている側面があるのかもしれない。歴史と実績のある成熟した業界だし、新卒入社している人が多いので、生まれも育ちも投資タイプというより受注タイプでやってきたところもあるし。
いま広告産業自体が成熟期を超えて安定期というか、守りに入っているのかもしれません。
そういう意味では、虎ノ門広告祭は、現代の広告的なビジネススタンスとはたしかに真逆をいっています。誰かにお願いされて始めていないし、頑張ってやったところで、みんなから厳しいことを言われたりもしますし、リスクは他の誰でもなく自分に降ってきますからね。時折、自分でも「何やっているんだろう」と思ったりします。つまるところ、みんなが喜ぶんじゃないかな、よしやってみるか——という、非常に非論理的な動機なんです。
