エンジニアとしてのキャリアは、大学院のLANアドミニストレータから
――まず、原永さんのキャリアについて教えてください。
「エンジニアとしてのキャリアは、大学院生時代に、理工学部LANアドミニストレータを担当したのが始まりです。くじ引きに外れて、希望する情報系の研究室に入れなかったんです。でも、アドミニストレータのアルバイトをするなら入れてやると言われて。まったく知識がない状態から始めて、独学で勉強しました。やってみると面白くて、3年間続けました。
2001年に新卒で、Webエンジニアとしてヤフー株式会社に就職します。その頃はまだベンチャー企業で、僕らが新卒第一期生でした。研修もなしに1日目から現場です。それからずっと、トップページのバックヤードをメインで担当していました。
なぜヤフーを選んだか? 兄がポータルサイトを運営する企業に初期メンバーとして加わっていたため、ネット業界の話をよく聞かされていました。Googleって会社が出てきたよ、とか。それで興味を持って、ネット業界で就職できる企業を探したところ、新卒で応募できるのはヤフーくらいしか見つからなかったんですね。
3年半働いた後、2004年に個人事業主(屋号:スパーク・ラボ)として独立しました。受託開発がメインです。実家が自営業だったこともあって、もともと独立したいと思っていました。2007年にスパーク・ラボ株式会社とし、いま4期目に入ったのですが、自社サービス半分、受託開発半分くらいでやっています。おかげさまで、営業しなくても紹介などでお仕事の依頼をいただく状況です。
ナナロク世代の同期は、これまでに立ち上げたWebサービスを本格的な事業にするつもりで、資金集めなどをしている人が多いですね。僕の場合は、まだいろいろなことをやってみたくて、制約をかけたくないので、今のところ他人の資本は入れない予定です。
やりたいのは、社会的価値があること。たとえば、原宿ウェブ研究所はハイブリッドエンジニアを育成するのが目的のスクールです。僕も仕事を始めて10年になりますから、これまでの経験を次の世代に伝えていきたいと思っています。まだ早い? いやいや、自分がプログラムを書いているうちに、熱いうちに伝えないと。2年後では遅いんです」(続きはキャリアジンでご覧ください)