京都に溶け込んで、活発に活動する暮らしぶり
佐藤:“デザロン”という会を、京都で主催されているんですよね?
八十住:そうなんです。Design+Salon+Kyotoということで、2か月に一度、ゲストを招いて話を聞いて、その後語り合う会をやっていて、毎回、数十人の方に参加いただいています。京都でグラフィックデザイナー、そしてプロダクトデザイナーと知り合って、何か面白いことを始めたいね、ということで3人で主催しています。この2人とも、実はツイッターで知り合ったんですけどね。
佐藤:なるほど、それは面白いですね。
八十住:京都はね、住む人と関わると、とても面白い、他には存在しないような場所なんです。お父さんが人間国宝です、みたいな人が普通にいるんですよ。そして、人ひとり介せば、たいていの人とつながれます。それと、“100年以上の単位”でものを見ている人が数多くいます。例えば、土はおじいちゃんが用意してくれたっていう陶芸家がいて、その方は自分の孫のために土を用意しようとしていたり。先祖代々何かをしている人がたくさんいますね。僕で12代目です、みたいな。
佐藤:それは、東京では、なかなか出会えない方々ですね。
八十住:もう、ね、深いんですよ。自分がやってるデザインも、まぁある意味ではモノづくりではあるけれど、比べてしまうと“薄い”なぁと感じます。

京都人にとっての八十住さんは、いい感じに“攪拌する”人。
佐藤:お話を伺ってると、とても京都に溶け込んでいるように感じるんですけれど、逆に京都の人にとって、八十住さんてどんな存在なんですかね?彼ら彼女らは、なぜ八十住さんと付き合っているのかな、みたいな。いや、京都人はよそ者に冷たい、みたいな話も耳にするもんで。
八十住:冷たいってことも、ないと思いますよ。もちろん、人にもよりますが、新しい事柄や人にオープンな人もちゃんといます。あと、京都の人は、シャイなんですよ。よそから来た人とも本当は知り合いたいんだけれど、警戒しているようなところがある。東京の情報にも、興味はあるんです。だから、自分は住民票も移してるとお話し、地に足を着けて京都に住んでいることを示して、きちんと飛び込んで行けば、ちゃんと相手をしてくれます。
佐藤:なるほど。京都の人にとって八十住さんは、しっかりと京都に溶け込んでいて、多大な警戒は必要なく、でもいろいろ新しい刺激をくれる人なんでしょうね。いわば、いい感じに“攪拌(かくはん)”してくれる人、っていうか。
八十住:それと、ね。京都の魅力に話を戻せば、京都は小さい分、本当にいろんな方に会える場所なんです。昔、NYのSOHOで、カフェでふと隣を見たら、横尾忠則さんがいたり安藤忠雄さんがいたことがあるのだけれど、そんな感じです。一種の、“パワー人間スポット”みたいな場所だと思います。
そんな京都と比べちゃうと、東京は人間関係が希薄なように感じます。なんて言うか、誰かとちょっと仲違いすると、街が大きいので会わないで済んでしまう。それはそれで良いところもあるけれど、なんだか希薄な感じがしてしまいますね。
